バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

プレーヤーとして…2012

2012-11-11 06:05:33 | やっぱりミニバス!
平成24年11月 11日 日曜日
 
「プレーヤーとして…2012」


●審判の方に対して

審判はプレーヤーのプレーを監視している人ではなく…ゲームがスムースに行くようにコントロールをしている人だと思います。

審判は、ルールの表面だけに従って判定をしているのではなく、そのルールの、そもそもの考え方を理解して判定しているのです。

例えばトラベリングならば、『二歩まで動ける』ではなく、『二歩で止まる。ボールを持って運んではならない。』という…

また、身体の接触に関しては、そもそも接触してはならないのですから、接触した側の反則になる規則…接触した側の責任になるということ、

難しい判断ですが、『シリンダー』と『空間を潰した責任』を見極めて、アドバンテージを一瞬判断することなどでしょうか?

審判の資格がない、私が言えることではありませんが、講習会で学ばしていただいたことです。


バスケというスポーツの特徴を生かし、それを楽しむために、ルールは考えられているのです。

審判は、そのルールの成り立ちを理解して判定している。

審判がいなければゲーム全体が進行しないのです。

プレーヤーはチームの勝利のためにプレーしている。

そのために、審判のチームに対する不利な判定には感情的にもなるでしょう。

しかし、審判に対するプレーヤーとしての基本姿勢は…『感謝の心』でなければならないと思います。

プレーヤーが審判の判定に対して、あからさまに熱くなり…

反抗的な言動をすれば、審判も人の子ですから、チームとして不利と思われる判定をすることもあるでしょう。

それではバスケをしているのではなく、審判との感情的な戦いになってしまって…スポーツを楽しむという本来の姿からかけ離れてしまうでしょう。

審判の判定も自分を成長させてくれるものだと、素直に受け入れることを心がけるように努めることが…プレーヤーとして大切なことだと思います。

一方で、審判の方も機械的にルールに則って判定するのではなく、

なぜそのルールなのか…、どうしてそのルールが作られたのか?

そもそもの考え方を勉強していただきたいと思います。


●身勝手な言動はチーム力を向上させない。

プレーヤーは自分本位の言動を慎まなければなりません。

チーム力は掛け算であるからこそ仲間が一丸とならなければ、チームが目指す目標を達成することはおろか…そこに向かうことさえできないでしょう。

もし、仲間やコーチなどに言いたいことがあるならば、直接、面と向かって話すことです。

直接ぶつかりあうことで…互いを理解することができるのです。

本人のいないところで、陰口をたたくなどとは、スポーツマンどころか、人としてあるべき行為ではないのは間違いないでしょう。

もし、振り返って…そういう自分であるならば、恥ずべき自分であると思える己れであることです。


●手を抜くな!その時に出し切ることができる全力を出せ!

ゲームも終盤になると、肉体的に疲労する。体が自分の思うように動かない…

だからといって、動かない自分を認めてしまっては、ゲームをあきらめたことと同じです。

よく言われるのは、自分達も疲れているときは、相手も同じように疲れている…

そのときに、ゲームを支配するものは、結果に執着する気持ちの差でしかないと思います。

『もうダメだ…』と思うのは誰が思うのか!?

そう思った瞬間に、結果は自分達の手からすり抜けてしまうでしょう。

気持ちが萎えたときこそ、その気持ちを奮い立たせるのは自分しかいないのです。

先手を奪う気概を持つこと!

イニシアチブを取るように頑張ること!

自分が頑張れば、仲間も頑張る!

仲間全員がその気持ちを共有すること!…それはとても難しいことでしょう。

しかし、それでも執着してやりきろうとする、必死の思いで臨み続けることが…あきらめない結果を引き寄せてくる可能性を生み、

そのときの結果が成るようにならなかったとしても…その気持ちは次につながるのです。

あきらめない心は、次につながる心なのです。