国立天文台の三鷹キャンパスから単に帰るのはもったいないと思い、周辺を歩いてみることにした。
天文台のキャンパス自体も緑豊かで、東京の三鷹市といってもまだまだ自然が多く残っているのだと改めて思う。
天文台の前を横切るバス通り沿いを調布方面に歩きはじめると緩やかな下り坂になっている。
この傾斜は国分寺崖線そのものであり、多摩川がかつて武蔵野台地を削り取った跡である。
この崖は通称「はけ」とも呼ばれるが、豊富な湧水に恵まれて古代より人が住んでいたらしい。
武蔵野の地は奈良時代には国分寺も建てられ、歴史は古い。
坂を下った先には野川が流れている。
壁面は護岸工事されているものの緩やかな流れとともに周辺には青々と雑草が茂っている。
護岸工事されて、植物の種もとりつく島もない川が東京にはいくつもあるが、ここは緑豊かである。
何処かで野川も一時期はどぶ川と化していた、なんて聞いたことがあった。
そんなことが信じられぬほどに自然を取り戻している。
遊歩道を降りて、雑草を踏みつつ川のすぐ近くを歩くとサギだかシギだか首の長い鳥がじっと虚空を見つめている。
その近くをカルガモの親子がすいすいと泳ぐ。
なんとものどかな光景にありもしない故郷の里山を夢想したりもする。
夏場には鳥類に加えて昆虫なども元気に飛び回っているのだろう。
秋口は生きものが少しずつ姿を消していくのでちょっぴり寂しい。
そんな自然空間に突如、巨大なコンクリートの塊が飛び出してくるからやっぱりここは東京なのである。
排水路なのか、川の暗渠なのか、薄暗い鉄格子の先は黙ったままで何処へ繋がっているのかは知れない。
気付けば、周辺の住宅は消えて鬱蒼とした森になっている。
近くに立ててある看板を見ると「野川公園」と書かれており、周辺は巨大な自然公園となっているらしい。
野川とおさらばして、公園を探索する。
公園には大きな芝生広場がある。遠くを見てもビルも山も見えない。そこには空があるだけだ。
所々に大きな針葉樹が孤立していて、いかにも整備された公園という感じがする。ゴルフ場のコースのようでもある。
芝生の片隅にはアスレチックや遊具が置かれている。
もう薄暗くなってしまっているから、こどもはおうちに帰る時間。
誰もいない遊具というのも寂しくていい。
乗りながらゆらゆら揺れるタイプの遊具も何処か空虚な目をしていて愛らしい。
青色のエリマキトカゲの遊具は顔の部分がパックマンみたいだ。
首にリボンまでしている。
その他にもパンダや新幹線、コアラなどの遊具があってそれぞれ別々の方を向いて無造作に配置されている。
しばらく野川公園を歩いていくと、ようやく人の暮らす空間に出た。
3,4階建ての比較的低い団地などを横目に見ながら進むと、またも広い場所に出る。
ここが武蔵野の森公園で、この公園には何度か訪れたことがある。
近年整備された綺麗な公園で、人口の丘や小さな林や池もあって散策の休憩には最適である。
小さな丘の上にぽつんと置かれたベンチはいつ見ても絵になると思う。
頂上からは何が見えるかというと、調布飛行場が見える。
ただっ広い平地が続く風景は東京ではなかなかお目にかかれない。
飛行場の先には味の素スタジアムが見える。それよりも遠くにかすかに見える山稜には観覧車がきらめいている。
きっとライルミネーションイベントを行っているよみうりランドであろう。
よみうりランドの観覧車は神奈川県にあるから、多摩川を越えて対岸まで見渡せていることになる。
とりあえず、この度の最終目的地も神奈川県にしてみようと思う。
多摩川にも歩いていればいつか着くだろう。
公園内を巡りつつ、気の向くまま進もう。
薄暗い公園には人の姿はまばらで、自転車で通過する地元の人々くらいなものだ。
そんな状況に甘んじて、遊水池ではカルガモがつがいで寄り添いあっている。
京都の鴨川でもあるまいし、等間隔に並ばなくてもよい気はするのだが、美しくかつ均等に並んでいるのがおもしろい。
邪魔しないでおいてあげるのが紳士であろう。
ふるさとの丘と呼ばれる小高い丘の上に登ってみる。
都道府県を象徴した形の石が並べられていて、おもしろそうだが暗いから良く見えないのが残念だ。
先程の丘と同じように頂上からは飛行場が見下ろせるが、その先には国分寺崖線の木々が連なっている。
ぼんやりと景色を眺めていると、木々の先から赤々とした月が顔を出した。
雲に隠れていっそう怪しい。
今日は曇っているので、青白い光を照らすころには雲の中に隠れてしまうだろう。
そういえば、以前ここでお月見をやったことを思い出した。
月の出てくる方角に向かってベンチが備え付けてあるので、絶好の月見スポットである。