絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

ユーウツ

2006年10月03日 14時10分20秒 | 子ども
また、子どものいじめによる自殺がありましたね。
教育委員会の人が出てきて、いじめと認定しない根拠として
「いじめという言葉は遺書には書かれていない」からという
答弁にのけぞった人も多いでしょう。
あんなに沢山の言葉が残っていて
それでも違うといいはる理由は何なのか
どういう感受性してるか、耳を疑います。
うちの子どもはいまは元気に学校に行っているけど
いつどんな風なことが原因でいじめのターゲットに
されるかわからない、どの子どもにもいじめられる
可能性はあると思います。

もうすぐ運動会があるのですが、そのリレーの組み分けが
先週だったか先生から発表されました。
うちのバカボンは、その組み分けに思わず文句を言った
そうです。
「え~~っ!あっちの組、速いやつばっかり~」だの
なんだのと、、、
そしたら先生が「そんなことない。A君(バカボンのチーム)は
速いよ!そういうB君(バカボンのこと)は30人中20位だよ。
チームの中では、6人中あんたは5位。
チームが速くなるかどうかはあんたの頑張り次第」と
言われたそうです。
家に帰ってくるなりプンプンして事の顛末を
話す子ども。「みんなの前で順位言わなくてもいいじゃん」と
ものすごく膨れていました。
「そんなこと文句言うからだよ、春にやったスポーツテストの
結果で均等に振り分けてるんでしょ」
と子どもには言って置いたけど、これってなんだろう?

スポーツテストの結果表を見ながら
クラス全員の前で「遅いのはあんた!」と
公表する、それってどうなの?
「50メートル走の結果で均等にしたよ」と
いう指導で事足りるのに、文句?いった奴を
徹底的にへこます指導。。。
自分の子どもからこの事を聞いた女の子のお母さんが、
「あんなこと言わせとったらいかんに!(名古屋弁)
文句言ってかんと!!」と私以上に怒っていました。
「すごく子どもたちびっくりして、自分の順位も
言われるんじゃないかとびくびくしたって。」と
憤慨していました。
「うちの子だったら泣いちゃうよ」って。

9月になってから、この先生の言動がちょっと
おかしいんです。
子どもの話によると、授業中とてもうるさくなってきたらしく
手を焼いてる子どもにうんざりしている様子が
10歳の目を通してもわかるようです。
(バカボンは毎日誰がこうした、先生がこのときこう言っただの
べらべらしゃべる)
すっかり、指導が面倒になってきているんだか。。。
だからといって、子どもの気持ちを傷つけるような言葉を
言って良いはずがないけど。
これを、先生本人に言って、果たしてわかってくれるのか?
「そういうつもりはなかった」で終わるのでは?
かえって、子どもに対して悪感情を持つ?
微妙です。

旗当番

2006年09月22日 10時21分34秒 | 子ども
都会ではこういうの、実施が無理かとも思われますが
うちのほうでは健在です。
今日は朝から、子どもたちの集団登校の交通安全の旗当番でした。
危ないと思われる交差点に立ち、ばかでかい赤の旗(横断中の文字)を
掲げて、子どもを安全に渡らせる係です。
当番で、毎日そこの箇所には親が立ちます。

かつては校区内のどの地域でもやっていたのですが
子どもが減り、人数少ないからといって
そこの地域の役員の一存でこの安全当番をなしにしたところが
ありました。
PTAという組織の中の一役員であるのに
学校や先生になんの相談もなく、こんな重要なことを
実行するというのが、自分には耳を疑うことでしたが・・・
(というか、こうしますね、といって実施してしまったらしい)

もっとびっくりしたのが、その理由。
危ないと思われる箇所を通るのは3人程度で
自分の子どもは(家の場所からして)そこを通らない、
自分の子どもも通らないようなところの旗当番に朝もはよから
行く必要はない、ということでした。
同じ地域の子どもで、同じ小学校に通う子どもであっても
そんなふうに、切り離して考えられる思考形式に驚くとともに
この手の論理に乗っかる人が結構いるのにもびっくりしたことでした。
自分の労力をものすごく惜しみます、そして、
「奉仕しない」ためにはありとあらゆる労力を使います。

