ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「カミヨミ」柴田亜美

2018-11-22 07:13:16 | マンガ


実は近代の日本に物凄く興味があります。文献などをそこそこ読んだりはできますが、しかし創作物語の数は江戸時代や戦国時代に比べると極端に少ないのは何故でしょうか。幕末・明治維新ならばそれなりに数はあるのですが、明治大正となるとその数は激減します。

マンガになると更に希少と言ってもいいくらいで(あの膨大なマンガ作品数から見れば)更に謎なのはその殆どが少女マンガであったりしますね。明治時代舞台の少年マンガ(青年マンガだとありますが)となると有名なのは「るろうに剣心」くらいになってくるのではないでしょうか。
青年マンガとしては安彦良和氏の一連のマンガ「天の血脈」「虹色のトロツキー」など、そして今面白いのが「ゴールデンカムイ」ですね。

何故少ないのかの答えとしてはこの時代を描くのは非常に難しい、ということになるのでしょうね。じゃ何故難しいのかと言えば「あまり語りたくない」事柄が多々あるから、となってきます。しかし物語というのは「あまり語りたくない」部分を切り開くことではないかと思うのですがどうでしょうか。

その中でこの「カミヨミ」はまさしく「語りたくない」部分に刃を差し込み切り開いた稀有な存在だと思います。

惜しむらくは自分がマンガという媒体からやや離れ気味になってしまってからの作品なので読むのが遅れてしまったのですが、描くのに骨の折れる、やっかいな事態を引き寄せてしまうかもしれない時代をこうも自由に痛快なマンガ作品に仕上げた柴田亜美という人の才能は計り知れません。


以下、ネタバレになりますので、ご注意を。






特に私は日本の明治時代から昭和初期に至る道程に「カミヨミ」の世界そのものを感じています。それは恐怖でもあり、逆にまたそれだからこそ強く惹かれる部分もあるのです。その強力な魅力はそれ以前にもそれ以降にも存在しないものであり、また存在してはいけないものだとも思ってます。この半世紀ほどの期間の日本はある種の狂気を感じさせるものだと思っています。それは「カミヨミ」のタイトルにいつも重なっている赤い火の玉のようなもの、が感じさせてくれます。これは本来ならば旭日旗のデザインであったかもしれないと思ってしまうのだけど当然そのデザインを使用するのは止めた方が良いわけです。

「カミヨミ」の物語は必然的に「古事記」「日本神話」を語ることになるのですが、この辺もどういうわけか日本ではタブーとなっている部分でもありますね。日本人が日本神話をおおっぴらに語れない、なんとなく禁忌になってしまってる、という点については疑問を持っているのですが、この時代の「偉い人たち」が日本神話を使って日本を奇妙に神格化してしまったしわ寄せであって神話をもっと語っても良いのではないかと思います。それができないために「エヴァンゲリオン」などのマンガ・アニメ作品がみだりにキリスト教を下敷きにした浅薄な設定を行ってしまうわけですが、「日本神話」を下敷きにしてしまうと「右翼」の刻印を押されてしまうのがどうにも困るわけですね。

零部隊にも作者は愛情を注いでいると思えますが、中でも毒丸は特筆されていて、それは彼が清国の出身だという設定にも伺えます。
この時代の特徴は日本という鎖国が解き放たれ異国との交流がどっと始まったことにもあるわけですが、その特徴がどういうものか悪い方向へと流れていくのですね。
毒丸そして現朗(ウツロウ)というロシアハーフの存在はこの時代の象徴でもあります。


「カミヨミ」を描くのは困難を極めたと思われるのですが、もしそれをさらりと描かれていたのならば柴田亜美という作家はとんでもない知性と感性を持っているのだと思います。
ネットを見ても「カミヨミ」の感想があまり書かれていないようなのは感想を書くのも難しいことの現れではないかと思うのです。

美しい双子のカミヨミ・菊理と帝月、帝月に付き従う瑠璃男、そして真直ぐな気性を持つ天馬はこの狂気の時代を切り開く主人公としてあって欲しい存在であります。

柴田氏の持ち味がシリアスなかっこよさと共に明るい笑いを含んでいるのも楽しいし、かっちりとした画力がこの時代の恐ろしさを映し出しています。
天馬と菊理の深い愛情と共に男たちの愛情の描き方も私にとっては一番琴線に触れるポイントでもあります。特に八俣八雲がお気に入りです。



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