絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

「文庫」出身

2006年06月11日 15時18分21秒 | 子ども
いまは、全国的に小中学校とも朝読書が奨励されているようだ。
この「朝読書」というのは15年ほど前、千葉のある高校で、
建て直しのために実施され大いに効果があったとして
その女性校長とともに有名になった。(それ以前からもあったが)
良いことは真似しよう、ということで全国的に広まったのだろうか。

こういう公の場で奨励される読書運動とは別に
上の子が赤ちゃんの頃「草の根」ともいえる読書運動が
非常に盛んだった。
西の「文庫」、東の「親子読書会」といわれ
全国的に、母親を中心に児童文学者や教育関係者も含め
みな一生懸命「子どもたちに良い本を」手渡そうと頑張っていた。
今から思うと、いわゆる団塊の世代のお母さんたちだったのだ。
すこぶるパワフルだった。

私の子どもは、大阪は吹田市の団地内にあった「わかば文庫」
でお世話になり、自分自身も絵本研究会や児童文学の講演会や
読書会など参加し、さまざまなことを勉強させてもらった。
「文庫」というのは、主に絵本の貸し出しと読み聞かせを
有志で行なっているところである。
(個人的なものや形態はさまざまだが)
転勤族がほとんどだったので、みなそこから全国へ散っていった。

自分ものちに東京転勤となり、当時通っていた図書館の館長から
「親子読書会」の開会の依頼があり
同じように子連れでお話し会にきていた人と
協力して開くこととなった。
…といっても、図書館司書のお姉さんたちと一緒に
お話し会を開いて、クリスマス会のときなどは協力して
人形劇やクイズをやるだけだったが。

何年かのち、自分の地域の移動図書館が廃止になることを機に
地域の児童館の一室に、地域文庫を開設した。
当時はまだ「ユネスコ100冊文庫」とかがあって
地域文庫を開催したいと申請すれば、ユネスコが選んだ良書を
進呈してくれる事業があったので、それと図書館の廃棄本や
自分の本などを集めて始めた。
そのとき、自分の知り合いだけでなく児童館の人や図書館長や
さまざまな人が協力してくださった事は忘れられないことだ。

それからまた転勤し…
ここへ来ての10年は、ほとんど何もそれらしいことはしてこなかった。
下の子が生まれて…など理由はいろいろあるが、実際この地域で
子どもの本関係のことでは、魅力的なものを何も発見できなかった。
それは、自分自身の精神の枯渇に原因があるのかもしれなかった。

そして、また時は流れた。市の図書館のボランテイアの数を見ると
この地域でも、子どもたちに読み聞かせをしてあげたいと
思ってくれる人は結構たくさんいることがわかった。
でも、決して「読み聞かせが活字離れを防ぐのだ」などと
声高に言うのはやめてほしい。
それは、教育の場で言うべきことだ。
本を読んで貰うのは、あくまでも楽しみや喜びであって、
実利に走るようなことではないだろう。



生活者

2006年06月07日 08時56分01秒 | 子ども
昨年度からPTA費の図書充実費で本を買うことになった。
この予算は例年当てられてきたが、課題図書を一部買うに留まっていた。
(選書は先生方)
本がないのに、予算もついているのに充分買わないのはどうしてなのかと
誰しも思う。(これは市の教材費ではなくPTA費)
いろいろと、今のわたしのように保護者が実態を知ってくると
都合の悪いことがある。(立場をかえてみれば、すぐわかる)
まっとうなことをしようとすると仕事が増えるのだ。
転任、あるいは新任できたときには「なんだ!?」と思っていても、
1年後には「仕方ない脳」になって、流されていく。。。
一方で、仕事を減らすのが使命と思っている人たちもいる。
「わたしたちは生活者だ!」とその人たちは声高に言う。

昨年うちの学校に産休育休で通算6年ブランクのあった先生が
復帰してきた。(休業する前の学校に復帰)
しかも4月からではなく、9月から。
この1学期間は、新卒の常勤講師で賄った。
復帰がわかっていたが、充分権利を行使したわけだ。