いわゆる「若い人」ではなく、むしろ小学校では年長になる人たちなので
こういう人たちが主導権を握ったとき、子どものためにするさまざまなことが
『保護者の負担軽減』(どこから借りてきた言葉?)とかいって
切り捨てられました。
問題がおこったときには実質的に無力なPTAという組織は
問題が生じるのを予防する働きとして、いろいろな活動をして
ネットワークつくりをするのがその役割と思いますが・・・
そんなこたぁ、暇な人がやってよね!と一言で切られそうです。
(彼女たちは自分のことで忙しいのです)
そういう人には「おたくの子どもさんも、みんなが世話してくれてるんだよ」と
言い返しましょう。
(奉仕している人はみな何も言い返せない気弱な人ばかり



受験の話題で

2006年09月20日 01時00分51秒 | 子ども
「数学」のでき不出来が進路を分けることは前にも書きましたが
成績を上げるのに、実際最も困難なのは「現代国語」ではないかと
思います。
「古典」「漢文」は「英語」に近く、暗記プラス積み重ねでクリアー
できるものですが、この二つは高校1年の段階で味方につけて
おくべきです。そうしないと、着実に点数取れる部分を
2年や3年でやっている暇はないと思うからです。
(吸収のいい子どもさんは別ですが)

古典文法は、文法の本の裏表紙かにまとめて一覧になっている
あれを丸暗記、活用と接続、助動詞助詞の意味を把握し
文法の練習問題をやればできるようになります。
さして時間や労力のかからないこの作業を後回しにすることによって
国語そのものが鬱陶しいものに変わっていく場合もあります。

本題にもどり。。。現代国語の点数を上げるには、では
いったいどういうことが必要なのでしょうか?
教科別対策法、などと本もいろいろあるでしょうが
結局はありきたりなことしか書いてなくてがっかり、
ということも多いですね。
現代国語も、やはり、問題文をよく読んで、などと
言われなくてもわかっている、とっくに実行していても効果が無いぞ
というものが多いと思います。
本をたくさん読んで、とも言われていますが、本当に
そうなんでしょうか?受験期になって本をたくさん読めば
自動的に現代国語で点がとれるようになるでしょうか?
とても、そんなふうには思えません。

もし、長文を読む習慣がないならば、やはりできるだけ本を
読むようにすべきでしょうが、その際に「なぜ?」という問いかけを
自分のなかに常に持っていることが大切ではないかと思います。
新聞でも、小説でも随筆でもいいのですが、
なぜこのように筆者は書いたのだろうか、あるいは感じたのだろうか、
というような思いを持ってその文章を読む、ということです。
書き手の気持ちに沿う、ということが
すなわち、出題者の意図をも見つけ出すことになるからです。
これは、案外実生活のコミュニケーションのとり方と
似ているかもしれませんね。
(以上、昔とった杵柄から)




どうしたら(続編)

2006年09月20日 00時20分43秒 | 子ども
どうしたら子どもが勉強するようになりますか?という
実にストレートな質問に、何も答えられなかった私ですが
また、受験についても、何も成功体験があるわけでもありませんが
親と子どもという関係でいえば、
子どもが受験というハードルを前にしたとき
どんなことを考え、どちらに向かって走っていくかは
それまでの親の(子どもに対する)姿勢というか、方針というか
もっといえば、親の人生観というか
そういうものが、大きく関わっているのではないかと
渦中でなくなった今、ふと考えます。
受験期になったからといって、急に「勉強だ!」と
騒いでも、子どもの中に「具体的な展望」がないのではないかと
思うのです。

子どもが、親の指し示す道にそうかどうかは別として
親は、人生経験の浅い子どもにかなり具体的な世界観(人生観)を
教授すべきであると思います。
自分の歩いてきた道がどのようなものであったか、
それが良かれ悪しかれ、今の自分があるということを
率直に話してやることが、より子どもは自分のこれからを
夢物語ではなく、実直にイメージできると思います。

人はいくつもの人生を生きられるわけではありませんから
自分はどういう風に生きていきたいのか
実現するかどうかはわからないまでも、実現するためには
どの道を歩いていったらよいのか、
そういうことをより具体的に考え、今勉強することは
将来の自分の道のはじまりであるということを
子どもとよくよく話し合うことは大切なことのように
思います。

結局は、やるしかない、ので
いずれにしても頑張ってもらうしかありませんが
「どうせできない」などと決して投げやりにならないよう
その子どもができてもできなくても
親にとって、何者にもかえがたい大切な存在である、ということを
何よりいつも言葉に出して親は伝えないといけないでしょうね。
(意外に「大切な子どもだよ」と言っていない親が多い)




