富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

喪家の狗(『考えない人』1)

2010-12-31 20:43:11 | その他の小説

今紅白見ながら書いています。年末の忙しい時、ブログ見てる人、いるかな?

昨日の大掃除では、探していたこれが出てきました。


来年読もう。

父の遺品ですが、丹羽ファンだったわけでなく、この全集を集めていたということで。
好きだったのは大江、三島、太宰…残念ながら稀観本はなし。


さて、今年最後の読書はこの本。
薄い文庫だけど、中身は濃厚。
年末にふさわしい一冊でした。

『考えない人』
角川文庫
昭和53年3月4版(初版:昭和51年7月)

所収;
喪家の狗
鮮魚の匂い

犬の幽霊
考えない人

しょっぱなからこれだもの

<喪家の狗>

「うわっ、やめた!」と何度もページを閉じたけれど、もったいぶってはいられない。
ご存じ、芥川賞候補となった富島氏の処女作である。

二十一歳の時の作品で、宇野浩二には「もつと勉強しなさい」なんて評されているが、
稚拙さは感じられない、富島健夫そのままだ。

孤独と絶望、そして男と女の息遣い。
『七つの部屋』のように、陰鬱な空気がたちこめる。

でも、その絶望は底なしのものではない。

途中で読むのを断念したくなる、まったく救いようのない小説というのがあるが、
この作品…富島作品には特に希望もないが生きる力がある。

「そういう運命なら、ようし、はいつくばってでも生きてやろうじゃないか」とでもいうような。

それは小説の主人公でなくとも、生きてる人間ならみな同じなのではないだろうか。
だから読者は「主人公の絶望」にある種のカタルシスを覚えるのかもしれない。

…と、読後村松定孝氏の解説を読むと、同じような点に着目していた。

こんなにも深刻な題材の小説を、読みながら暗鬱な感情に陥らないのは何故だろうか。(略)作中人物に対する作者の温いまなざしを感ずるからである。
少しまぬけで、里子に劣等感を抱いている金秀承をあわれむ作者のまなざしは、金の内部を見すかしながら、金になりかわって、読者に、その心理を演じ、読者をして金への愛情をつのらせることに成功している。それが救いとなっている。

うむ。愛情か。私は“愛情”というより共犯者のような気分になるのだが。
「春の海」の密航船に乗り込んだ人々のように。


さて、金秀承という朝鮮人を主人公に据えた意味も無理やり考えてみた。
作者の引き揚げ体験が…うんぬんはよくわからない。
ただ、民族性というのは、逃れられない運命の一つだと思う。
戦争、敗戦、引き揚げ…作者も人生のなかで民族性を強く実感したことだろう。

金秀承は、運命に抗うわけでもなく、かといって受け入れるわけでもなく、
その中でいかに個人としての自分を確立していくか…という作者のテーマをより象徴化しているように思う。

さて、村松氏の解説には、続いて

この作者は小説の面白さを清純なヒューマニティによって支え、大人の世界をもメルヘンにしてしまう。
われわれが幼時に童話を読んだ時の愉しさに似たような快楽を、富島文学はわれわれに、少くともわたしに与えてくれる。

とあるが、これについてはのちほど。


つづく

※富島健夫作品初出情報引き続き募集中です



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。