担任された子どもの側からみてみると
せっかく慣れてきた先生が1学期で去り、2学期にまた一からだ。
せめて4月から来てくれてたら・・・と親たちは言っていた。
これも、みんなが目いっぱい取るから取って当然と思って
休業するのだろう。(「とらない選択」なんか先生たちには想定外)

この同じ年に隣接する幼稚園の担任が、1学期半ばに復帰してきたら
もう産休手前の状態で、また9月から講師で賄うことになった。
つまり、1年保育の間に3人も担任が変わったのだ。
もうここまでくると、開いた口がふさがらず
「生活者」ってそんなに待遇がいいのかと思ってしまうのだった。

参観日

2006年06月04日 23時20分06秒 | 子ども
昨日は土曜日だが、参観日だった。
2,3限とあって、4限目は自然教室の説明会だった。

算数と社会を見学したが土曜日なので結構お父さんたちも多かった。
うちのクラスは、比較的静かで落ち着いているようだった。
授業中の様子も、みなまじめに取り組んでいた。

内容は、算数は「垂直」の定義、社会は沖縄の自然と農業だった。
算数については、いつも思うのは「問題量」の少なさである。
ある定義をした後、それが定着するための充分な練習はなされない。
誰でもわかる部分は時間をかけてやるけれども、
そのあとの演習がほとんどない。ドリルも量は少ない。
この基本の上に中学の数学が乗っかっていくのかと思うと
空恐ろしい感じがするが、『赤信号、みんなで渡れば・・・』式なのか
いまのところ、特別苦情は出ていないようだ。

参観日、お母さん方の私語がうるさくて授業に集中できないクラスも
多い様だが、うちのクラスはなんとか静かだった。
社会では先生が沖縄のゴーヤやパイナップルを持って来て
『目に見える』農産物の出現で、子どもたちは大いに盛り上がっていた。


国語力!?

2006年06月02日 23時09分33秒 | 子ども
下の子が、小学1年生のときのことだった。
漢字一文字クイズの宿題をやっていたので、見ていたら・・・
『角(つの)があるけど優しくて、おっぱいの出るものなあ~~に?』
という問題に、子どもは躊躇なく『母』と書いていた
(正解は、『牛』)

その子が去年のはじめ(4年生)国語のテストで間違えたといって
帰宅しても憤慨している。
何を間違えたかと聞くと、「次の中から適当なものを選びなさい」という
問題で、悪いもの・当てはまらないものを選んだという。
どうしてそんな反対のことをしたのかと聞くと、
「だって、お母さんたち怒るとき『また、そんな適当なことして!!』って
 言うから、『適当なもの』はいけないものかと思ってた」と
バッサリやられてしまった。。。

嗚呼、自分の常日頃の言動の悪さよ、情けない
これからは気をつけよう。子どもに詫びることしきり・・・

小学校の図書

2006年05月30日 14時45分23秒 | 子ども
午前中、小学校のサポーターの仕事の、準備の仕事にいきました。
スケジュール表の印刷や連絡網の印刷、それを子どもさんを通して
保護者の方に配布します。
また、これから学級文庫に本を購入しますが、昨年の本が
現在どうなっているのか、その現状を聞いたり、
今年学校で買った図書のリストも貰います。
(重複を避けるため)

実際の作業は大勢の人で行いますが、それまでの準備は一部の人が
用意する必要があります。しかし、やがて自分の子も卒業していくので
現在何人かでやっているこのようなことを、
次の引き継いでくれる気持ちのある人へ
すこしずつ、バトンタッチしていかなければいけません。
一方、この活動を単に市教委主導に従ったものに終わらせないためには
トップ(校長、教頭先生)がわずかな期間で転任していっても
子どもの卒業の有無に関わらず、この小学校のことを考え
実行してくれるサポーターの人たちが大きな役割を果たすように思います。
本読みも大切ではありますが、わたしはむしろ、図書の充実・環境の方に
サポーターの存在の重要性があると考えています。
(本読みは先生方がすると、もっと子どもは喜びますね)