難しいのは

2006年09月15日 23時52分39秒 | 子ども
2002年導入の新しいカリキュラムでは
学習内容がそれ以前の3分の2に削減されたことは
もうほとんどの親が知っている。
小学校、中学校と同じように減らされた。
それでは、高校受験の際には減らした内容のみから
出題されるのだろうか?その辺のところ、よく知らない。

はっきりしているのは、高校に入った、その先は
かつてと同じ内容のものが待っているということだ。
つまり、小中とものすごくはしょった勉強しかしなかった
そのつけを高校で払わされるということなのだ。
これって、結構大変なことです。


どうしたら,,,,,

2006年09月15日 23時11分01秒 | 子ども
昨日の研修会で、なんと10年ぶりに再会したお産仲間の人に
「唐突なんだけど、どうしたら子どもが勉強するように
なりますか?高校受験、お兄ちゃんのとき、どうでした?」と
聞かれました。
「う~~~ん、いい方法があったらわたしが聞きたい」と
言いたいところ。実際、なかなか親の言うことは聞かず
同じことを友だちや近所のおじさんとかに言われると
変に納得してたりしましたっけ。。。

なにか、実践的なことを言ってあげたかったけど
研修の直前で時間もなく、タイムリーなことを
言えず、申し訳なかったです。
電話番号を教えて、といわれたので、これでいつでも
あの人が時間あるときに電話してこられるでしょう。

それにしても、受験というのは
まじめな親であればあるほど、なかなか息苦しいものです。
自分でないところが更に鬱陶しく
気ばかり揉めて「ダイジョーブカ~~~」コールが
こだまする毎日でした。。。(うちの場合)

よく、口は出さずに見守って、とかカッコイイことが
受験生の親としての心得だのっていうけれども
ほんとにそういうふうに「客観的」になれるのか?
一喜一憂、右往左往・・・本人以上に冷や汗たらたら・・・
よほど無関心な親以外は、みな似たようなものじゃないのかしらん。

蒸し暑くて

2006年09月09日 14時15分19秒 | 子ども
ものすごい湿気ですね!
蒸し暑くて、こんな日は熱中症に気をつけないと
いけないですね。
2,3日前までのあの涼しさはどこへ。。。

今日は小学校の行事で、そのあと地域に歩道橋をつくってもらう
ための、住民と市との話し合い?がありました。

沢山来ないと圧力にならぬ、ということで動員かかりまして
参加しましたが、もうつくることは決まっているという報告でした。
あとは、実現がとてもゆっくりで、それに対して『早くやれ』だの
『もともと、どうして作ってないのか』というそういうことを
かわるがわる述べていました。(参加した人)
すごい人数で、それだけ関心が高いことがわかりました。
中心はうちの小学校で、前小学校校長が通学時の子どもの安全面への危惧から
PTA会長とともに市へ歩道橋を作ることを要請した
ことがきっかけでした。

この話し合いに(前々からお聞きしていた方ですが)
遠い地区の子どもたちを、毎日!!下校時付き添って帰って下さる
年配の方が参加されていて、初めて拝見いたしました。
短く現状を述べられ、歩道橋の早期完成を要望されていました。

いろいろ口だけは偉そうなことをいう人が多い中
この方のように、全くの自主的な行為、しかも孫がいるわけでも
実際にその地域に住んでいるわけでもなく(少し横の地区)
「自分が元気なうちは少しでも役に立てば」というのは
実に頭が下がることです。
毎日!!というのが本当にすごいことなんです!
自治会長とかそんなのじゃないんですよ、民生委員というのでも
ありません。いわば「ただのひと」です。一住民です。
自分も地域活動ちょっとはやっていますが、
とてもこの方のようにはできません。
(まあ、子どもが小さいこともありますが)

せちがらい世の中ではあります。
自分、あるいは自分の家族、それが大切なのは言うまでもありません。
しかしそれ以外の他者に対して、自分は何かできるのか?
そういうことを考えさせられる、今日の説明会でした。

