ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」Q

2018-09-26 05:21:43 | アニメ


さて、最もみなを困惑させるQであります。


以下、内容にふれますのでご注意を。

これも同じくシンジの心の映像として見ていきます。これはあくまでも外的宇宙ではなく内的のもので、ひとりの少年がぶつぶつ言いながら心の敵と戦ってるのですから。

「エヴァに乗る」=女に乗る=セックス、ということをいきなり禁止されてしまうシンジ。

彼の世界で女性の比重が大きくなっている。女の活躍が目立つ。
父・母の声がほとんど聞こえない。存在も薄くなっていく。シンジはそのことが母親=綾波を助けたと思っていたのにいまいち自信が持てない。
エヴァとのシンクロ率はほぼなし=セックスの下手さ。
セックスをすると死ぬこともある、という話に困惑するシンジ。
「エヴァにだけは乗らんといてください」=セックスをしようとするシンジを思い切り拒絶。
羅列していてやや嫌になってくるけど本当にいつまで経ってもガキのままのシンジにうんざりでもある。
とにかくいつまでも成長しないシンジ=庵野が感じてきたセックス・女性に対する感情・経験してきたことの様々をエヴァンゲリオンというアニメの中で映像化した、ということなのだ。

となれば渚カヲルという少年の登場は・・・やはり庵野=シンジが出会った憧れの同性、ということなのである。
自分に比べなんでもできて大人で難しく意味の解らないことを言って戸惑わせてくる同性の友だち。
それは少年にとって異性以上に強い影響力を持ち惹きつける。ふたりの連弾はそれを表している。どうすればもっとうまくできるようになるか。勉強でもスポーツでも仕事でもセックスでも。
だがその存在だけを頼りにするわけにはいかない。いつか少年は大人として独立しなければならなくなるのだ。

アダム・エヴァ・リリス、という言葉は聖書そのままに意味している。本来アダムと同等であったリリス、それは悪魔を生み出すものとして認識されている。エヴァはアダムのあばら骨から生み出された女でしかない。

本作中でシンジと冬月が将棋をする場面は、将棋を「指す」というべきところを「打つ」と言ったり「飛車角金を落としてやる」の違和感とか「31手先で積み」と言った31分後にチョーカーが爆発する、などいろいろ含みがあるのですが、なかなか将棋に手こずってるシンジをみて冬月は「将棋崩し」を始める。
これってね、「積み木くずし」じゃないかと思ったんですよ。昔「積み木くずし」って本と映画とドラマが流行った時があって私はなんか嫌で見なかったんですが、物凄い話題になった親子の対立の物語なんだけど、将棋を崩すことでそれをイメージさせようとしたのではないかと。ものすごいめちゃくちゃですが。

セカンドインパクト=第二次性徴からサードインパクト=大人としての性。

シンジを取り巻く者たちの苦悩。そしてシンジ自身の苦悩。
それがどんなに辛く激しいものか。Qはクエスチョン=問いかけでもある。

きみはどう思うか?

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