絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

真夜中の番組

2006年07月31日 09時04分14秒 | 子ども
有名な「朝まで生テレビ」は、最近「生放送」でないときがチョコチョコあります。
みんな忙しい?(…真夜中ですから忙しいということではないでしょう)
高齢化してきたので(特に司会者)徹夜に耐えられなくなってきたんでしょうか。

昨日(正確には今日になってからの)深夜の番組で
荒れる小学校のベテラン教師の追跡をやっていました。
最後のほうしか見なかったのでなんともいえないですが
たぶん、再放送でしょう。
小学6年の女子たちが、先生の言うことを聞かず、クラスが崩壊状態に
なってしまっていました。
はじめから見てなかったのでなんですが、この番組では親の姿は出てきませんでした。
(当然親も含めて対応しているはずなんですが)
女の子のたちのインタビューでは、まるでいまどきの女子高生のような
(いわゆる批判の対象とされるような女子高生)口の利き方でした。
そのこたちからしたら、「おじさん」のような先生なんて
魅力なし!ということなんでしょうか。
友だち感覚で接することのできない「大人」教師には
拒否の態度をとるということなんでしょうか。
この道17年の先生の疲労が、画面を通して伝わってきました。

先生の真摯な態度なんてそっちのけの、(子どもらの)だらしない日常の風景が
テレビ画面いっぱいに広がっていました。
テレビに映っているから気にする、なんてことはてんでなくて
いつもと同じ失礼な態度が、変わりなく展開されていました。
結局、卒業式まで先生は持ちこたえて、無事に?子どもらは
卒業していったわけですが、いまどきの教育の現場が垣間見えました。
(いや、実際はもっとひどいところも多いかもしれません)

うちは、自然教室のあとに小学校の個人懇談会がありました。
今年は新任の男性教師です。
私も特別言いたいこともなく、先生もうちの子がどんなふうだか
特に言わなければいけないこともないらしく?
盛り上がらない懇談でした。
あんまり話すことがないので、うちの子が常々私に訴えている
「先生は女子の味方しかしない、ボクのいうことをいつも無視する」
というのをちょっと話してみました。うちの学校の場合、5年でも
男子と女子はいまだに一緒にあそんだり喧嘩したりしているのです。
(特に喧嘩が多く、女子に負ける)

先生の答えは「高学年の女子は難しいですからね~」でした。
この担任の親御さんも教師だそうで、いろいろ情報をもっているのでしょう。
しかし、うちの学校の女子が、上記の深夜の番組の女子と同じではないわけだし
『触らぬ神に祟りなし』のような態度も困りますが
「はぁ。。。」としか、いいようがなかったです。
子どもの訴えや、気持ちというのより、自分の指導が行き詰る方が
困るんですね、きっと。
…ものいえば 唇寒し 秋の風 です。

懇談にいくときは、学校での様子を先生から聞き
先生は家での様子を聞きして、情報を交換するわけですが
こんなんじゃ、懇談なんか行っても意味あるんかな???と
最近強く思うようになってきました。
むなしいことです。。。

夏休みも10日経ち・・・

2006年07月30日 20時20分51秒 | 子ども
もう、そんなに経ったのですか…
毎日が同じことの繰り返しなので、なんか実感がありません。

今日はとてもいいお天気で、お出かけの方も多かったでしょうね。
うちは夫が朝の5時からゴルフでいないので
残るふたりはいつもと同じ生活で…

朝早いスタートだったので、夫は3時頃には帰ってきて
それからバーベキューの材料など、買いに行きました。

消し炭を使うのですぐに火がつくので
あっという間に食べられる状態になります。
(煙もほとんど出ないです)
日が長くなったので、7時前でもまだ明るく
ゆっくりコーヒーも飲めます。

今日のデザートは、中京ゴルフ倶楽部のお土産「アップルパイ」です。
うちの子はこのパイが大好き!
(ごくノーマルなパイですが、冷やすといっそう美味

無事帰還(大げさ)

2006年07月24日 12時40分42秒 | 子ども
自然教室から無事ご帰還と思いきや(12時少し前に解散)
もうさっそく遊びにいってしまいました。。。

ヒルにはお約束どおり?しっかり血を吸われて足首バンドエイドだらけ
体調を崩して欠席の子や、途中帰宅の子やら、
このお天気でみな調子悪いようでした。
うちも朝ちょっとしたことがありましたが
無事いっしょにできて、良かったです。(感謝

