絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

スープカレー(名物じゃないよ)

2006年07月22日 01時30分30秒 | 子ども
キャンプのカレーで思い出すのは、水が多すぎて
しゃぶしゃぶの、スープのようなカレーが出来てしまったことだ。
子どもが火起こしのことを心配しているので
いっしょにしおりを見ていて思い出した。

以前、この5年生のPTA行事でカレー作りがなくなったことを書いた。
本部役員の「カレー以外にものに」という意向が反映されたが、そのとき
校長先生の『むしろ練習などしないほうがよい、そのときのいろいろな
失敗も思い出になるから』等々の発言があって、結局陶芸になったようだった。

行事は「カレー」でなくても良かったが、
この「ぶっつけ本番」主義には正直驚いてしまった。
なにごとも練習どおりには行かないものだが、「練習不要論」で考えるなら
教育そのものが不要となるのではないかと思う。
なぜなら、いわばさまざまなことの「練習」を教育の場で行っていると
思うからだ。

「芯のあるご飯」ができてしまった班、「スープのようなカレー」に
なった班、などなど、一生懸命同じ時間をかけてやっても
出来上がったものが明らかに失敗になってしまったとき
「それもよき思い出」と子どもは感じるのか?
・・・答えは否!である。

失敗も思い出のうち、などと言えるのは当事者でないものの気持ちだ。
現実に上手く出来上がった班だけが「やったー!」という
達成感を得ることができ、
失敗作の班の子どもは「こんなのになっちゃった。。。」と
何がいけなかったか、わからぬうちに食事が終わるのである。

あのとき、ひどいご飯だったね!…と笑って言えるのは、
もっと時が経ち、そのときの落ち込みが消え去ってからのことなのだ。
校長先生も、もう大人の時間を過ごしすぎて(50過ぎ)
子どもだった頃の気持ちを忘れてしまったのかな、などと思う。
(小さかった頃、自分はどんなふうにものごとを考え、感じていたか
もう覚えていないのか…)
子どもの目線って、小学校の先生にはとくに忘れてほしくないけど
「子ども時代の自分」をもう持っていない先生方ばかりのようだ。。。


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