ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「わが憎しみのイカロス」五木寛之

2018-09-09 06:59:10 | 小説


一人の作家に惚れ込み、ずっと作品を探し回り読み漁る場合と、一冊だけで終わりという場合があると思今すぐ。五木寛之に関しては後者のほうでした。
一冊だけ、ではなくてもう一冊「四月の海賊たち」を買って読みました。その後、当時話題だった「四季・奈津子」などを読もうとしたでしょうか。何冊か手に取ったような気もしますが、なんとなくそのままになって他を読むことがなくなってしまったように思います。有名な「青春の門」はまったく読んでいません。なぜでしょうか。相性みたいなものでしょうか、他にもっと興味をもつ本が見つかってそのままになってしまったのかもしれません。

前置きはそのくらいにして表題作「わが憎しみのイカロス」です。
横浜市のはずれにあるガソリンスタンドヤマハのおんぼろオートバイを押しながら入ってきたのが17歳の譲治だった。カーキ色の米軍のシャツにGパン、それに革のサンダルを履いている彼は九州・佐世保から来たとスタンドの経営者である「私」に告げ、スタンドの片隅と工具を貸してもらえないだろうかと頼む。縮れた髪、首筋も顔も真っ黒でしなやかないい体からは、長い間風呂にはいってないらしくひどい臭いがする。北海道まで行くのだという譲治は徹夜でオートバイを修理をして再び走り出す。

このイメージが印象的でした。

「私」は、譲治の父親は黒人の血が混じった白人か、その逆かでそれが栗の実を思わせる引き締まった尻の形などに現れている、と観察する。譲治が北海道までの旅を完走したかどうかはわからないが、再びバイクなしで現れた譲治をガソリンスタンドで雇うことにしたのだった。
ガソリンスタンドに何気なく入ってきた近くに住む作曲家・室生淳はそんな譲治を一目見て気に入り、愛車BMW2000CSのワックスかけを依頼する。「私」は躊躇するが、譲治はBMW2000CSの虜となっていた。

室生氏(男性)は譲治に惚れ込み、譲治は室生氏の愛車BMW2000CSを性的に愛してしまう。ふたりは肉体関係を持つようになるが、譲治の目的がBMWであることを知って室生は激高する。
ふたりの言い争いを聞いた「私」がむしろ譲治を近しく思う場面に惹かれました。作者がこのふたりの愛情を疎ましく思っていないことがわかるからです。疎ましいなら書かないだろう、というのは無くて、それまで「同性愛を描いてそれを蔑む」という書き方の小説をうんざりするほど読んできたのでこの小説の同性愛そして物への愛でしょうか、そこに蔑視がないのは驚きだったものでした。
とはいえ、結末は当時なら当然と言えるもので仕方ないというものではありましょう。ただ、私がこの小説を好きでありながら、それ以上に五木寛之にのめりこめなかったのはそういうことだと思います。

五木寛之著で好きだったもう一冊「四月の海賊たち」にも少し触れます。
五木寛之氏の小説で当時まだ少女だった私は様々なことを学びました。
「わが憎しみのイカロス」ではBMWという車のこと、「四月の海賊たち」では美人局という言葉と意味。無論それだけでなく氏の小説にはまだ知らない大人の世界のいろいろが書かれていました。
「四月の海賊たち」は水野隆介という名前の男が語り手となる。今はもう「青春」という言葉を忘れてしまった中年の企業家が15歳の少女の美人局に遭い、そこで少女の仲間たちがラジオの海賊放送をするために金を必要としているということを知る。その金額は370万円だという。水野はその場で小切手を切る。
水野は彼らが絶対に成功しないことを予感する、という物語でした。
だが、いつまでも若い頃の思いを断ち切れないでいる自分も感じているのです。
この小説もそして多くの他の小説も甘い結末にはならない、というのが五木氏の持ち味でそこが魅力なのですが、なんでしょうか。それだからこその物語の逃げ、とも思えていたような気がします。
甘くならないことがかっこいい小説の決め方になっているのが逆に物足りなかったのです。甘い終わり方になることも勇気ある決断なのです。

amazonで見るとそれぞれ絶版のようです。古本とkindleで購入できるようです。
「わが憎しみのイカロス」

「四月の海賊たち」

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