いままではなんにしろ、中央集権がずっとなされていたわけですが
これからは地方の自立という名目で、各自治体の責任は非常に大きくなり、
教育も住んでいるところで全く違うものになっていく可能性があります。
(何もかも、自治体の自己責任となる時代がやがてくる・・・)

これまで、そんなことまで保護者がするのかとか
それらはみな、先生のする仕事だとか言っていた人も
現状を本当にその目で見たならば、また、この自治体の経済状況を
知ったならば、そんな絵に描いたもちは何時まで経っても食べられない
ことがわかり、そんなこといっている間に、
子どもたちは大きくなってしまうのがわかるでしょう。
あれこれ、文句だけを言っていても、前には一歩も進まない。
まず、自分にできることからはじめようと、今は思っています。
(まあ、先の見えないことではありますが・・・)


学校図書館を考える会

2006年05月26日 15時29分13秒 | 子ども
この会は、全国にその支部があると思うが
うちの市にはない。
一昨年だったか、この隣の市の実践報告の会に参加した。
隣市の小学校では、全校図書室にパソコン配置し
貸し出し返却、図書の管理もみなパソコンでできるそうだった。
そのかわり、司書はいないので図書室は授業で使うときなど
限られたときしか開館しない。
地方自治体の財政状況によって
こういう子どもの本の状況も極端に異なるのだろう。
パソコン管理によって、図書室がごくわずかな時間しか
開かないのはどうかと思うが、電算化できるくらいなんだから
蔵書の量もうちの市とは格段の相違なのだろう。

子どもの小学校の図書室は本当に悲惨だ。
まず、絶対的に量がない。その上、その中身は昭和の本が
まだまだたくさんあり、新しい本は少ない。
それに、新しい本は「怪傑ゾロリ」シリーズなどの
エンタテーメント系が多い。。。
市の予算で毎年何十万かは買っているようだが…

学級文庫として、PTAの予算「図書充実費」から
図書を買ってもらうことにはなったが(昨年度から)
全13クラスで12万しかないので、焼け石に水、状態だ。
図書の寄贈も募れば本も集まるとは思うが、
こういうことをするにも、先生たちの手を煩わさないで行えるか?
ということをまず第一に考えないと先には進まない。
しかも、相談をしようとすることすら困惑気味なのだ。。。
(どーすりゃいいのよー)



ウミガメがすき?

2006年05月23日 23時51分00秒 | 子ども
ウミガメの海岸

フレーベル館

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小五の子どもはなぜかウミガメが好きなんですね~~。
特別なにか体験があるというわけでもないのですが。
この本は「ウミガメ」で有名な名古屋港水族館の館長さんが
書かれたものです。(今も館長なのかわかりません)
この水族館に行ったとき小さなカメのぬいぐるみを買っていた
のを思い出しました。

屋久島にいったときも、子どもの興味は「杉」ではなく
「ウミガメの産卵地」の海岸に行ってみたいということでした。
(がっくり…)時間がなくていけませんでしたが。。。
とにかく、屋久島はもっとたっぷり時間をとっていかないと
だめでした。効率よく、とはいきません。

それにしても何故カメなのかなぁ。。。(わからない)

理想の母親像

2006年05月20日 23時41分32秒 | 子ども
はなのすきなうし

岩波書店

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これは、見てのとおりずいぶん昔に出版された絵本ですが
わたしがこの本を知ったのは長男が生まれた頃、
いまから20年位前のことでした。
この本が2,3日前の日本経済新聞の夕刊のコラムに出ていました。
(小さい頃すきだった本のひとつとして)

本の題名のとおり「フェルディナンド」という名まえの主人公の牛は
闘牛用の牛としてはふさわしくない「ただ花の匂いをかいでいるのが好きな牛」
なのです。どんなにけしかけても、闘牛の役目を果たそうとはしません。
ついにみなはあきらめて「フェルディナンド」はすきなだけ花の匂いをかいで
おだやかに暮らせることになります。

