平成24年11月 20日 火曜日
「指導者は教育者?…2012」
私が中学、高校生時代はバレーボールをしていました。
その部活は顧問先生による スパルタ指導でした。
ミスをすれば、ビンタは当たり前、ボールをぶつけられ…『やる気あんのか!?』と怒鳴られながら、蹴られるのは当然。
それでも、部活を辞めずに続けました。
昭和ノスタルジーの時代です。
このような指導を可能にするためには、選手と指導者の基本となる気持ちがひとつになり、共有されていることが大前提だと思います。
それがないと、いずれは指導者と選手は割れるでしょう。
それは、今の時代も基本の精神は同じだと思います。
しかし、昔のようにすべてがスパルタ式暴力はないでしょう。
時代が違うからです。
周囲の価値観が多様になり、大きく異なる時代です。
私もビンタをする、蹴る、という暴力は指導者として反対です。
しかし、愛情を持った、この子供達の想いを叶えさせてあげたいという想いからくるビンタ…、仲間への思いに欠けたプレー、全力ではない自分に甘い行い、
それは、愛情を持ったビンタで…指導者は心に痛みを感じながらで行うこと
それは、指導者の熱き想いを伝えるものとして…許されるものだと思います。
ただし、ミニバスでは、ミニバスのそもそもの精神から…ビンタという行いも私は反対です。
子供達が自我に目覚める思春期…自分達の考えが芽生えるときに、価値観を作るということがわかってきたときに、そのような指導を行っていいと思います。
指導者と選手達が共有する気持ち…
例えば、世界選手権出場、上位入賞、優勝!、または、オリンピック出場、メダル獲得!、全国大会出場、ベスト4以上の入賞!そしてセンターコートに立つ!
県大会出場、
県大会優勝!
県大会ベスト8!
県大会一回戦突破!
市内大会出場、
市内大会優勝!
地域予選ブロック突破!
それぞれのレベルで…それぞれの目標があり、それぞれの目標に向かって、子供達、少年達、青年達、大人達は日々練習をしています。
その目指す目標は、最初は指導者が示すのでしょうが、やがて、それは選手達自身が目標としていくことが、もっとも大事なことだと思います。
その目標は、やがて指導者のものではなく、選手自身が自分達の目指す目標になっていなければならないのでしょう。
そうでなければ、選手自身が何のためにそのスポーツをしているか応えられないからです。
当然、その基本にはそのスポーツが、「好き!」という気持ちがなければいけません。
その好きという気持ちから、その好きなスポーツによって達成したい目標を仲間達と共有すること。
そして、指導者は選手達が目指す目標を実現させるために、選手達のために、厳しく辛く、苦しい練習を指導していくのでしょう。
決して、指導者の気持ちを満足させるために厳しく辛く、苦しい練習を選手達に強いるのではありません。
指導者は、選手達の気持ちをひとつにするように指導します。
そして、選手達の気持ちがひとつの目標に
向かって共有されたならば、
選手達の想いを、指導者自身のものにして…選手達と指導者が同じ想いを共有しなければならないのです。
そのためには、指導者が、まず熱い真剣な想いを選手達に伝えること、
選手達が、そんなことは無理だと応えても、夢を手にする喜びを語り続けること。
夢を手にする努力があって、夢を手にすることが出来ること。
ちょっと旧いですが、ドラマ“ルーキーズ”の川藤先生は、『夢にときめけ!明日にきらめけ!』と熱く語り、
また、松下幸之助氏は言いました。
『世の中の多くの人は、少々うまい事いかなくなると途中で諦めてしまう。本当に物事を成し遂げる為には、成功するまで諦めない事である。』
これらの言葉は、今の指導者の人たちが、心に刻むべき言葉だと思うのです。
それを選手達自身が…自分達の想いとして心に持たなければ、指導者の思い描く成長を子供達に教えることはできません。
そのためには、指導者は語るだけではなく、選手達自身が、自分達にもその夢を実現させることができるかもしれない…と選手達の心が変化していかなければなりません。
その指導のやり方は、最初は強引でもいいから、指導者が選手達を引っ張っていくしかないでしょう。
選手達は、部活を辞めていくかもしれません。
それでも指導者は、語り続けるのです。
熱い想いを選手達に語り続けるのです。
今の子供達は白けて聞いているかもしれない。
それでも指導者は、子供達が前向きに歩いていける人になってくれるために…最初から夢は夢でしかないと思わないために、
教育者として、指導者の立場で語り続けて、行い続けることです。
現代っ子といいながらも、子供達には夢があり、それを実現させたい想いは絶対あると思うのです。
それを教育者たる指導者は引き出してやるのです。
指導者があきらめてはいけないのです。
所詮、この子たちは、ここまでの想いしか持っていない。
だから、このぐらいの指導しかできない…ではないのです。
まず指導者の姿勢なのです。
揺るがない、夢に向かわなければ、夢は叶わないという想いを…指導者自身の人間性をもって懸命に子供達に伝えるべきなのです。
子供達には、そういう大人になって欲しいという強い信念が…教育者たる指導者には必要だと思います。