本人がすごく心配していた飯盒炊爨、
やっぱりチャッカマンもありだったようで、何とか頑張り
すごくおいしく出来て
先生にも「キミ、うまいね!」などと褒められ
すっかりご機嫌で帰ってきました。
(「かまど係」お疲れさま~~~~

日経新聞 プラス1

2006年07月22日 22時18分02秒 | 子ども
毎週土曜日にこの新聞には特集版がついてくる。
いつも楽しみにしているのだが、今日は中の記事に
子どものお子遣いについて書かれていた。
読まれた方もあるかと思う。
「国家の品格」がベストセラーになり、なんとか
品位ある国にならんものかと、有識者たちも奮闘しているが
このお小遣いの記事を読んだなら、みながっくりくるだろう。

わかりやすく、イラストなど入れて、
子どものお金の使い方や、子どもへの与え方などを書いているのだが
その一方法として、会社の給与のように明細で区別して与えていた。
たとえば「基本手当て」「勉強がんばり手当て」「お手伝い手当て」…
のように。
いくつくらいの方の案なのだろう?これを読んで
もう、自分は小学生の親として彼女らとは断絶の世代であると確信した。

もともと古臭い考え方と自覚しているが、
現役の母親たちは、こんなふうに子育てをしていたのか。。。。。
自分の周りには、この手の人はいないように思うが
それはもう、少数派ということなのか。。。

「お手伝い」にお駄賃、くらいはかわいらしいが、
これが毎月手当てとして加算されて小遣いが支給?されるなんて。。。
「自分のために」する勉強を、そのがんばり具合がお金になるなんて。

家庭のど真ん中に「お金」があるんですね、いまや。
そうなのか…お手伝いは家族の一員として当然のことで
それをお金に換算したりしないのが自分の考え方だったけど
もう、そんな話はどこにも通用しないとみた…

児童会がない

2006年07月22日 02時11分48秒 | 子ども
小学校つながりで思い出しましたが
うちの学校には児童会がありません。

前々校長の時代に「人気投票になっている」という理由で
廃止になったそうです。(ほんとにこの理由かなあ…?)
ちょっと異常な感じがします。(これも「独自の理論」てやつかも?)

ですから、子どもたちは民主主義の一番低レベルの形式すら経験できずに
小学校を終わります。(嘘のようなホントの話!)
社会で議会政治とか習っても、「話し合い」によって決定していくことや
意見を闘わせることがどのように実際行われるのか、経験しないわけですから
ほんとに、『絵空事』に過ぎないことになります。

子どもたちが自分自身で考え行動する、ということを世の中をあげて
言っていると思うのですが、現実にはこんな小学校が存在します。
仕組みとして、子ども自ら、ということを排除しているわけですから
そんな自主的な人を育てられるわけもありません。

また、3年前には、運動会においての紅白応援合戦も
廃止されました。
6年生の子どもが応援団長になって、紅白それぞれエールを送るものです。
これも、意味がない、ということで無しになりました。
こういう場面で、俄然張り切る子どもとかいると思いますが
活躍の場は失われました。(目立つことはいけないこと?)

学校も、口で言っていることと実際の行動が合致していない世界です。
ある種独特の理屈で回っている、それで済んでいく(特に小学校)
そういう社会であります。(多かれ少なかれ)
立ち行かなくなるのは『上』(市教委、県教委)がでてきたときだけです。

新聞の「ひろさちや」氏の記事に、「ほんとうのことはいうな」と書かれていて
「真実を言うことは相手を傷つける」とありました。
ほんとうにそうなのか?どんな場合も「真実は人を傷つける」だけなのか?
私には理解不能であります。。。
現実にこんな学校が存在し、自分の子どももそこで育つのです。
(学校とは、だれのために存在するのでしょう?)
ほんとうにこのままでいいのでしょうか?