はじめてこの本を読んだとき(正しくは子どもに読んであげたとき)
泣けてきました。涙するような劇的な内容ではないのですが。
「フェルディナンド」が闘牛場に連れて行かれてかわいそうだ、とか
平和に暮らせてよかったね、とかそういうことではなくて
途中この牛のお母さん牛が出てくるのですが、
たぶん、そのお母さん牛の「フェルディナンド」に対する深い愛情(慈愛)に
日頃の自分の親としてのあり方を反省させられたかなんかで
泣けてきたのでしょう。。。

子どもの牛が闘牛用として役に立たない性質であっても
「あの子はただ花の匂いをかいでいたいんです」と
子どものありのままの姿をまるごと受け入れ、愛し、支える母の姿勢は
当時の自分の気持ちに突き刺さりました。
子どもはまだ小さかったけれど、「こうあってほしい」みたいなことを
すでに子どもに対して思い始めていたからかもしれません。
そんなものは母の愛でもなんでもないのだと、この本は教えていました。
(そう自分には思えたのでした)

あれからずいぶんと時が経ちました。
子どもの本もどれくらいか数え切れないくらい読んだと思うのですが
この「はなのすきなうし」のことを忘れたことはありません。
たぶん、この本の中に、私にとっての理想の母親像があるからでしょう。
子どもの持って生まれた資質を、たとえそれがいかなるものであっても
大切にして愛していく姿勢というのは、自分にとってかなえることの出来ない
『悲願』のようにも思えます。

お話の世界

2006年05月14日 00時14分38秒 | 子ども
先日の小学校で観た劇はミュージカル『ドン・キホーテの冒険』
だった。もちろんプロの劇団だ。
プロといってもいろいろです。
劇中で、この学校の名前を使ったり、実際の先生の名を言ったり
子どもを劇中に参加させたりしていた。
これは、小学校などに来てくれるプロ劇団がよく使う手だけれど
どうかな?といつも疑問に思う。
そのときは子どもたちはすぐ反応してちょっと喜んだりするが
逆効果で、そのときまですっかりお話の世界に浸っていたのを
急に現実に引き戻してしまい、しらけた気持ちにさせる。
「なあ~んだ、いま、森の中じゃなかったのか!」と
今度は、なかなかお話の世界に戻っていってくれなくなる、
すなわち、お隣の子とおしゃべりが始まってしまうのである。

いわゆる参加型の、共同体験をさせようと思うなら
あくまでお話の中での参加か、あるいは歌程度に
すべきだろう。
子どもに迎合せず、あくまで『お話の世界』を堪能させた方が
子どもたちのこころに印象深く残るだろう。

演劇教室

2006年05月13日 14時24分42秒 | 子ども
昨日は小学校の演劇教室があり、保護者も観劇できるので
出かけていった。
案の定、なかなかじっとできなくて走り回る子どもさんもおり
他の子たちも、なかなか長時間静かにできない様子だった。
劇の間も、ちょっとした気の抜けた場面になると
途端に私語が多くなる。
しかし、緊張を要する場面展開のときには
シーンとしていたから、やはり、子どもは嗅覚鋭く
行動を選んでいるということのようだった。。。

1年のときから、毎年こういう行事の時にはでかけているが
(まあ、それがわたしの役割ということで)
いつからこんなふうに子どもたちが静かにできなくなって
きたのだろう。
全員集合時がやかましくなってきたのは、3年位前からか。
その頃すでに、授業開始時が守れなくなったクラスが
何組かあった。
しかし、そのことを学校側はさして問題視していなかった。
担任にも教頭先生にも言ったが
「今の子は、充分遊ばせないと45分持たないんですよ~」
などとのんきなことをのたまっておられた。

『ありの一穴』という言葉があるが
ひとりを見逃せば、もう、そのほかの子たちを
縛る根拠はなくなり、あと崩壊していくのは時間の問題だった。

いろいろと考えてしまうのだが
今の時代、ひょっとして教師自身45分が耐えられないのかもしれない
と思ったりする。
授業開始時が守れないクラスが出現した3年前
休み時間、職員室は先生たちでいっぱいだった。
ロング休みしかり、掃除の時間しかり。