9月初めの

2006年09月07日 21時23分26秒 | 子ども
今日は、9月に入ってはじめての読み聞かせの日でした。
うちの学校では本読みのサポーターの活動は結構盛んで、
各クラスに年間4回位入ります。(延べにすると52回くらいかな)
それとは別に、聞きたい子どもだけ集まってするものを
(異学年合同の読み聞かせ)ほぼ毎週1回行っています。

うちの市内で他の小学校でも読み聞かせを保護者や地域の人に
やってもらっているところがありますが
うちの学校ほど頻繁にやっているところはまずないと
思われます。その理由は、保護者の全面的な協力もさることながら
やはり当初これを導入した校長先生が
「読み聞かせの効果」について体験的に知っておられて、
面倒がる他の先生方を説得して、子どもたちに新しい学習環境を
提供しようとしたことが大きな一因であったと思います。

当たり前のことですが、保護者がどんなに頑張っても、
学校運営の主導権を握ることなんてできないのです。
保護者に出来るのは、あくまでも「協力」です。
それでも、無関心に放っておくより関わっていった方が
子どもたちにとってはるかに良い環境を作り出すことができます。
(それは、本読みに限りません)
最初は胡散臭く思っていた(だろう)先生方も
徐々に理解を示しつつあります。
積み重ねと信頼関係は、まさに正比例するわけで・・・。

今日はずいぶんと蒸し暑く感じられましたが
異学年合同の本読みで、相方の人が忘れたのか来てくれなくて
ひとりで20分、40人以上を相手に汗だくになりました。
3冊も読めてしまいました。。。

始める前に、先生か事務の人に「これから始めます」の
放送をかけてもらうのですが、1分もしないうちに
最初の2,3人が走りこんできて、あれよあれよと言う間に
低学年の子どもで図書室がいっぱいになりました。
静かに、ときどきクスクスッと笑いも有り
じっと絵本を見つめています。

読み終わって、また来週もあるからね、などといいながら
片つけようとすると、読んだ本を見ていい?と女の子が
寄って来ました。ゆっくりとした落ち着いた時間・・・
半分くらいの子どもが、終わっても自分で本を選んだりしています。
なかなか素敵な光景なのです。



防災の日

2006年09月01日 15時25分38秒 | 子ども
今日は防災の日、子どもの小学校では児童引取り訓練が
行なわれました。
災害時に、子どもを引き取りに来る訓練です。
わたしは、その前に読み聞かせのスケジュールを決める
会議があったので、そのまま引き取って帰りました。
でも、10メートルくらい離れて歩いて帰ってきたので
前から来るよそのお母さんに
「全然引き取ってないじゃん!」と言われてしまいました

うちの小学校では、マチコミ、といって
不審者出現のときなど、メール配信を利用できるんですが
このメールで、引き取り訓練のための災害時メールが発信され
本物と間違えた親が、親戚中に電話するなどして
とても大変なことになったことがありました。


やっぱり、訓練のときは、『これは訓練です』と
明確に表記したものを発信すべきかと思いました。

大雨

2006年09月01日 08時18分53秒 | 子ども
今日から9月。新学期の始まりですね。。。と
いいたいところですが、この地域は2学期制なので
途中なのですが・・・。

明け方からすごい降りです。
昨日は九州地域がすごかったみたいですね。
地面から水が吹き上がっていました。


夏の終わりは急にやってくるのか
それとも、、、この雨があがったらまた逆戻りなのか、、、

なんとなくぼんやりして、覇気がないイマイチの朝です。

固定観念

2006年08月16日 23時21分41秒 | 子ども
この春から子どもが塾の勉強する?コースに入りました。
強制したわけではないのですが、友だちが入るからという
安易な気持ちで子どもは自分から「このままではいけないと思う」とか
言い出して。。。ホンマかいな。。。

想像以上の、半端でない学習量。。。
いや、別にやらないならやらないで過ぎていかなくもない。。。
でも、こなさなければ、ただのお客さんになってしまいます。
そして、確実に『勉強』が大嫌いになるでしょうね。

自分はいままで子どもにとってもっとも大切なことは
『遊ぶこと』だと思ってきました。それは今でも全然変わりません。
ただ、このいわゆる中学入試向けの学習というのが、かならずしも
自分が思っていたようなものではなかった、
大いに遊んで関係づくりを学んでいくということを阻害するものではない
(確かに時間が限られてきたが)
むしろ『思考する』ということを、この頭の柔らかい時期に鍛錬するのは
弊害ではないと、いまさらになって気づいたのでした。

