バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

規律?…2012

2012-11-21 02:05:37 | やっぱりミニバス!
平成24年11月21日 水曜日

「規律?…2012」


規律とは…辞典的に言うと、

『社会生活・集団生活において人の行為の規準(行動の手本となる規範)となるもの。また、そのようなものとしてのさだめ。おきて。のり。』

特に、集団生活を行う者にとっては、規律という守るべき規範があるから、集団としての秩序ある行動がとれるのでしょう。

また、その行動が規律あるものであるから、第三者から見れば、その集団を認めることができるのだと思います。

例えば、自衛隊や警察は、国民や市民を守るために、自らの危険を顧みずに行動する人達であり、その信頼があるからこそ、武器を手にしてその責任を果たすのです。

だから、自衛隊や警察には厳しい規律が求められるのでしょう。

自らに厳しいからこそ、国民や市民の人達は安んじて身の安全を託すことができるのです。

その規律ある生活は、部下を指揮する者として、自律した行動を行う幹部自衛官、また国民の生命及び財産を守る者として求められるものだと思います。


そしてその厳正な規律は、“自律”のために必要なもの…その規律には、団体が存在する目的を果たすためという理由があります。


さて、そこで言いたいのは…、

伝統だから、その規律は守らなければならない…とするなら、

それは、その規律でなければならないという理由にはならないと思うのです。

例えば、夜22時に消灯。寮内では他の部屋を訪ねてはならない。練習が終わった後の外出は禁止…コンビニへの一時的な外出もダメ。遠征先の宿舎では、2人一部屋で部屋からの外出は禁止…飲み物を買いに出て、スタッフに見つかり激怒され、あげくに同部屋の先輩が叱られる。

その団体はどのような団体だと思われますか?

私から見れば、監獄のような、常に人を監視するための団体です。

そこまでの規律を所属員に求めるのは何故か?…それは所属員が、外で破廉恥な行為を行うことがないように、

そんなことがあった時に、管理者に責任が問われたら困るという、逃げのための規律による管理?

その人達は言うのです…『私達もその規律で生活してきた。それは伝統だから守るべきだ。』

その規律に違反する者は、その団体では異端者です。

異端者は使われない。

なぜなら、その異端者を使えば、規律に違反したことを是認したことになるからです。

だから、その異端者を使って、その団体として結果を出すことよりも、その異端者を使わないことが、その団体の正論です。

その人達は言います。…『プロだからこそ、人に見られて恥ずかしくないようにするために厳しい規律がある。』

規律とは、第三者が決めたもの…それに従うことは“他律”です。

私が思うのは、プロだからこそ、他律ではなく自律を求められるのです。

その自律が出来ない者は、プロである資格はないのです。

他律である規律に従うことは、集団の秩序を守るために必要です。

しかし、その規律は伝統だから守らなければならない…は、違うでしょう!

伝統として培われた規律を守れない者は、プロではないと、その人達は言います。

本来は、プロの心得を指導し、自律ある行動がとれるようにするのが、その団体の管理者の責任だと思います。

異端者は使われない…その異端者が、『私、辞めます』と管理者に言えば、管理者は喜んで受け入れるでしょうね。

残念でなりませんが、それが事実です。

だから勝てないのです。

負け続けるチームにいる選手達は、他に行くところがないから、そこに居続けているとしか思えないのです。

指導者は教育者?…2012

2012-11-20 05:44:35 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 20日 火曜日
 
