GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

KOCファイナリスト決定に加えて

2016-10-01 21:50:35 | お笑い考

しずる・ななまがり・ジャングルポケット・だーりんず・ジグザグジギー・ラブレターズ・タイムマシーン3号・かもめんたる・ライス・かまいたち
 もう明日、本番やけど(汗)やや攻めてるけど、変わり映えせん所もあるなぁ(汗)だーりんずだけは、知らんわ。よしもとは半分ぐらい(確かライスは、よしもとやったはず、だーりんずもそこっぽい)やな・・・タイマ・かまいたちは、コントはイマイチやから、期待してない。観てないから判らんけど、彼らを上げるぐらいやったら、久し振りにチョップリンが準決まで来てたらしいからチョップリンやシンプル・ななめ・ジャル・アルピー辺りを上げて欲しかった・・・本命不在やけど、優勝経験者の分ハードルが上がるやろうけど、かもめんたるか!?しずる・ななまがり・ジグザグ・ラブレ辺りも脅威。
 あと上岡龍太郎師匠の一番弟子であった(青空)テントが、交通事故に遭って帰らぬ人に(大涙)殆どテレビで見掛ける事が少なくたまに出て来るテレビが、ビッグ番組やったりするから"密かに大物"たる所以やったんですが!めちゃイケや紳助が"大先輩"と崇め紳助の口利きで行列にも出た事が、あります!「ADSLの"CM"」にも山本未来と共演し、思わぬ所で抜擢される事もありました。テントは、生家はテント商で自身も時折?本業?は、テント業でした。そこから芸名を取ったんでしょう。腹話術師・川上のぼるに入門。その後1973年に松竹芸能の漫才教室に入る。1974年11月11日11時11分、新世界の新花月で初舞台。旧芸名は大空テント(おおぞら テント)。その後家業の手伝いなどを経て、上岡龍太郎に弟子入り。漫才コンビ星空まあちと"テント・シート"を結成するも解散。その後の1981年、幸つくると"大空テント・幸つくる"を結成。同年の第12回NHK上方漫才コンテストで優秀賞を受賞し、一躍脚光を浴びたが、数年後にテント・つくるは解散。ヤマトと「ざっと31」を結成も解散、その後ピン芸人として活動を始めた。テントの漫談は1990年代の終わりごろから口コミで話題になり、「テントさんの芸が面白い」というよりも「テントさんが芸をしている所が面白い」という、カルトな人気を持つに至った。中島らもやみうらじゅんらから高く評価され、彼らの主催のライブに出演したほか、一時期、小ホールなどで行なう彼のライヴのチケットは即完売し、手に入りにくいという状況にまでなった。また、このころから、回数は少ないながらテレビ番組に出演し、芸を披露するようになった。晩年は東京・新宿にある吉本興業の劇場「ルミネtheよしもと」に出演し、ネタコーナー「7じ9じ」のトリを務めたり、ワッハホールにて「得別奇角」と題するイベントを定期的に開催したりした(川上のぼるからは、Wiki参照)。まためったにテレビで見掛ける事が無いんで、「ツチノコ芸人」とも称されてました(汗)ネタは、代表的な物に「人間パチンコ」や「蜘蛛の決闘」などが、あります。後者はかなり「ドラスティックなネタ」で"右手の蜘蛛が勝つか左手の蜘蛛が勝つか"は、本人も分からず(知らず)、その思い付き・アドリブで決めてたそうです(笑)前者は、ネタの入り方が、やはり師匠と似てましたなぁ!上岡師匠所属の漫画トリオも漫才開始前に「競馬のファンファーレ」の"パンパカパーン、パンパンパンパンパカパーン!"で始めてた様にテントも「軍艦マーチ」の"擬音"から始めてたから影響を受けてたんでしょうなぁ!!1つのパターンとしては、"軍艦マーチの擬音→「グ~ル、グ~ル、グルグルッ!→チカッ、チカッ、チカッ!7(なな)、7、(間を置いて)ななめ!→なんじゃそりゃ!!」と自身で言って自身でツッコむ"ような運びでした。人間パチンコの一部のくだりをADSLのCMで使ってましたし。僕は当初テントの存在を全く知らなくて、妹の方が先に目を付けてたのは、やられました・・・それを大学時代のよしもとお笑い好きの友人に言ったら、「妹、凄いな!普通そうは知らんで!めったに見掛けへんし、本業がテント業のような人やで。」と言ってました・・・ほんまに不運でしたが、安らかに・・・

コメント
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