もう、自分自身の頭は朦朧としてきていますが
子どもたちの解いている算数は、中学高校の数学のように
公式にはめ込むのでなく、物事を単純化して小学生の頭で
解けるようにできています。
これを解くのはいいのですが、いざ子どもに説明しようとすると
すごくややこしい説明しかできないのです。
数学得意の夫も撃沈…

4ヶ月たって、やっと、私が理解し始めたというのが現実です。

国語の本文はもっと難しいのがありました。
こんなの、高校生でも本文の意味わからないんじゃないかと
思いました。しかし、小学生は自分のわかるところだけを
掬い取ってくるというおそろしい技をもっているので
本文の真意!?を納得しなくても問題には答えられるという
変な現象が起きるようです。

は~、摩訶不思議な世界
自らの固定観念を突き崩す一学期でした。。。




今日はオフにしよう

2006年08月13日 11時05分20秒 | 子ども
ずっとこどもの学習を見てきたけど、今日は何もやらないことにしよう。
(昨日テストが終わったので)

新聞に今度の国公立大学の入試要項の簡単なものが出ていましたね。
8月に大方がわかり、10月にはセンター申し込みでしたっけ?
あれよあれよという間に、1月の本番がやってきてしまいますね。
つまり、高校3年生というのは、年度内に受験が終わってしまうということです。
これはほんとにいびつな状況の試験というしかないと思います。
だって、まともに1年ないわけですから、その年のカリキュラムは
後半ないのと同じなのです。
(いまどきこんなこと言って、とお思いでしょうが)
これに対応して中高一貫では、内容を前倒しして学習し
最後の一年は演習に当てるというところも多いと思いますが
この、先取りの無駄のない、受験に有利!とみえる学習が
実は未消化のまま過ぎて、逆に学力を落としていく原因に
なっている場合もあります。
なんでも早けりゃ良いってもんじゃないのです。
従来6年かかってやるものを、5年弱で終わらせようとすると
どうなるか?付いて来られる子どもだけ、生き残ります。
全体の底上げをやろうとすれば、教える側の決死の努力がないと
できません。カリキュラムだけ受験対応ではだめなんですね。

近頃よく取り上げられている、愛知県の「岡崎」「一宮」高校が
東大合格を30人弱にまで増やしてきたのは
先生たちの「決死の努力」なくして到底成り立たないと思います。
勤務時間だの労働の搾取だの言っていたら、
子どもの「やる気」に答えることなんてできないでしょう。
大学進学が人生のすべてだなどとは思いませんが、
「いま、自分は何をすべきときか」
その問いかけに真剣に答えようとする教師たちの踏ん張りに
敬意を表したいと思います。
(でも、20年位前はそういう8限目補習とかやってたんですよ)


またまた食育

2006年08月11日 09時13分47秒 | 子ども
昨日、またアイロン掛けしながらTVを見てましたら
「食育」のことをやっていました。
ある小学校で、保護者に朝と晩のご飯のメニューのアンケートを
写真添付でとっていました。
もちろん、指導もしていろいろな成果をあげていたようでした。

私がドキッとしたのは、その実際のご飯の写真の中身!です。
滅多にはいないでしょうが、夕ご飯がファーストフードとか。。。
絵としてインパクトがあるから採用してるのでしょうが。。。

自分の家の朝ごはんも決して自慢できないものです。
冷蔵庫にあるものご飯ですから。
多人数の場合は、核家族のような手軽なご飯というわけには
いかないでしょうね。

うちの子たちは、いわゆる「朝のパン」トーストとかが嫌い、食べない
ので、ふりかけ入り海苔巻きとかにして…めんどうだ~~~
そのまま、白いご飯(うちは玄米飯ですが)で食べていって~~~
と思いますわ。
あと、サラダとか出しても(平日の朝は)食べないから
結局果物やヨーグルトだの、目先を変えてみたり。。。
あと、暑くても!味噌汁やスープの熱い汁物を「飲んでいきなさい!」
と朝から雷を落とし。。。

かくして「食」ひとつとっても、果てしなく子どもとの戦いが続く
我が家でした。。。

夏を制するものは

2006年08月07日 00時15分31秒 | 子ども
するすると、8月も一週間が過ぎようとしていますね。
この夏をどう過ごすかが受験にとってのひとつの鍵になる、と
いつの時代も言われ続けてきました。
受験生の親御さんにも、気のもめる季節であります。