「指導者は教育者?…2012」


私が中学、高校生時代はバレーボールをしていました。

その部活は顧問先生による スパルタ指導でした。

ミスをすれば、ビンタは当たり前、ボールをぶつけられ…『やる気あんのか!?』と怒鳴られながら、蹴られるのは当然。

それでも、部活を辞めずに続けました。

昭和ノスタルジーの時代です。

このような指導を可能にするためには、選手と指導者の基本となる気持ちがひとつになり、共有されていることが大前提だと思います。

それがないと、いずれは指導者と選手は割れるでしょう。

それは、今の時代も基本の精神は同じだと思います。

しかし、昔のようにすべてがスパルタ式暴力はないでしょう。

時代が違うからです。

周囲の価値観が多様になり、大きく異なる時代です。

私もビンタをする、蹴る、という暴力は指導者として反対です。

しかし、愛情を持った、この子供達の想いを叶えさせてあげたいという想いからくるビンタ…、仲間への思いに欠けたプレー、全力ではない自分に甘い行い、

それは、愛情を持ったビンタで…指導者は心に痛みを感じながらで行うこと

それは、指導者の熱き想いを伝えるものとして…許されるものだと思います。

ただし、ミニバスでは、ミニバスのそもそもの精神から…ビンタという行いも私は反対です。

子供達が自我に目覚める思春期…自分達の考えが芽生えるときに、価値観を作るということがわかってきたときに、そのような指導を行っていいと思います。

指導者と選手達が共有する気持ち…

例えば、世界選手権出場、上位入賞、優勝!、または、オリンピック出場、メダル獲得!、全国大会出場、ベスト4以上の入賞!そしてセンターコートに立つ!

県大会出場、
県大会優勝!
県大会ベスト8!
県大会一回戦突破!

市内大会出場、
市内大会優勝!
地域予選ブロック突破!

それぞれのレベルで…それぞれの目標があり、それぞれの目標に向かって、子供達、少年達、青年達、大人達は日々練習をしています。

その目指す目標は、最初は指導者が示すのでしょうが、やがて、それは選手達自身が目標としていくことが、もっとも大事なことだと思います。

その目標は、やがて指導者のものではなく、選手自身が自分達の目指す目標になっていなければならないのでしょう。

そうでなければ、選手自身が何のためにそのスポーツをしているか応えられないからです。

当然、その基本にはそのスポーツが、「好き!」という気持ちがなければいけません。

その好きという気持ちから、その好きなスポーツによって達成したい目標を仲間達と共有すること。

そして、指導者は選手達が目指す目標を実現させるために、選手達のために、厳しく辛く、苦しい練習を指導していくのでしょう。

決して、指導者の気持ちを満足させるために厳しく辛く、苦しい練習を選手達に強いるのではありません。

指導者は、選手達の気持ちをひとつにするように指導します。

そして、選手達の気持ちがひとつの目標に
向かって共有されたならば、

選手達の想いを、指導者自身のものにして…選手達と指導者が同じ想いを共有しなければならないのです。

そのためには、指導者が、まず熱い真剣な想いを選手達に伝えること、

選手達が、そんなことは無理だと応えても、夢を手にする喜びを語り続けること。

夢を手にする努力があって、夢を手にすることが出来ること。

ちょっと旧いですが、ドラマ“ルーキーズ”の川藤先生は、『夢にときめけ!明日にきらめけ!』と熱く語り、

また、松下幸之助氏は言いました。

『世の中の多くの人は、少々うまい事いかなくなると途中で諦めてしまう。本当に物事を成し遂げる為には、成功するまで諦めない事である。』

これらの言葉は、今の指導者の人たちが、心に刻むべき言葉だと思うのです。

それを選手達自身が…自分達の想いとして心に持たなければ、指導者の思い描く成長を子供達に教えることはできません。

そのためには、指導者は語るだけではなく、選手達自身が、自分達にもその夢を実現させることができるかもしれない…と選手達の心が変化していかなければなりません。

その指導のやり方は、最初は強引でもいいから、指導者が選手達を引っ張っていくしかないでしょう。

選手達は、部活を辞めていくかもしれません。

それでも指導者は、語り続けるのです。

熱い想いを選手達に語り続けるのです。

今の子供達は白けて聞いているかもしれない。

それでも指導者は、子供達が前向きに歩いていける人になってくれるために…最初から夢は夢でしかないと思わないために、

教育者として、指導者の立場で語り続けて、行い続けることです。

現代っ子といいながらも、子供達には夢があり、それを実現させたい想いは絶対あると思うのです。

それを教育者たる指導者は引き出してやるのです。

指導者があきらめてはいけないのです。

所詮、この子たちは、ここまでの想いしか持っていない。

だから、このぐらいの指導しかできない…ではないのです。

まず指導者の姿勢なのです。

揺るがない、夢に向かわなければ、夢は叶わないという想いを…指導者自身の人間性をもって懸命に子供達に伝えるべきなのです。

子供達には、そういう大人になって欲しいという強い信念が…教育者たる指導者には必要だと思います。

価値観ってなに?…2012

2012-11-19 06:55:44 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 19日 月曜日
 
「価値観ってなに?…2012」


今日はバスケの話ではありませんが…、人が生きていくということから言えば大切な話です。

さて、人はよく「価値観」と言います。

この「価値観」とは何でしょうか?