スープカレー(名物じゃないよ)

2006年07月22日 01時30分30秒 | 子ども
キャンプのカレーで思い出すのは、水が多すぎて
しゃぶしゃぶの、スープのようなカレーが出来てしまったことだ。
子どもが火起こしのことを心配しているので
いっしょにしおりを見ていて思い出した。

以前、この5年生のPTA行事でカレー作りがなくなったことを書いた。
本部役員の「カレー以外にものに」という意向が反映されたが、そのとき
校長先生の『むしろ練習などしないほうがよい、そのときのいろいろな
失敗も思い出になるから』等々の発言があって、結局陶芸になったようだった。

行事は「カレー」でなくても良かったが、
この「ぶっつけ本番」主義には正直驚いてしまった。
なにごとも練習どおりには行かないものだが、「練習不要論」で考えるなら
教育そのものが不要となるのではないかと思う。
なぜなら、いわばさまざまなことの「練習」を教育の場で行っていると
思うからだ。

「芯のあるご飯」ができてしまった班、「スープのようなカレー」に
なった班、などなど、一生懸命同じ時間をかけてやっても
出来上がったものが明らかに失敗になってしまったとき
「それもよき思い出」と子どもは感じるのか?
・・・答えは否!である。

失敗も思い出のうち、などと言えるのは当事者でないものの気持ちだ。
現実に上手く出来上がった班だけが「やったー!」という
達成感を得ることができ、
失敗作の班の子どもは「こんなのになっちゃった。。。」と
何がいけなかったか、わからぬうちに食事が終わるのである。

あのとき、ひどいご飯だったね!…と笑って言えるのは、
もっと時が経ち、そのときの落ち込みが消え去ってからのことなのだ。
校長先生も、もう大人の時間を過ごしすぎて(50過ぎ)
子どもだった頃の気持ちを忘れてしまったのかな、などと思う。
(小さかった頃、自分はどんなふうにものごとを考え、感じていたか
もう覚えていないのか…)
子どもの目線って、小学校の先生にはとくに忘れてほしくないけど
「子ども時代の自分」をもう持っていない先生方ばかりのようだ。。。


キャンプを前に

2006年07月21日 10時19分16秒 | 子ども
今日から夏休み。お天気のせいか、全然そんな雰囲気じゃないですね。
依然として明ける気配なしの梅雨空です。
日曜日キャンプですが、天候もよくないようですね。
子どもたちも、おたふくやら風邪やらと体調崩している子もいます。
うちも、鼻水など出てきて大丈夫なのか!?


『いよいよ、待ちに待ったキャンプだ!』という感じがないので
何か心配なことでもあるの?と子どもに聞いてみました。
すると・・・自分は「かまど係」になったけれども、うまく火起こし出来るかどうか
すごく心配だ、「リネン係」も兼務だけどシーツとかどんな風に畳むの?
・・・などなど、「ちゃんとご飯ができるのか?」「役割が果たせるのか?」
そんなことを心配していて、楽しみにする余裕がないようでした。
まあ、いろいろな性格の子どもがいるので
全員がうちの子みたいに考えているわけではないでしょう。

まえに、授業参観のあとに、親子一緒の説明会がありました。
そのときの私の印象は、先生が「施設を絶対に汚さないように!」
「来た時よりもきれいにして帰りましょう!」ということを
強調していたことでした。
当たり前のことが守れないので、こんなふうに強くいわなければ
いけなくなったのか、もともとこんなのなのか分かりませんが・・・。
部屋での飲食は禁止なので、水筒のお茶を飲むのもロビーまで行って飲む
よう指導されていました。
自分の頃もそんなのだったかなあ、、、と
思い出せない記憶を手繰り寄せてみたりするのでした。。。



旅の始まりは・・・

2006年07月20日 00時25分44秒 | 子ども
旅というのは、その行き先がどこであれ、
行こうと思い立ったときからもう始まっている、といえますよね。

朝一番の電車に乗り、目的の駅に降りたつ、
あるいは機上の人となって遠い異国の地に舞い降りる・・・
いずれにしても、その旅を思い描いたときから
もうこころはすでにその地に向かっていて
あれこれと計画をたて、シュミレートするのを楽しむのです。
そして、出発の日には、いよいよそのことが実現するのですから
もう、わくわくしてしまうわけですね~~


・・・って、だれしもそうだと思ってたんですが
今度自然教室があるのですが、うちの子はなんか全然
わくわくしてないんですね。
どうしてなのかしらん。。。醒めてるというか。。。
『いよいよキャンプだね!』とか私が言っても
「それがどうしたん?」・・・みたいな感じなんですよ。
どういうことなんでしょうか。。。
なんか、悩みでもあるのか?と思ってしまいます。
班も、クラスの座席の班ですし
特別変わりないと思っているのでしょうか。

