バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

幸せの基準…2012

2012-11-17 08:41:53 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 17日 土曜日
 
「幸せの基準…2012」


「幸せ」というのは心が感じるものです。

また「不幸せ」というのも心が感じるものです。

まず、「不幸せ」というのは、誰かと比べることで感じるものです。

では、比べることを止めればいいのかといえば…人は欲望の持ち主である限り、比べることを止めるというのは無理だと思います。

そこで、比べるにしても、自分の身の丈にあった比べる基準を作るのです。

彼は「幸せ」で、自分は「不幸せ」と思うのは、何かのところで比べるからです。

その比べるところに固執するから…いつまでも自分は「不幸せ」だと思うのです。

彼の立場で自分を見てみると…彼から見れば、彼を見ている自分は「幸せ」で、

見られている 彼自身は…「不幸せ」と思っているところもあるのです。

それは、自分からみれば贅沢な悩みを、彼は…「不幸せ」と感じているだけではないかと思うでしょう。

しかし、それは比べるところから始まっている「不幸せ」なのです。

比べるということは、何かの基準があって、それを基に比較して…高いか低いか、大きいか小さいかとなるのでしょう。

その位置が低いのか、その気持ちが小さいのかではなくて…

比べるならば、自分と自分を比べることです。

昨日の自分と今日の自分…、今日の自分と明日の自分…というように、自分の中に絶対的な基準を作ることです。

この絶対的な基準を自分の中で持つことができれば、その自分が感じるのは…「幸せ」しかないのです。

明日に向かう自分を見つめること、

明日に向かえる自分がいつものとおりにいること

その当たり前の日常を…いつも誰よりも幸せだと感じることができるのです。

ところが、そんな自分になるために…乗り越えて、納得しなければいけないことがあります。

それは、自分が生まれた境遇です。

自分は、この世に生まれようと思って生まれてきたわけではありません。

ですから、生まれたときから…境遇には絶対的な差があるのです。

生まれた国、生まれた家庭、生まれもった体力・能力など、

それらは偶然の結果であり、その結果にあらがうことはできないのです。

人はその結果を受け入れて生きていくしかないのです。

その「境遇」を不公平だと言っても、それは人為ではなく、非作為であり、神の領域なのです。

その「境遇」を自分のものにして、生きていくしかないのです。

人はどんな境遇に…また、どんな能力をもって生まれてくるかわかりません。

そこから人生を歩みはじめて…最初は、順風満帆で行っても、一寸先はどのような境遇になるかわからないのが人生です。

それでも、その人生を生きていくしかないのです。

自分で断ち切ることは、いつでも出来るのですが、この世に生命を受けたからには、自分で断ち切ることなく…まっとうすべきことは間違いないことです。

自分は誰かに支えられ、自分は誰かを支えて生きているからです。

新しく出会う境遇の中で、「幸せ」を探しながら生きていくことです。

そうです、そのときの自分の「幸せ」を探すのです。

その境遇を、自分の「不幸せ」だと感じても、自分のためではなく、誰かのために生き続けること

誰かを悲しませないために、生き続けることが大事なことです。

そのためには、「不幸せ」と感じている心の殻を破って…自分の生命力を信じて動き出すことです。

その苦悩を越えるために、「幸せ」を探し、「幸せ」を作り出すことをあきらめないことです。

「幸せの基準」とは、他と比べることなく自分を受け入れて…生きるために与えられた生命を全うする、自分の中に置くものです。

それは、誰かが置いてくれるものではなく、自分が探して、作って置くものなのです。

自分が幸せであると感じるのは…、妻の幸せであり、我が子達の幸せであり、ミニバスの子供達の幸せであり、すべてのみなさんの幸せなのです。

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