「価値観」とは、『何が大事で、何が大事でないかという判断、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けのこと』と言うとあります。

何が大事で、何が大事ではないかということは、人によって色々違います。

「価値観」は、生きていく中で色々体験していくことで作られていきます。

ですから、生まれてすぐの赤ちゃんが…「価値観」という物事を判断する基準など持っていません。

食べて、寝て、排泄して…まず、生きるために自然に必要なことをしていくだけです。

この自然に必要なことは成長して、子供から大人になっても変わりません。

人…つまり人間の面白いところは、言葉をしゃべり、自分の想いを自分以外の誰かに伝えることで、生きているのです。

その言葉をしゃべることで、お互いにコミュニケーション…意思の疎通をしてお互いを知り、

その意思疎通から、いろんな知識を蓄えていくのです。

そして、人は行動していくのですが、その行動をするために、人は判断をするのです。

その判断の基準が価値観です。

その価値観は人によって異なるから、人によって行動が違ってくるのです。

そういう多くの人が生活する場所が社会です。

多くの人が勝手に判断して…それぞれが、それぞれの判断で思い通りの行動をすると、社会は混乱してしまいます。

ですから、社会を平和に生きるために…社会には秩序という誰もが守るべきルールがあるのです。

そのルールの中で、人はそれぞれの価値観という基準をもって…判断して行動して生きていくのです。

この価値観は、人が生まれて成長していく中で作られていくものです。

そして、価値観はいろいろな形で作られていきます。

まず初めは、生まれてきた親から教えられるものです。

『這えば立て、立てば歩めの親心』の愛情をもって、親は…我が子が生きていくために基本となる価値観をしつけていくのです。

「三つ子の魂 百まで」といいますよね。

この「魂」が、人が人として生きていくための基本となる価値観です。

「あいさつをする。うそをつかない。手を洗う。ご飯の食べ方。お風呂の入り方。トイレの仕方。家族の絆。お年寄りを大事にする。祖父母の死で…人は死ぬことを第三者から学ぶ。」などでしょうか。

大きくなるにつれて、学校で先生と出会い、友達と出会い、そういう周りの人から知識を得て…

それが、基本の価値観の周りに作られていき、新たな「価値観」となっていきます。

学校で学ぶ勉強からは、社会を生きていくために必要な基本となる知識…

社会を生きる人が共通して持つ知識…

「言葉の使い方、計算の仕方、自然の法則、考える力」などでしょうか。

また、いろいろな書物を読むことで吸収することで得る価値観もあります。

そして、学校を卒業して社会に出てからは、会社などの組織やグループに所属することで、

それらの会社などが受け継いでいる理念なるものから…価値観が作られていきます。

また、個人的な体験をきっかけにしたり、自分の人生を生きていく中で、成功や挫折を経験することで、独自に新たな価値観が作られていくのです。

やがて、その価値観は、その人の具体的な行動の誰にも譲ることのできない信念という判断基準となり、

その人の「ライフスタイル」や「生き様」などになるのです。

人生、学歴がすべてではありません。

お金がすべてでもありません。

そして、夢がすべてでもありません。

それぞれをバランスよく備えていることが必要だと思います。

生活するためにはお金をかせがなくてはなりません。

仕事や日々の暮らしの中で、生きがい、やりがいを持たなければ…むなしい人生でしょう。

せっかくの人生ですから、充実したものにしたいのは…誰もが思うことでしょう。

その生きがい、やりがいを持つために知識が必要ならば、学ばなければいけないでしょう。

今の時代に人として生まれてきたのであれば、この社会で生きていくしかないのです。

無人島でひとりで生きることなどできないのです。

ならば、この時代に生まれたことを嘆くのではなく…自分の人生を不幸なものだと嘆いても生きていくことです。

生きていくことが、誰もが持つべき価値観なのです。

死は誰にも訪れるものならば、与えられた生のときを生き抜くことは、人に与えられた価値観です。

人は誰かに支えられ、人は誰かを支えて生きているのです。

ならば、その誰かのために生きるのです。

どうせ生きるのなら…よりよく生きていくことを考えることです。

その、よりよく生きるための判断の基準となるのが「価値観」なのです。

そして、その価値観は誰かに与えられるものではありません。

確かに、「三つ子の魂」という基本の価値観は…親から染み込まれるものですが、

それから、作られていく価値観は、人それぞれ違うものであり、

それぞれが、自分で見つけていくしかないのです。

出だし…2012

2012-11-18 05:13:01 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 18日 日曜日
 