雨天でも飯盒炊爨できる、近代的な?設備があるようですが
作業そのものは、マッチをすって新聞紙に火をつけ、薪に燃えうつす
昔どおりのやり方ですね。(チャッカマンじゃないんですね)
マッチそのものが、もう生活から消え去っているようにも思われますが。

土曜スクール

2006年07月16日 21時46分08秒 | 子ども
去年からうちの学校は(うちの市では)2学期制をとっている。
前期は10月の初めの体育の日に連なる3連休前まで
その3連休を境に、後期が始まるのである。

去年まで、生活科や総合学習など、ほとんど遊び?のような内容
だったが、5年生になって、急に勉強らしい?内容になって
正直、びっくりしている。
とくに社会。去年の社会は、ほとんどこの自治体のごみ分別を
詳しく実践的にやったあと、リサイクル施設の見学などやって
1年の半分を費やした。
自分の頃と格段の相違があるのは、自分の頃は学習がまずデスクワーク
中心であり、「社会」などは自分の生活というより、日本全体を把握する
そういう観点で教育カリキュラムが作られていたということだ。
それによって、りんごの産地は知っていても自分の地域のことはよく知らない
というような弊害があっただろうことは否定できない。
日本全体を知ることも、自分の地域をよく知ることも大切なことなのに
どうしてこんなふうに、極端なことになってしまうのだろうか。

5年生の子どもたちが今やっている学習は、日本の地理を知った上で
成り立つものだが、果たして都道府県など全部わかるかどうか疑問だ。
また、算数では充分な問題の経験もなく、次の段階に移っていっている。
どの教科もそうだが、特に算数は土台となる部分がしっかりしていないと
その上に積み重ねることがなかなか難しくなる。
すでに今の段階でもう「お客さん」になってしまっている子どもが
ひとりやふたりではないことが、いままでの学習方法では立ち行かぬことを
物語っている。
こういう状況下でも、先生方にとくに危機感がないのは
私には理解できないことだが、きっと授業時数が足りないから仕方ない
というようなことで納得して?おられるのだろう。

この授業時数が足りない部分を補習授業という形で学習する
「土曜スクール」の実践が行われている地域がある。
それを担うのは、退職校長やボランテイアだ。
実施されているところでは、親だけでなく子どもたちにも好評のようだ。
ただ「勉強する」だけなら家でもできるだろうが
友だちと一緒に勉強するのが子どもたちにはうれしいのかもしれない。

学習にしろ生活にしろ、子どもをめぐる環境は激変している。
単純に昔と比べてみても詮無いことである。
しかし、教育を決定する『政治』も世論を無視しては行えないので
子どもの親たちは「政府が決めたのだから仕方ない」といわず、
思うところを声に上げていくべきではないかと、切に思う。

現在同居中

2006年07月12日 10時58分15秒 | 子ども
この前庭で救出したカブトムシの幼虫は
昨日まで動いていましたが、さなぎにはなれず
残念ながらご臨終となりました。。。

いまうちには、オオクワガタのつがい
かに、金魚、が同居しています。

かには、いつも行く子どもの床屋さんがくれました。
(う~~、くれなくてもいいんですが。。)
そんなに生きないからって言われたけど、もう3週間くらい
たちましたわ。

オオクワガタは1週間前にもらったものです。
(なんだ?もらいものばっかり。。)
ぴかぴかの真っ黒ですよ、元気みたいです。

金魚はね~、去年の11月に子どもが近所の収穫祭で
釣ってきたのの生き残り!?です。
・・・というか、この金魚、他の金魚を食べてしまったやつなんです。
鮒に近い形で、品種改良が色だけだから強いのか???
最初4センチくらいだったのが、今はなんと10センチくらい。

友だちと金魚の話で盛り上がっていたら、
もっとツワモノがいました。
なんと、縁日金魚を、バケツ飼育で3年間も飼っていた
人がいたんですよ!
バケツですよ、バケツ
それでね、餌はあまりやらなかったというんです。
最近亡くなったというので、「え~~~、それ餓死じゃないの?」
というと、「あ、忘れることが多かったからそうかも!?」
と言う返事にみな唖然

それにしても、ポンプなくても金魚って生きるんですね。
びっくりしました。。。

食育?