「指導者は教育者?…2012」
私が中学、高校生時代はバレーボールをしていました。
その部活は顧問先生による スパルタ指導でした。
ミスをすれば、ビンタは当たり前、ボールをぶつけられ…『やる気あんのか!?』と怒鳴られながら、蹴られるのは当然。
それでも、部活を辞めずに続けました。
昭和ノスタルジーの時代です。
このような指導を可能にするためには、選手と指導者の基本となる気持ちがひとつになり、共有されていることが大前提だと思います。
それがないと、いずれは指導者と選手は割れるでしょう。
それは、今の時代も基本の精神は同じだと思います。
しかし、昔のようにすべてがスパルタ式暴力はないでしょう。
時代が違うからです。
周囲の価値観が多様になり、大きく異なる時代です。
私もビンタをする、蹴る、という暴力は指導者として反対です。
しかし、愛情を持った、この子供達の想いを叶えさせてあげたいという想いからくるビンタ…、仲間への思いに欠けたプレー、全力ではない自分に甘い行い、
それは、愛情を持ったビンタで…指導者は心に痛みを感じながらで行うこと
それは、指導者の熱き想いを伝えるものとして…許されるものだと思います。
ただし、ミニバスでは、ミニバスのそもそもの精神から…ビンタという行いも私は反対です。
子供達が自我に目覚める思春期…自分達の考えが芽生えるときに、価値観を作るということがわかってきたときに、そのような指導を行っていいと思います。
指導者と選手達が共有する気持ち…
例えば、世界選手権出場、上位入賞、優勝!、または、オリンピック出場、メダル獲得!、全国大会出場、ベスト4以上の入賞!そしてセンターコートに立つ!
県大会出場、
県大会優勝!
県大会ベスト8!
県大会一回戦突破!
市内大会出場、
市内大会優勝!
地域予選ブロック突破!
それぞれのレベルで…それぞれの目標があり、それぞれの目標に向かって、子供達、少年達、青年達、大人達は日々練習をしています。
その目指す目標は、最初は指導者が示すのでしょうが、やがて、それは選手達自身が目標としていくことが、もっとも大事なことだと思います。
その目標は、やがて指導者のものではなく、選手自身が自分達の目指す目標になっていなければならないのでしょう。
そうでなければ、選手自身が何のためにそのスポーツをしているか応えられないからです。
当然、その基本にはそのスポーツが、「好き!」という気持ちがなければいけません。
その好きという気持ちから、その好きなスポーツによって達成したい目標を仲間達と共有すること。
そして、指導者は選手達が目指す目標を実現させるために、選手達のために、厳しく辛く、苦しい練習を指導していくのでしょう。
決して、指導者の気持ちを満足させるために厳しく辛く、苦しい練習を選手達に強いるのではありません。
指導者は、選手達の気持ちをひとつにするように指導します。
そして、選手達の気持ちがひとつの目標に
向かって共有されたならば、
選手達の想いを、指導者自身のものにして…選手達と指導者が同じ想いを共有しなければならないのです。
そのためには、指導者が、まず熱い真剣な想いを選手達に伝えること、
選手達が、そんなことは無理だと応えても、夢を手にする喜びを語り続けること。
夢を手にする努力があって、夢を手にすることが出来ること。
ちょっと旧いですが、ドラマ“ルーキーズ”の川藤先生は、『夢にときめけ!明日にきらめけ!』と熱く語り、
また、松下幸之助氏は言いました。
『世の中の多くの人は、少々うまい事いかなくなると途中で諦めてしまう。本当に物事を成し遂げる為には、成功するまで諦めない事である。』
これらの言葉は、今の指導者の人たちが、心に刻むべき言葉だと思うのです。
それを選手達自身が…自分達の想いとして心に持たなければ、指導者の思い描く成長を子供達に教えることはできません。
そのためには、指導者は語るだけではなく、選手達自身が、自分達にもその夢を実現させることができるかもしれない…と選手達の心が変化していかなければなりません。
その指導のやり方は、最初は強引でもいいから、指導者が選手達を引っ張っていくしかないでしょう。
選手達は、部活を辞めていくかもしれません。
それでも指導者は、語り続けるのです。
熱い想いを選手達に語り続けるのです。
今の子供達は白けて聞いているかもしれない。
それでも指導者は、子供達が前向きに歩いていける人になってくれるために…最初から夢は夢でしかないと思わないために、
教育者として、指導者の立場で語り続けて、行い続けることです。
現代っ子といいながらも、子供達には夢があり、それを実現させたい想いは絶対あると思うのです。
それを教育者たる指導者は引き出してやるのです。
指導者があきらめてはいけないのです。
所詮、この子たちは、ここまでの想いしか持っていない。
だから、このぐらいの指導しかできない…ではないのです。
まず指導者の姿勢なのです。
揺るがない、夢に向かわなければ、夢は叶わないという想いを…指導者自身の人間性をもって懸命に子供達に伝えるべきなのです。
子供達には、そういう大人になって欲しいという強い信念が…教育者たる指導者には必要だと思います。