「出だし…2012」


『スタートダッシュで出遅れる♪

どこまで行っても はなされる♪

ここ~で お前が負けたなら♪

オイラの生活~ ままならぬ♪』
〔走れコウタロウ…より〕

さて、スタートダッシュでイッキに最大限の力を爆発させるとは、…フィジカル面を準備させて、

それを支えるメンタル面の準備状態を、戦闘モードにまで高めておくことです。

そのためには、フィジカルもメンタルもスキルも…すべて、

最初の瞬間が、いつ訪れてもいいようにアドレナリン全開にして、

なおかつ、心は静かな水面のごとく冷静でなくてはなりません。

そんな体と心が一致した状態など神の領域です。

しかし、人はその状態を作り出すことができるのです。

第一試合、第1Qのティップオフ…バスケゲームの出だしです。

うちも相手チームも同じ条件です。

ここで気持ちを据えて、自分達を見失わず…ゴールを焦らず、ガッチリと相手と組み合うことです。

最初はいかなる相手とも…0対0 から始まるのです。

そのスタートを、いかに自分達のチームのプレースタイルで試合を展開することができるか…にあります。

ここでは、ゴールを焦りミスを重ねないこと

練習で作り上げたディフェンスをやりきることです。

最初の1分はガッチリと組み合う試合をする。

耐えながら自分達の試合にしていくこと…

相手の流れになろうとしていても耐えて、あきらめずに、ひたすら粘ってチームのプレーをすることです。

この出だしのプレーを意識して…プレーヤー全員が果敢に攻めていくことです。

受け身にならずに気持ちで攻めていくことです。

この気持ちの強さの差が結果に繋がるのです。

もうひとつの出だしは…後半、3Qの出だしです。

ここを集中しないと一瞬のゆるみが、ミスを重ね…あっという間に一気にもっていかれます。

特に、勝ちパターンで来ているチームが逆転されるのは、この後半の出だしの一瞬の気のゆるみから崩れていきます。

後半の出だしは、その時点の勝ち負けの状態を意識しないことです。

1Qの出だしと同じ気持ちで入ることです。

ガッチリと相手と組み合う意識で…0対0 の状態と思って入ることです。

勝ち負けを意識しないことです。

ここの互いのチームの、試合にこだわる意識の強さが…結果を自分のものにするか、しないかの分水嶺になることを、

チームメンバーはしっかりと共有しなければなりません。

結果は、ゲームオーバーのブザーがなる瞬間までわからないのです。

そのために、スタートの出だしのプレーが大事なのです。

健闘を祈ります!

幸せの基準…2012

2012-11-17 08:41:53 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 17日 土曜日
 