大学受験、高校受験、中学受験、あと小学受験というのもありますね。
幼稚部の受験もあったか。。。

大学受験についていえば、共通一時、センター入試などを経て
やがては、またかつての各大学個別の入試に回帰していくのでは?
という予測も一部ではあるようですが、どうなんでしょうか。
前期後期という形式も、やがてなくなってしまうかもしれませんね。
(すでに廃止の大学もあるように聞きます)

大学を選ばなければ、数的には希望者全員がどこかの大学に入れる
大学全入の時代がすぐそこにきていますが、
相変わらず、予備校や塾が流行っているのは少しでもいいところへ
入りたいという気持ちが(親も子も)あるというあらわれなんでしょうね。

一方で、雨後のたけのこのように生まれた大学のなかには
定員割れや経営が成り立たず、合併!する大学やら
もう崩壊寸前の大学やら、いろいろ有りで…。

かつて、国立の大学が一期二期と別れていた時代は
一期校を落ちた場合には二期校を受ける、という選択肢がありましたが
今の前期後期の受け方では、なかなか前期落ちたら後期で
というわけに行かないような気がします。
(とる人数が極端に少ないということもあります)
後期を捨てて、私大に行ってしまうケースが多いのではないでしょうか。
それも家計が許せば、という選択でしょうけど。
受験料も高くなってきています。
国立もしかりですが、私大はさらに、そして何校も受験すると
ほんとに「受験貧乏」になってしまいそうです。
こうして考えてきますと、何事も自由に選択できる世の中だといえるのは
経済に余裕のある層だけのお話だということに気づいてきます。
(浪人すれば、その一年で予備校費用や受験に関するお金が200万はかかります)

現状で、極力出費を減らし、かつ受験生の滑り止め(←あ、禁句だ!)に
ついての労力を最低限にしようと思うなら、
センター入試の点数だけで(書類提出のみ)合格を出してくれる大学を
スペアとする方法があります。
受験料も(つまり実際には受験しないわけですから)安く
本人も疲れず、本命に向けて準備することができるでしょう。

ただし、早大や慶大はセンターの点数とあと二次試験や面接などが
あるので、書類だけでは受かりません。
中央大、明治大、立教大などが(うちが受験した4,5年前は)
センターの点数だけで合格出していました。(全学部ではありません)
そのような大学では「滑り止め」として気に入らないという方には
お勧めできませんが…
でも、滑り止めというのは、実力よりもはるかに低いものを
いうのであって、「受かれば行きたい大学」といったら
それはもう「滑り止め」ではなく「希望校」といえるような気がします。

上に書いた大学の場合、その選択は数学を捨ててしまうとなくなってしまいます。
(というか、数学選択有りで、私大専門でくる学生を排除できる)
苦しくても数学を捨てず、最後まで歯を食いしばっていれば
道が開けることもあります。
捨てたからといって、他の教科が画期的に上昇するとは限らない
気が楽になって、ゆっくり勉強できる、それだけのことではないでしょうか。
(以上、自分および子ども受験の体験から)
ともあれ、やるしかない!のですから、がんばれ受験生

今年はどうなるか

2006年08月02日 08時57分22秒 | 子ども
毎年夏休みには、子どもと一緒に演劇やミュージカルなどの生舞台を
観にいくことにしています。
映画もいいですが、大人たちがお話の世界を(一生懸命に)作り出そうとする
生の舞台はまた違う迫力があると思います。
普段はあまり無いように思いますが、夏休みは子どもも楽しめる
いろいろなものがあります。

前は、万博の開催がらみのいろんなイベントが子ども向けにもありましたが、
(地域柄)いまはもうないみたいですね。(あたりまえか…)
大きな劇場もいいですが、出演者の緊張が伝わってくるような
ごくごく小さい劇場も好きです。
難しくても、そうでなくても、
子どもは自分なりにそれらを受け止めて、
何かしら、漠とした印象を持つようです。
今は、その感情が何なのかわからなくても、やがて大きくなったとき
それが蘇って【思い出】の一コマとして残ればいいな、と
思います。

でも、今年はまだ何も予定していないし
探す意欲も失せています。。。。。
なにかいいもの、あったら教えてください~~~。
(中部地域限定ですが)