2006年07月09日 22時42分41秒 | 子ども
最近ホントよく聞くこの言葉。
何ですか?食肉?と間違えそうな…いやいやまじめな話で。。。

いつも行く美容院のお姉さんと話していて
その人のお母さんが畑をやっていて、毎日新鮮な野菜を
食べている、というのを聞いてうらやましく思った。
何が贅沢って、自分で作った無農薬野菜を食べるなんて
ほんと恵まれてる

そこまでできなくても、日々の食事を大切にするのは
当たり前のことのように思えるが、
近頃は当たり前が当たり前でない世の中なのだ、きっと。

今は田舎の団地に住んでいるので、消費生活も都会とは
比べ物にならない。
便利の良いところに住んでいた頃は、やはり、環境が
消費を促すようなところがあったと思う。
もう、家の中のこと何もかも、金銭でまかなえないことは
ないかのごとくの環境であった。
そういう中では、よほど意識的に自ら汗して食事など作らねば
家庭という形態そのものが単なる「同居」になりかねない
危うさがある。
(いまやそんなことさえ気にしないほどの事態かも?)

「同じ釜の飯を食った仲」という言葉があるが
人の暮らしの中で「ともに食べる」ということは
非常に大切なことの一つであるに違いない。

「おいしいね!」が飛び交う食卓
上の子が小さい頃はよくそんなことを考えていた。
いまは、子どもたちが独立した後、「おふくろの味」として
私のどの料理を思い出してくれるんだろう?と
ふと思ったりする。。。

はやね、はやおき、朝ごはん

2006年07月08日 10時37分28秒 | 子ども
前の記事で書いた「陰山氏」が提唱しているのがこれです。
「はやね、はやおき、朝ごはん」
こんなこと、いまさら言わなくても、って思いますが
わざわざこれを文科省の家庭教育の指針みたいにしているところをみると
いかにそれが行なわれていないか、またそれによって出る弊害が多いか
ということなんでしょうか。

この3原則と並び合わせていつも言われるのが
朝ごはんをとった子どもの方が、とらない子どもより成績が良い
というデータ、であります。
?成績上げるために朝ごはんとったほうが良いって?
そういう方面から攻めますか。。。
規則正しい生活が、成績アップのためなんて、ちと侘しいですぞ…

家族とは

2006年07月02日 17時30分49秒 | 子ども
木曜日夜に長男が帰省した。
就職する会社に呼ばれて東京まで出てきたので
祖父の見舞いがてらの帰省だった。

お兄ちゃんが帰ってくるというので
家の中がなにかちょっと華やいだ感じになる。
不思議だ。これといって特別なことはないのだけれど・・・。
年老いた親だけが住む家に子どもや孫たちが訪れると、
にわかに家の中が活気付く、それと同じなのかもしれない。

遠く離れた大学に入った頃は、
長男ひとり帰っていくのがかわいそうに思えて
(というか、自分自身が寂しくて)
弟と一緒に涙がこぼれたりしたが・・・

最近になって、親があれこれ指図せずとも
自分で考え行動していくだろうと、
子どもと自分を切り離して考えることがやっと出来るようになった。

人の一生の中で、親子が親子らしくべったりと一緒にいる期間は
実は短いのではないかと思う。
思い出とともに、親子していられた時代を振り返られることを
幸せに思う。



嵐のような

2006年06月15日 16時36分27秒 | 子ども
すごいお天気ですわ~~嵐のような。。。
ごうごうと、木が風に撓っています!
図書館から帰ってきたら、入れ違いになったようで
子どもはもう友だちのうちに遊びに行って
影も形もありゃしない
玄関に、書置き?あり。
う~~~ん、びしょぬれの足でよその家に~~~~

午後は学級文庫の選書作業でしたが
今年は一緒にやってくれる人がいるので
たいへん気が楽だし、ずいぶんスピードもアップできて、
感謝感謝なのです。
ブックリストつくりが非常に難しいのと同様
年齢に応じた?本選びは実際まじめにやればやるほど
決められなくなります。
(子どもたちの好みやレベルは同一ではないから)