「幸せの基準…2012」


「幸せ」というのは心が感じるものです。

また「不幸せ」というのも心が感じるものです。

まず、「不幸せ」というのは、誰かと比べることで感じるものです。

では、比べることを止めればいいのかといえば…人は欲望の持ち主である限り、比べることを止めるというのは無理だと思います。

そこで、比べるにしても、自分の身の丈にあった比べる基準を作るのです。

彼は「幸せ」で、自分は「不幸せ」と思うのは、何かのところで比べるからです。

その比べるところに固執するから…いつまでも自分は「不幸せ」だと思うのです。

彼の立場で自分を見てみると…彼から見れば、彼を見ている自分は「幸せ」で、

見られている 彼自身は…「不幸せ」と思っているところもあるのです。

それは、自分からみれば贅沢な悩みを、彼は…「不幸せ」と感じているだけではないかと思うでしょう。

しかし、それは比べるところから始まっている「不幸せ」なのです。

比べるということは、何かの基準があって、それを基に比較して…高いか低いか、大きいか小さいかとなるのでしょう。

その位置が低いのか、その気持ちが小さいのかではなくて…

比べるならば、自分と自分を比べることです。

昨日の自分と今日の自分…、今日の自分と明日の自分…というように、自分の中に絶対的な基準を作ることです。

この絶対的な基準を自分の中で持つことができれば、その自分が感じるのは…「幸せ」しかないのです。

明日に向かう自分を見つめること、

明日に向かえる自分がいつものとおりにいること

その当たり前の日常を…いつも誰よりも幸せだと感じることができるのです。

ところが、そんな自分になるために…乗り越えて、納得しなければいけないことがあります。

それは、自分が生まれた境遇です。

自分は、この世に生まれようと思って生まれてきたわけではありません。

ですから、生まれたときから…境遇には絶対的な差があるのです。

生まれた国、生まれた家庭、生まれもった体力・能力など、

それらは偶然の結果であり、その結果にあらがうことはできないのです。

人はその結果を受け入れて生きていくしかないのです。

その「境遇」を不公平だと言っても、それは人為ではなく、非作為であり、神の領域なのです。

その「境遇」を自分のものにして、生きていくしかないのです。

人はどんな境遇に…また、どんな能力をもって生まれてくるかわかりません。

そこから人生を歩みはじめて…最初は、順風満帆で行っても、一寸先はどのような境遇になるかわからないのが人生です。

それでも、その人生を生きていくしかないのです。

自分で断ち切ることは、いつでも出来るのですが、この世に生命を受けたからには、自分で断ち切ることなく…まっとうすべきことは間違いないことです。

自分は誰かに支えられ、自分は誰かを支えて生きているからです。

新しく出会う境遇の中で、「幸せ」を探しながら生きていくことです。

そうです、そのときの自分の「幸せ」を探すのです。

その境遇を、自分の「不幸せ」だと感じても、自分のためではなく、誰かのために生き続けること

誰かを悲しませないために、生き続けることが大事なことです。

そのためには、「不幸せ」と感じている心の殻を破って…自分の生命力を信じて動き出すことです。

その苦悩を越えるために、「幸せ」を探し、「幸せ」を作り出すことをあきらめないことです。

「幸せの基準」とは、他と比べることなく自分を受け入れて…生きるために与えられた生命を全うする、自分の中に置くものです。

それは、誰かが置いてくれるものではなく、自分が探して、作って置くものなのです。

自分が幸せであると感じるのは…、妻の幸せであり、我が子達の幸せであり、ミニバスの子供達の幸せであり、すべてのみなさんの幸せなのです。

出だし…2012

2012-11-17 08:40:54 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 18日 日曜日
 
「出だし…2012」


『スタートダッシュで出遅れる♪

どこまで行っても はなされる♪

ここ~で お前が負けたなら♪

オイラの生活~ ままならぬ♪』
〔走れコウタロウ…より〕

さて、スタートダッシュでイッキに最大限の力を爆発させるとは、…フィジカル面を準備させて、

それを支えるメンタル面の準備状態を、戦闘モードにまで高めておくことです。

そのためには、フィジカルもメンタルもスキルも…すべて、

最初の瞬間が、いつ訪れてもいいようにアドレナリン全開にして、

なおかつ、心は静かな水面のごとく冷静でなくてはなりません。

そんな体と心が一致した状態など神の領域です。

しかし、人はその状態を作り出すことができるのです。

第一試合、第1Qのティップオフ…バスケゲームの出だしです。

うちも相手チームも同じ条件です。

ここで気持ちを据えて、自分達を見失わず…ゴールを焦らず、ガッチリと相手と組み合うことです。

最初はいかなる相手とも…0対0 から始まるのです。

そのスタートを、いかに自分達のチームのプレースタイルで試合を展開することができるか…にあります。

ここでは、ゴールを焦りミスを重ねないこと

練習で作り上げたディフェンスをやりきることです。

最初の1分はガッチリと組み合う試合をする。

耐えながら自分達の試合にしていくこと…

相手の流れになろうとしていても耐えて、あきらめずに、ひたすら粘ってチームのプレーをすることです。

この出だしのプレーを意識して…プレーヤー全員が果敢に攻めていくことです。

受け身にならずに気持ちで攻めていくことです。

この気持ちの強さの差が結果に繋がるのです。

もうひとつの出だしは…後半、3Qの出だしです。

ここを集中しないと一瞬のゆるみが、ミスを重ね…あっという間に一気にもっていかれます。

特に、勝ちパターンで来ているチームが逆転されるのは、この後半の出だしの一瞬の気のゆるみから崩れていきます。

後半の出だしは、その時点の勝ち負けの状態を意識しないことです。

1Qの出だしと同じ気持ちで入ることです。

ガッチリと相手と組み合う意識で…0対0 の状態と思って入ることです。

勝ち負けを意識しないことです。

ここの互いのチームの、試合にこだわる意識の強さが…結果を自分のものにするか、しないかの分水嶺になることを、

チームメンバーはしっかりと共有しなければなりません。

結果は、ゲームオーバーのブザーがなる瞬間までわからないのです。

そのために、スタートの出だしのプレーが大事なのです。

健闘を祈ります!

