バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

規律?…2012

2012-11-21 02:05:37 | やっぱりミニバス!
平成24年11月21日 水曜日

「規律?…2012」


規律とは…辞典的に言うと、

『社会生活・集団生活において人の行為の規準(行動の手本となる規範)となるもの。また、そのようなものとしてのさだめ。おきて。のり。』

特に、集団生活を行う者にとっては、規律という守るべき規範があるから、集団としての秩序ある行動がとれるのでしょう。

また、その行動が規律あるものであるから、第三者から見れば、その集団を認めることができるのだと思います。

例えば、自衛隊や警察は、国民や市民を守るために、自らの危険を顧みずに行動する人達であり、その信頼があるからこそ、武器を手にしてその責任を果たすのです。

だから、自衛隊や警察には厳しい規律が求められるのでしょう。

自らに厳しいからこそ、国民や市民の人達は安んじて身の安全を託すことができるのです。

その規律ある生活は、部下を指揮する者として、自律した行動を行う幹部自衛官、また国民の生命及び財産を守る者として求められるものだと思います。


そしてその厳正な規律は、“自律”のために必要なもの…その規律には、団体が存在する目的を果たすためという理由があります。


さて、そこで言いたいのは…、

伝統だから、その規律は守らなければならない…とするなら、

それは、その規律でなければならないという理由にはならないと思うのです。

例えば、夜22時に消灯。寮内では他の部屋を訪ねてはならない。練習が終わった後の外出は禁止…コンビニへの一時的な外出もダメ。遠征先の宿舎では、2人一部屋で部屋からの外出は禁止…飲み物を買いに出て、スタッフに見つかり激怒され、あげくに同部屋の先輩が叱られる。

その団体はどのような団体だと思われますか?

私から見れば、監獄のような、常に人を監視するための団体です。

そこまでの規律を所属員に求めるのは何故か?…それは所属員が、外で破廉恥な行為を行うことがないように、

そんなことがあった時に、管理者に責任が問われたら困るという、逃げのための規律による管理?

その人達は言うのです…『私達もその規律で生活してきた。それは伝統だから守るべきだ。』

その規律に違反する者は、その団体では異端者です。

異端者は使われない。

なぜなら、その異端者を使えば、規律に違反したことを是認したことになるからです。

だから、その異端者を使って、その団体として結果を出すことよりも、その異端者を使わないことが、その団体の正論です。

その人達は言います。…『プロだからこそ、人に見られて恥ずかしくないようにするために厳しい規律がある。』

規律とは、第三者が決めたもの…それに従うことは“他律”です。

私が思うのは、プロだからこそ、他律ではなく自律を求められるのです。

その自律が出来ない者は、プロである資格はないのです。

他律である規律に従うことは、集団の秩序を守るために必要です。

しかし、その規律は伝統だから守らなければならない…は、違うでしょう!

伝統として培われた規律を守れない者は、プロではないと、その人達は言います。

本来は、プロの心得を指導し、自律ある行動がとれるようにするのが、その団体の管理者の責任だと思います。

異端者は使われない…その異端者が、『私、辞めます』と管理者に言えば、管理者は喜んで受け入れるでしょうね。

残念でなりませんが、それが事実です。

だから勝てないのです。

負け続けるチームにいる選手達は、他に行くところがないから、そこに居続けているとしか思えないのです。