バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

泣くな!…2012

2012-11-30 05:17:05 | やっぱりミニバス!
平成24年11月30日 金曜日

「泣くな!…2012」


ミニバスでは子供達はコートの上でよく涙を流します。

子供だからしょうがない、といえばそうかもしれないでしょう。

ボールが顔面に当たる

相手の体が目や頭や足の痛いところに当たる

ヒザかん、モモかんは、バスケには欠かせないものです。

子供ほどその痛みに耐える気持ちの強さは小さいですから…涙を流します、あふれさせて泣きます。

低学年の子供ほど泣きます。

それは当然です。痛いんですから、痛いから泣くのは子供の特権です。

大人は痛みを我慢します。

我慢ができなくても泣くことはないでしょう。

痛い! って叫ぶでしょう。

それか…、歯をくいしばり耐えるのです。

何故、耐えるのでしょうか?

それは大衆の面前で涙を流して泣くことは、やっぱり恥ずかしいからです。

いい大人が涙するのは、感極まったときか、心に悼みを受けたときでしょう。

しかし、痛さは苦悶の表情を表わしながらも、我慢すれば去っていきます。

子供達はそのことを学び、なおかつ痛さでプレーできない悔しさを知っていくのでしょう。

このくらいで、ベンチに下げられてたまるか!

… との想いが痛さに対する心を強くしていくのでしょう。


ミニバスも高学年になり、ケージャーらしくなっていくとともに、自然に心は強く成長していくものだと思います。

それでも泣いているのは、痛み以外の何かしらの理由があるはずだと私は思っています。

ファウルアウトした時の悔しさ、思うとおりにならない自分のプレー、そのどうしようもならないジレンマ、情けなさ…、だから泣く。

しかも、涙を人には見せたくないから頭からタオルをかぶって泣くのでしょう。

さて、痛さで泣くことはプレーの邪魔です。

チームの仲間に迷惑です。

『子供達、我慢の心で…、泣かずに走れ!』

次女がミニバスをやっていたときに、教えていた女の子達の中で、すぐに涙を流す子がいました。

ある日いつものように泣き始めました。

なぜ泣く?とは聞きませんでした。

「泣くな!…」と一喝しました。

それから、ミニバスを卒業するまで、彼女は泣きそうになりながらも泣くことはなくなりました。

今ではいい思い出です。

『子供達、我慢の心で…、泣いても走れ!』