誰のために…2012

2012-11-16 07:28:59 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 16日 金曜日
 
「誰のために…2012」


自分が悔やまないためにどうするべきか?

仲間のために…何をしてはいけないのか!?

仲間のために…何をするべきなのか?

考えなくてはいけないのは…、コーチに怒鳴られないためにバスケをするのではない。

コーチにほめてもらうためにバスケをするのではない。

親に叱られない…、親にほめてもらう…、そんなためにバスケをするのではない。

自分がやりたいバスケをして、バスケの楽しさを味わうためにバスケをするのです。

自分ひとりでは、その楽しさを味わうことはできないのです。

チームがひとつになって、同じゴールをねらうことで…バスケをする喜びを仲間と共有し、仲間をひとつにするのでしょう。

ゴールを共にする仲間がいて、苦しく辛い練習も越えていけるのです。

今、子供達に語っているのは…『勝つことを狙うな!、しかし勝つことをあきらめるな!

そして、負けることを怖れるな!

自分を活かし…、自分を活かすことで、仲間を活かせ!

全力! 集中! 仲間のために!』

今は、6年生男子は10人です。

彼らに残された、ミニバスの時間は、あと4ヵ月余りになりました。

チーム力はほぼ出来上がりました。

あとは、上位の相手と練習試合をして、さらに練り上げていくだけです。

ディフェンス力をベースにして…、スピード&ノーミスとシュート一本の大切さを徹底してオフェンス力を上げていきます。

今の子供達が身に付けなければならないのは、強靭で…しなやかなメンタル力です。

まだ相手に合わせたゲームします。

自分達のスタイルのバスケにこだわり…そのために、何をするべきか考えて、それをチーム全員が共有して行うことです。

自分達で考え…自分達が行うこと

それが、私が彼らに目標として示した…『自立と自律』のバスケであり、

これからも忘れて欲しくない、生き方なのです…

いよいよ、公式戦です。

練り上げたチーム力が試されるときです。

子供達のメンタル力が試されるときです。

コーチは試合が始まれば、声援を送るだけです。

子供達のミスや外したイージーシュートを大声で叱っても仕方ないのです。

公式戦のオンコートに入ったら…子供達自身がどうにかするしかないないのです。

どのようなバスケをするべきなのか、子供達自身が考えて、行うこと

コーチの私は、彼らを応援する者として…彼らの試合ぶりを観戦させてもらいます。

試合をするのは子供達であり、自分達が悔いなくプレーして…結果を得るために試合をするのですから、

『コーチの顔色をうかがいながらプレーをするな!自分達のゲームなんだから…、自分達が満足できるゲームをすることだ!』

私が子供達に掛ける言葉として準備しているものです。

逃げ出すネズミ達

2012-11-15 22:21:34 | やっぱりミニバス!

「逃げ出すネズミ達」


沈みゆく船から助かりたい一心で、突然海に飛び込む船員達、

彼らは船と運命を共にする者たちではなかったのか!?…

結局、彼らの本性は生きのびたいだけのネズミでしかなかった!

その中には、かつて対敵した船に転がり込む輩もいるとか…


ネズミを受け入れる船も廉恥心もない群れだ。


船に導かれる私達には、船員を選ぶ権利がある。

ならば、そのネズミの名前を覚えておくべし!

ネズミを受け入れる船の名前も憶えておくべし!


私達と、私達の子供達の未来を託す船員と船名を間違えてはならないと…切に思う。

攻めるからパスが通る…2012

2012-11-15 05:59:51 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 15日 木曜日
 
「攻めるからパスが通る…2012」


パスをミスしたときは…、パスを出したパサーのミスなのか、パスを受けたレシーバーのミスなのか?