教職という仕事を、プロ意識をもって、熱意を失わず
やり続けていくことは本当に大変だ。
しかし、『人間を育てる』という大切な大切な職業に就いた以上は
時間がきたら終了、というような考えでは続かない。
子どもたちは、動物のような鋭い嗅覚で
先生が、しっかり自分たちと向き合ってくれているかどうか
試してくる。どこまでもどこまでも、それは終わりがないのだ。
精神的にそうとうタフでないと先生自身がつぶれる。

学年行事のその後

2006年04月30日 20時42分21秒 | 子ども
結局、学級懇談会は、学級委員の「とにかく!今年はカレーづくりをするつもりは
ありませんから!」の一言で締めくくられた。

出席していた人の中で、カレーは子どもたちも楽しみにしているだろうと
発言したのは3人だけで、親たちもそれにうなづいてはいたが発言はなかった。
もう、あとは「しら~~」っとした空気に包まれ、学年行事についての話は
終わりを告げた。
この学年委員長は、本部の意向もあり、と述べたが
実際はカレー作りがいやなだけなのである。
理屈でせめても、無駄なのだ。

それからこのことをどうしようかと思案した。
このままほうっておいたら、カレー作りが今年だけでなく、
永遠に復活しなくなるだろうことは、容易に想像できる。
毎年決まっているようなことを覆すのは難しいが
いったんなくなれば、面倒なこと(手間のかかること)を
もう一度親たちにやってもらうのはとても大変なことなのだ。
(本部で経験済み)

「カレーに拘らない行事を望む」ということがどういう事態を
招いていくのか考えもせず指示した本部役員(子どもが幼児のときからの知り合い)
に、懇談会の模様や何の意図があってこんなことをわざわざいうのか
尋ねてみたが、意味不明だった。
その人は、自分が3人子どもさんがいるため、同じ行事を毎度毎度
3回もやらされるのが「超マンネリ」と感じていたのだ。
だから、本部という役を使って、学年委員に違うことをやらせようとした。

しかし、よく考えてもらいたい。
PTA行事は何のためにあるのか?誰のために行うものなのか?
まぎれもなく、子どもたちのために行うものだ。
PとTが協力して、親同士、親と先生同士、仲良くして子どもをともに
育てて行きましょうというものなのだ。
子ども3人いる彼女にとっては、給食試食会もカレー作りも
「またか!!」ということだろうが『その子どもにとっては初めての体験』
なのだ。そういう子どもの気持ちがわからないのかな?
子ども目線が完全欠落しているのではなかろうか。

話していても、結局物別れに終わった。
PTAのいろいろな行事を『親の負担軽減』とかいってなくすのは
簡単なことである。(また、一旦なくせば、復活は非常に困難だ。)
こうした子どもに関わるもろもろの手間のかかることを省いていった結果
親同士の繋がりも地域の繋がりもなくなって行き、
青少年にさまざまな害をもたらしていることは明らかなことだ。
専門家でなくても、いまもろもろ起こっている問題の原因が
大人自身にあることに目を瞑ることはできないだろう。
(どうして、わからんのかなあ。。。)

私は一母親にすぎないので、これ以上何もできない。
せめて、アンケートとか取って、子どもや親の希望をきいてもらいたいものだ。




子どもがつくる冷やし中華

2006年04月30日 15時59分52秒 | 子ども
かねてから、私の誕生日に子どもが冷やし中華を作ってくれると
いうので、昨日のお昼実現いたしました。
危なっかしい…指切りそうだ~~~
自分の子ども用クッキング包丁だからいいものの…

でも、一応、ひととおりやってくれて、画像の出来上がりに。
あと、似顔絵つきのお手紙と私のリクエスト「いつでもなんでもお手伝い券」を
もらいました。

この種のお手紙は、長男のも全部残してあります。
長男のには「ボクが大きくなったら、おかあさんにネックレスと指輪を
買ってあげます」というのがあるのですが、長男は「記憶にない」「文書偽造だ」
とか言っています。(動かぬ証拠をみろ~~~


