GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

現状を嘆いてばかりでは、前に進まんという事なんやなぁ

2020-05-05 10:33:56 | 野球

週べを読んでへんから知らんかったけど、スポーツウォッチャーで知ったんやけど、北海道に独立リーグが設立されたらしいです!名称は「北海道ベースボールリーグ」。今の所、富良野市・美唄市を拠点とする2チームでの構成です。ただ他の独立リーグとは一線を画していて、関西と同様プロではなく"給料は、無給"(汗)しかし居住場所・食費といった生活面は、全て支給・補償される上、午前中のみのアルバイトは、可!さらに地元の農家等の手伝いもありで、高齢化に悩む農業も施設面が充実した事により、生産数や売り上げが伸びたという、まさにチームと地元の「WIN WINの関係」になっているという事ですな、"金が懸かる・金がないから運営が出来ない・無理とか現状を嘆いていたら、出来る事も出来んという事"かなぁ、僕には出来んし真似出来んけど(爆)理念としても"若者を支援する為のリーグであって、技術の向上は目指すけども、プロを目指したり、ドラフト候補にかかるような選手も要らない"といったものらしいです。ただコロナウイルスの影響で、まだ開幕出来てないし、来季から"一部(1チーム1~5人)の「プロ契約」(元プロ選手など)を認め(給料ありで、バイトはしなくて良い)、募集を懸けて入団させる事も可能になる"ようです(大汗)少人数とはいえ理念はどこ行ってんし、どないやねん!?

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かっとばせ!キヨハラくんにも出てた

2020-05-05 00:55:00 | 野球

マット・キーオ(阪神)氏が、亡くなりました。マットさんは、1987年に阪神に入団。敢えてファーストネームで書いたのは、父親のマーティ・キーオ(南海)も日本プロ野球界に在籍したからである。ちなみに会場試験の第1回「阪神タイガース検定」に"マット・キーオの父親も日本球界に在籍したが、その在籍してた球団は、どこだったかを次の中(4択)から答えよ。"という問題が出て、うろ覚えやったけど、「確か南海やったはず・・・」と思って、僕は正解したで!親父さんは、まだ健在のようです(汗)まあそれは余談やが、彼は弱体化した阪神投手陣の中で、オープン戦で好成績を残した事から、入団1年目でいきなり開幕投手を務めるなど、エースとして活躍。なお、入団1年目の外国人投手が開幕投手を務めたのは日本球界で初めてだった(阪神の外国人投手による開幕投手は1965年のジーン・バッキー以来であったが、来日1年目ではなかった)。また投手ながら、2本の本塁打を放つなど目立った。通算4年間阪神に在籍し、ストレートとカーブを武器に、"打線の援護の少なかった当時では驚異的な記録"と言える、3年連続2桁勝利(特に1989年は15勝)を含め45勝を挙げた。これは1985年の優勝後、最下位に沈むなど低迷した当時の阪神投手陣の中では数少ない明るい材料だった。1989年に15勝を挙げて翌1990年も期待されたものの、7勝に止まった事から自由契約となる。通算成績は、試107 45勝44敗 防3.73 でした。合掌です・・・ 

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