それはパスの出し方と、受け方の両方にあると思います。

レシーバーをあからさまにねらったパスは容易にカットされて、ターンオーバーからカウンターブレイクでやられます。

これは、レシーバーとしては、パサーにそういうパスを出させることにも原因があるでしょう。

要するに、両方のタイミングです。

レシーバーはディフェンスをカットしてスペースでもらうようにムービィングしてミートするか、

あるいは、ディフェンスをロックして、ディフェンスの動きを止めてレシーブする態勢をしっかり作って…パスを受けるようにすることでしょう。

パスを出す方の、パサーはフェイクでディフェンスを揺さぶり、

パサーとレシーバーの両方のタイミングが合って、パスを通すことができる一瞬の“間”が出来るのです。

それは、ゴールを攻める気持ちがチームでひとつになることで通るパスだと思います。

相手のディフェンスに圧されてゴールをねらうことのない、安易に上に戻すパスはディフェンスにねらわれてカットされます。

最もカットされ易い危険なパスです。

ゴールをねらいながら…味方も相手もいないスペースにパスを出す、またそこにパスを出させる。

実にパサーとレシーバーのあうんの呼吸…両者のタイミングです。

パスの基本練習では、そんなパスはありません。

基本練習では、相手のいるところに強く速いビームパスで…キャッチハンドをしっかり作り、キャッチボイスを出しボールにミートして受けて、同じ要領で相手に返します。

ゴールを攻める意識のいらないパス練習です。このパスは試合では使えません。

パサーはレシーバーのいるところを見て、そこに正確なパスを出す。

試合の相手からしてみれば、パサーの目線やかまえ、体とボールの動きからパスコースは手にとるようにわかります。

その瞬間にインターセプトです。

試合においてパスを通すには、ボールを持っていない選手が、バスケットを攻めるために、動いていること

動くことで、スペースが出来てスペースィングが続けられて…パスが通るのです。

パス&ランのカッティングだけではパスは通りません…全員でバスケットを攻めているからパスが通るのです。

オフボールの者がその場に突っ立っているだけでは…パサーはディフェンスにカットされるパスを出すだけです。

オンボール…ボールを持っている選手が、ボールを持ったら…レシーバーを探すのではなく、

セットプレーにしても、まずバスケットを攻める!

バスケットを攻めるから、ディフェンスが迷い、その視野とポジションが乱れ…ディフェンスの態勢が崩されて、得点に繋がるパスコースが生まれるのです。

このことを、コーチは選手に、くどいほどに言って聴かせ、繰り返し、徹底してやらせて…身に染み込ませることです。

ボールを取られないための逃げたパスでなく、オンコートのプレーヤー全員がバスケットを攻めることを忘れないこと

そうすれば、チームとして攻撃的なパスが身に付くのだと思います。

自分が果たすべきこと…2012

2012-11-14 07:42:40 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 14日 水曜日
 
「自分が果たすべきこと…2012」


チームスポーツでは、自分の役割を果たすことが、メンバーひとりひとりに課せられた責任です。

それは同じポジションの者以外…誰も代わりはできないのです。

また、たとえ同じポジションであっても、チームのコーディネーションが取れなければ…チームとして機能しません。

ですから、チームの中で…そのポジションの役割を果たすことができるのはチームコーディネイトできる者だけです。

選手はその自覚をしっかり持たなければならないのです。

チーム力を上げるためには…試合で、選手ひとりひとりが自分のポジションで果たすべき役割を自覚して、集中して、そのポジションのプレーをやりきることです。


チーム力を上げるために大事なことは…『今、自分はどういう練習をして、どうやって強化すれば、どういう力が付くのか』ということを考えることです。

選手ひとりひとりが目的意識を持ち…自分には今何が必要なのか!?を考えながら、頭を使って創造的に練習に取り組めば、練習の効果は何倍も違ってくるのです。

与えられたメニューだけこなしていても、上達するレベルは他のメンバーと変わりません。

自分をチームに欠かせない者とするためには…さらに、考えなければならないのです。

考え抜いてやりきった者が勝ち残るのです。

それが、厳しいけれども現実なのです。

そういう練習をメンバー全員が行うことで、コーチの指導も活きるのです。

チーム練習の中から…自分なりの課題を見つける。

そして、今日の練習で出来なかったことを、明日の練習で考えられるようにならないと…個人の能力は伸びず、したがって、チーム力も伸びない。

結局、チームと個人という関係を明確に考える者が…選手として伸びるのです。

コーチから厳しいことを言われ、言われたことだけをやるだけでは…その選手は言われた分しか向上しない。

さらに、上を目指すならば、チーム力を上げるために自分がやるべきことを考え理解し…創造的に自ら取り組んでいかなければ、個人の能力は昨日のままに終わる。

明日の自分を向上させるために…自分で考え、自分で修正するように練習に取り組むことです。

チームメンバー全員が、その意識を共有することでチーム力は相乗的に向上すると思います。