福乃丸おじさんの遠足

福乃丸が飽きるまでちょこっと城めぐり!

島原城

2022-11-12 15:40:08 | 城めぐり

10月25日 長崎県島原市にある。

島原城 別名「森岳城」

元和4年(1618)に松倉重政が島原城の築城を開始したが、築城のための課役、キリシタンの弾圧、過酷な年貢などが要因となり農民たちが天草・島原の一揆を起こした。一揆は鎮圧されたが責任をとらされ松倉氏は断絶した。その後、城には高力氏、松平氏などが入り五重五階の天守を中心に3基の三重櫓が建ち平櫓は33基あった。明治になり建物は壊されてしまったが、昭和35年に西三重櫓、昭和39年天守、その後、巽三重櫓、丑寅三重櫓が再建された。

天守閣 今回は残念ながら天守閣外壁改修工事のため天守を見ることが出来ませんでした。(工事期間は2022年7月4日~2023年2月28日予定)

天守内部は見学できる様なので写真を撮ってきました。

1階はキリシタン展で島原の乱などの資料が展示してあります。

2階は松平家の鎧や島原城関係の文物を展示。

3階は庶民が使っていた生活用品の展示。

4階は物産コーナー、5階は展望所などは工事のため行けませんでした。

巽の櫓(西望記念館)

丑寅の櫓

三階の展望から熊本が見える。

西の櫓

 

 

 

 


出島

2022-11-11 07:37:08 | 観光

10月25日 グラバー園から出島に行ってみました。出島の周りは埋め立てられ高い建物に囲まれて、出島の雰囲気はありませんが見学してきました。

出島

1636年長崎の町の岬に徳川幕府の命により出島が築造されました。町の中で暮らしていたポルトガル人を収容し、貿易の掌握とキリスト教の広まりを防ぐ仕組みを完成させました。1639年ポルトガル船の来航が禁じられたのち、平戸で貿易をしていたオランダの商館が出島に移され、関学を初め日本の近代化に必要な情報の発信地として重要な役割を果たした。

表門 本来は川の中ほどにあったようです。

歴史的役割を終えた出島は、周囲の埋め立て等によって都市の中に埋没していきます。1951年出島の復元計画が動き出し、2016年に16棟の建物が建ち並び、19世紀初頭の出島の街並みが再現されてます。

 

建物の中には発掘されたものや、遺物、貿易品、生活展示などが見ることが出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


グラバー園

2022-11-10 07:28:34 | 観光

10月25日 長崎県長崎市にある。

グラバー園 1859年の長崎開港後に長崎に来往したイギリス商人グラバー・リンガー・オルトの旧邸があった敷地に長崎市内に残っていた、歴史的建物を移築し野外博物館として観光名所となっている。

 

グラバー邸 1863年に建築された日本の最古木造洋風建築。ここでグラバーと息子の二代が暮らしました。

グラバーさんが眺めていたであろう長崎港

グラバー像

リンガー邸 1868年頃に建てられた木と石が融合した住宅。リンガーは結婚を機に暮らしはじめ、親子三代に渡り生活しました。

リンガー邸からの眺望

旧三菱第2ドックハウス 1896年三菱重工業長崎造船所の第2ドックそばに船員の休憩宿泊施設として建てられたもの。

 

グラバーカフェ

 

 

 

 


大浦天主堂

2022-11-09 07:52:29 | 寺社仏閣お参り

10月25日 長崎県長崎市にある。

大浦天主堂 正式名「日本二十六聖殉教者聖堂」その名の通り、日本二十六聖人に捧げられた教会で殉教地である長崎市西坂に向けられて建てられている。2007年にユネスコ文化世界遺産に登録されてた。

グラバー道り 飲食店やお土産らが立ち並び、このあと観光客や修学旅行生などで原宿道りのようになってました。

グラバー道りを登って行くと正面に天主堂が見えてくる

日本の神徒発見百五十周年記念の碑

天主堂の拝観料は1,000円でした。中は撮影禁止です。

キリシタン博物館 長崎のキリシタン関連資料が展示しており、館内の資料や展示物は撮影禁止でした。

祈りの三角ゾーン 大浦天主堂・妙行寺・大浦諏訪神社という、教会・寺・神社が接するところ、私も写真を撮ってきました。

 

 

 

 

 

 

 


平戸城

2022-11-08 07:36:47 | 城めぐり

10月25日

平戸城 長崎県平戸市にある。別名「亀岡城・日の岳城」

慶長4年(1599)松浦鎮信は日の岳城を築いた。しかし徳川家康は豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いの目が向けられたため、疑いを払うため城を焼却、平戸6万1700石と民を守った。以後、城は築かれなかったが元禄元年(1704)松浦棟の時、新規築城が幕府より願いが許され享保3年(1718)日の岳城跡に平戸城が完成した。その後、明治4年(1871)廃藩置県により廃城し北虎口門・狸櫓を残して取り壊された。

天守 昭和37年本丸北東隅に三重五階の模擬天守が建造された。

城内は映像を使った体験型のアミューズメントになっており、クイズに答えながら歴史が学べるようになっている。

天守最上階から平戸島を結ぶ平戸大橋が見える。

見奏櫓

狸櫓

北虎口門

地蔵坂櫓