遠足に、ジュースやコーラ

2006年04月28日 12時39分07秒 | 子ども
うちの学校は各学年2クラスずつ(1年のみ3クラス)で
60名弱しかいない。(全校で350程度)
今年、この13名の担任のうち8名が転任者であり
そのうち2名が新規採用の先生だ。
おまけに、もろもろ問題ありでかなにかしらないが
トップの校長が転出となってしまい、もう、なにがなんだか
分からん学校にますますなってきた。

今日は遠足にいっているが、この遠足にジュースを持って行って良いと
わざわざ子どもを通じて連絡があった。なに~~~~!
学級懇談会で、担任に「どういう経緯で何か根拠があってそうなったのか
教えて欲しい」といったら、担任は4年と6年ですでにそう決まっていたので
そうなった、と正直にも述べてくれる。
はあ~~~???
「学年で指導が違うんですか?そういうことは職員会議で統一しないんですか?」
ときくと、「根拠はないみたいです、は~い」というので
もうそれ以上いう気にもなれなかった。(がくっ)

こんな様子なので、学年行事の中身がどうのと言うレベルにも
なっていないのである、実際、学業そのものの危機ともいえる。
なんでもいいよいいよと言って、厳しくしてこなかった結果
鐘がなっても教室にすぐ戻ってこずダラダラする、そういう気風を
作り上げたのは、ほかならぬ教員自身だともいえるのである。
ながく大きな問題が生じなかった結果
平和な?学校として、指導力のない教員ばかり集めたせいで
すでに問題が起きてきていることにも気づかずダラダラし、
結局今のような事態になってしまったのだ。

しかし、真にやる気のある先生っているんだろうか?
久しくみたことがないわ。(がっくり)
教育も、技術的なことより「人」そのものが重要なのだ。


PTA学年行事

2006年04月28日 09時15分30秒 | 子ども
子どもの小学校では、各学年ごとに親睦を深める目的で
行事を行っている。(いわゆる親子行事)
これをお世話するのは学級委員の親御さんだ。

今年うちの子どもは5年生になり、
選出される委員の方も、過去にやっていない人から選ばれるため
非常に残り少ない中からである。
例年(といっても変遷はあるのだが)5年生はキャンプ前ということで
カレーづくりがメインとなっていたのだが、
先日の学級懇談会でなぜか本部から『カレーに拘らない行事を望む』旨の
指示が出たといって、突然陶芸にしようと思うと学級委員が言い出した。

わたしとあと2人くらいの人が、かわるがわる過去の経緯や
なぜカレーなのかということなど、控えめに話をしたのだが
そののち、唐突に「とにかく!今年はカレーをやるつもりはありませんから!」
と、いわれてしまい取り付く島もなかった。

理想をいえば学級委員は保護者の意見をまとめる役割があるが
現実は、自分たちの楽な都合の良いことに終始しがちだ。
それがいけなくはないが、この態度は何のためにPTA活動があるのか?という
基本的な姿勢に大いに欠けていたので、またまた
「物申す」ことになってしまった。

この件については、本部の姿勢そのものが無意味な改革?を
しようとしているように感じられた。
多くの親たちは面倒なことが大嫌いで子どものために、まして
よその子もみんな世話する学年行事なんか大嫌いなのだ。
なぜこの行事をするのか?それを明示していくのが本部の役割であって
自分が自己満足のために本部役員の間に何かを新しくしたりするなんて
もっての他だ。

子どもから、体験を奪っていくのは案外親自身なのかもしれない…
大変でも、親が汗してくれたことは子どもは理屈でなく喜んでいるだろうが
そういう体験そのものがなく過ごしている場合には
「こどもがどんなにうれしく思うか」ということを
親自身実感的にはしらないので、いろいろいっても無駄な場合もある。




小学校は新体制?

2006年04月08日 07時35分07秒 | 子ども
子どもの学校では、異動やら退職やらで
職員室に行っても知らない先生ばかり…
わが子も、「違う学校にきたみたい」と言っている。

うちの担任は、新卒?の男性の教諭。
(26,7でも新卒っていうのかな?言わないですね、新規採用)
若いも年配もどちらでもいいが、つつがなく一年が過ぎて欲しい。
そんな風に思うのは、子どもたちの小学校生活は
担任次第で天地ほど変わってしまうからだ。