![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/67/62b13efae3951cc51b896b7e9c6f9f2e.jpg)
数えきれないほど読んでいるのに読むたびに泣いてしまう。
マイアミでしがないバンドをやって暮らしているグラン・パ。お世辞にもハンサムではない。長い顔に細い目。ぶっきらぼーだけど面倒見がいい男。そこにころがりこんできたそばかす顔の少年・・のように見える女の子リュー。ぼさぼさ髪でやせっぽち。フランス語なまり。いつも「へへ」と笑ってるよくわからない不思議な子だった。よく口ずさむのがドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」「やさしい声をしている」とリューは言う。
最初にハッとするのはリューがグラン・パに「・・・なぜ歌うの?」と聞く場面。リューの顔がそれまでと違って突然ミステリアスに見える。リューが歌になにかを感じた場面です。
オウムのジュリーが撃たれて落ちる場面でリューが自分の運命と重ねるイメージ。お医者さんの頭に落ちることでコミカルにしてしまうところが萩尾さんの持ち味、うまい。
そしていつも演奏している店でグラン・パがリューに促す。
「なんか歌うかい?前座だからなんでもいい。アメリカン・パイでもいいぜ」
お客たちは騒いでいる。
わたし いつも 夢みていた ぶどう畑の上をいく 空と風になること
たちまちシーンとなる客席。脇で店員の女性がつぶやく。
「・・・わたしたちぶどう畑をみなかった?今・・・」
ここで隣にいる男が「しっ」というのがたまらなくうまいのだ。ここを読む時、私たちはリューの声を聴いている。たぶんそれほど大きな声じゃない、少女のささやくような歌声を。思わず歌ってしまったリューの生きた証の歌。
それは一瞬にして聴くものの心に入ってくる。
でも本当はマンガなのだ。そこから音は出ていないのだ。でも、男は女性のつぶやきでリューの歌声が聞こえなくなってしまうのを疎んじて「しっ」と言うのである。私たちは読みながら聴いている。店の中のざわめきが静まり、リューの歌声が響く。タンバリンの軽い音も。
そのあとの話はどうしても書けない。
この文章を書くために読み返すだけで泣けてしまって。
どうやっても理性的に解読なんてできなくなる。
普通に悲しい話ではあるだろうけど、なぜここまで気持ちを揺さぶられてしまうんだろう。
1976年の作品。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます