富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

特別インタビュー:荒川佳洋さん、富島健夫を語る 第2弾

2011-03-09 21:08:12 | 荒川佳洋さん

※7日(月)第1回公開後、数回に分けて掲載する予定でしたが、間延びさせたくないので一挙公開することにしました!

富島健夫研究家、荒川佳洋さんへのインタビュー企画。ありがたくも第2弾が実現しました。
今回は富島氏の“官能小説”について。ジュニア小説で人気を博した作家が、なぜ官能小説で名をはせるに至ったか、かなり深い話をお聞きすることができました。
文学史を揺るがす?荒川さんの考察に注目です!

第1回(第1弾)はこちら
第2回(第1弾)はこちら

※文字が多いので、読みづらいときはブラウザー画面の幅をせばめてお読みください。
※インタビュー:2011年3月1日(都内近郊某県にて)
※本文中、荒川さんより提供していただいた写真を私の趣味で掲載しています(本人は恥ずかしがっておられますが…)。

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―では、今回は富島氏の“官能小説”についてお聞きしましょう。

どのあたりを富島の“官能”小説と言うかだよね。175条容疑を受けたころからと言えば、1回目は昭和38年の十代雑誌「若い人」(「若人」)に連載開始した「青春前夜祭」第一回が、初の発禁事件だから、そうとう初期のころからってなるでしょ。刑法175条っていうのは、わいせつとされる文書や図画を領布、制作、販売した者すべてに課せられるので、著者だけじゃなくて、「若い人」の編集者、出版者も取り調べを受ける。この雑誌は、この摘発でまあビビってしまい、次号の富島の小説を伏字だらけにして発売して、富島の抗議文を受けて、廃刊してしまいます。

―「青春前夜祭事件」については『書誌』にありましたね。そんな早い時期から発禁事件が起こったのですか。

この作品のテーマが“恋と性欲”だったんだから、それだけで当時としてはかなり挑発的なんだ。(笑)男の子たちが並んで飛ばしっこする場面から始まる十代雑誌の小説なんて、今だってありません。『燃ゆる頬』『白い一本の道』『夜の青葉』と「若人」に続けて人気小説を連載して、数年おいて最後がこの小説でした。「若人」はこの発禁事件がきっかけで、廃刊するんです。この連載の富島の反権力の意図はあきらかです。

―ここでも権力への反発が見られるのですね。

このとき富島は検察に呼ばれて事情聴取されますが、担当の検事が文学に理解の届く人であったらしく、その後富島が『おさな妻』でテレビに引っ張り出されて、作品自体を読んでいない評論家、作家たちから攻撃されたとき、「かつての検事のほうがはるかに理解力があった」ということを書いてる。(笑)

ふみさんの世代ではちょっと想像できないかもしれないけど、性表現をお上が厳しく管理している時代が、長く続きました。だから昭和50年代あたりまで、性を文学のテーマに扱う作家には権力への抵抗という面があったんです。富島が十代雑誌で果敢に“性欲”をテーマにして発禁になったのも、富島には意識的な権力への抵抗という面があった。「性」は人間性の発露であり、権力が法律で押さえつけておきたい大きなものであったんです。野坂昭如の『エロ事師たち』みたいな登場人物が、反権力的に見えたり、裏本の世界が妙に反体制ゲリラ的出版物に見えたりする時代でした。

日活に集まった若い映画監督たちが、ロマンポルノという分野で果敢に裸体表現ギリギリに映画を撮り、ぼくたちはそこに反権力の姿勢を見て、喝采を送った。その時代ならではのことだったよね。大江も石原のような純文学作家も、デビュー当時から書いてましたよ。ただ純文学雑誌なんて普通の市民層は読まないから、せいぜい障子破りが評判になるていどで、警察も気にしなかった。大江がノーベル賞を取って、はじめて本を手にした一般読者が、新妻の大事なところを突き破ってしまう話とか、授業中に破れたポケットから自慰をする高校生とか、こんなイヤらしいこと書いてたのか、と驚いたという。(笑)そういう記事を読んだことあります。

 ―そういえば中学生の時、(大江の)『セヴンティーン』の書き出しにびっくりしました。

 ノーベル賞作家がこんなこと書いていいの、って反応はいかにも文学が市民主義化した時代の反応だけどね。でもそれは、純文学の狭い読者層の中で書かれていたこと。大勢の読者を相手にする一般誌で、野坂昭如は一連の性風俗ものを、富島は濃厚な性描写のえんえんとつづく長篇を書くというのは…そうだな、まあ街頭でゲバルト部隊がジュラルミンの盾を持った機動隊と睨みあっているようなものかな。(笑)一触即発でね、スキあらば官許の一線を越えるぞ、という緊張の姿勢が作家にはありました。

―学生運動していた荒川さんみたいだ(笑)

(笑)野坂は戯作者風の文体にかなりきわどいことを紛らす工夫をしてたけど、富島はリアリズムの文体ですからね。富島も、摘発受けたらやり返せるくらいの緊密なりっぱな文章で書いてましたよ。今、いろんな作家たちがかなり奔放に毒にも薬にもならない官能小説やエロ小説を書けるのは、まちがいなく野坂や富島や川上のおかげだよ。彼らが苦労して切り拓いた土地で、後からやすやすと商売しているんです。安っぽい商品ひろげて。(笑)

 『詩とフォークの夕べコンサート』にて自作の詩を朗読する荒川さん(1976年10月)

―作家としての緊張感がないんでしょうね。

 そのうち、篠山紀信のような著名な写真家が、ヘアヌードと呼ばれる写真集を出してお上が規制していた性表現の壁に風穴を開けたあたりから、市民社会の中で性表現は急速に一般化して、もう強権に対する反体制的な意味はほとんどなくなっちゃいます。隠花植物のような小説を書いてた団鬼六さんが市民権を得ちゃったらおしまいだよ。(笑)文学では、富島の『初夜の海』上下巻に対する摘発が、作家への175条容疑最後となりました。やるんなら、連載中にやるだろと言いたいほど、あれも不思議な摘発でしたね。週刊ポストの第1回から、発禁を受けたって不思議じゃないほど、挑発的でしたよ。まあ、ああいう描写だもんね。警視庁としたら、著名な作家を槍玉にあげて、「性表現の検閲をゆるめたわけじゃないぞ」ってとこを見せたんでしょうけど、結局権力といえども時代の流れを止められない。
性をテーマとすることが反体制であったという時代は、ヘアヌードと呼ばれるものが公認されるまで続いたんで、富島健夫の本来持っていた反権力の姿勢が、官能文学に向かわせたともいえます。しかし、かなり大っぴらに性的なものが出て来て、市民権…といえるかどうかわかりませんが、認知されるようになると、次第に富島の官能文学も“反権力”的色彩を失うことになった。次第に自己模倣みたいなものになって行った。これは、野坂昭如なんかの文学だってそうです。

―荒川さんが「書き飛ばしてる」と評しているような。

もともと富島は性的な場面では“書き過ぎる”あるいは“書きたがる”きらいのある作家だったんです。発禁となった「青春前夜祭」とおなじ38年の『恋と少年』で、杉良吉の恋人多摩代が暴行を受けたことを告白しに上京する場面なんだけど。本来なら、多摩代の告白は杉良吉との対話の中で明らかになってしかるべきところ。それでも充分なんだよね。多摩代は、聡明で淑やかな処女なんだ。でも、多摩代から聞いた場面として、再現描写が入る。ぼくは、はじめて読んだときからとてもこの場面には違和感があった。この少女多摩代が、羞恥に満ちた出来事をここまで話すかというものがあります。この小説の大きな傷ですよ。

 富島は、喧嘩の描写と性描写、つまりどちらも動きのある(笑)描写に、とても自信があった。若いころから上手だったんです。文学修業を積んだ作家だから、文章力も、それから小説の美観を損なわないように均衡をとるということも訓練して鍛えていた。評論家の小松伸六が丹羽文雄より小説が上手いと言いましたが、わけても性描写は上手いと書いています。自信があるから、書きたがるんだ。(笑)
昭和38年の次に富島が摘発されるのは、“官能御三家”と呼ばれたころの昭和50年。「週刊プレイボーイ」の連載「愛と夢と現身と」(青春の野望)や連作「女の園」が摘発されました。「女の園」も富島が自信を持っていた短篇連作。「いんなあとりっぷ」の誌面で、今度青春小説が出ます、買ってください、と広告しているぐらい。この摘発は石川達三の「ふたつの自由発言」でペンクラブ騒動を起こしました。

―ペンクラブ騒動とは?

「表現の自由は守られなければならないが、ポルノは規制されていい、譲れる自由ではないか」と晩年すっかり保守派になった石川さんは言ったわけです。『人間の壁』って傑作のあるリベラリズムの作家だったんだけどね。それに対して、ペンクラブの作家たちは対立するわけですが、どっちにせよ、擁護する側だって富島をポルノ作家とすることでは一致していて、自信を持って書き進めていた小説を同業者からポルノ小説扱いされたことは、富島には不愉快だったでしょうね。宗薫さんは、警察に呼ばれるのがイヤでしかたなかったと書いてますが、富島は反権力のヘルメットを被った確信犯だったので、摘発はむしろ勲章だったかもしれません。「おさな妻」で世間を騒がしたとき、飛んでくる矢をつぎつぎに薙ぎ倒すように反論エッセイや談話を発表してますが、じつに富島は活き活きしている。作家生活でもっとも輝いた時期でしょう。

―反発するのが好きなんですかね。

富島健夫は、論敵がいると、活き活きとする作家だったからね。喧嘩が強かったからね。昭和50年の摘発は警察から狙い撃ちのように受けたものでしたが、作者も反省していると書かれた不起訴状をそのまま掲載した新聞各紙に、自分は作品が猥褻であるとは一切認めていない、と抗議した「新聞の安易さに抗議する」ってエッセイがあります。でも、ペンクラブの二つの自由論争については黙殺している。同業者のエロ作家扱いが不愉快だったんでしょう。
ぼくは富島が本気で「官能小説」、つまり官能をテーマにしたのは、昭和48年、週刊ポストに連載開始した『初夜の海』からだろうと思います。一般読書界で低俗な興味に迎合する読物とみなされている官能小説に、緻密で緊張感のある文体と心理描写を持ちこんで、悠々と書き進めます。『初夜の海』は作者が執筆の前に“社会正義にも国家権力にも経済の消長にも背をむけて、ひたすら官能を追う男”を意識的に描くという宣言をしているんだよね。
実はこの連載の始まる前年の昭和47年、富島の中で大転換が起こりました。連合赤軍事件です。

―あさま山荘に立てこもった学生たちが、その前に同士たちを虐殺していたという有名な事件ですね。それがきっかけになったのですか。

そう。富島は60年代ジュニア雑誌の小説でもエッセイでも、アメリカのベトナム政策を批判しつづけ、70年安保闘争が盛り上がりをみせはじめると、十代雑誌の小説にそれを反映したものを書きはじめます。「自分が青春小説を書くのは、学生たちが敵としているものを、自分もまた敵とするためである」というエッセイもあります。富島は政治思想には、戦時中、軍国思想や愛国思想にだまされた少年として懐疑的でしたが、若者たちの潔癖感、純粋さまで疑いませんでした。不合理な規制の厳しい女子高の生徒にストライキさえけしかけているくらいです。(笑)

そんな富島に、連合赤軍の末路は衝撃でした。なにしろ、この事件が明るみに出だしたころ、高校雑誌の連載小説の中で「当局のデッチあげじゃないか」ということを書いてますし、「ひねくれ者」という高二時代の短篇では、赤軍派をかばって右翼から付け狙われる、“なんでも斜めに世界を見る”少年を描いて、連合赤軍を庇っていますからね。
同志虐殺が事実であることを知った作家は、衝撃を受けます。「誰が若者を非難できるのか」「無為の罪」という二つのエッセイを婦人公論などに寄せて、私も彼らを弁護しようとは思わないが、世の中の矛盾、政治の不正、資本の横暴を是正することもできず黙って見ているだけの我々もまた、無為の罪を犯しているのではないか、という趣旨の文を書いて、連合赤軍の若者たちを擁護します。
75年、富島が書いたジュニア雑誌の正月巻頭エッセイ「現世に正義はない」(註1)はタイトルからして悲惨なものでした。

【註1】「まず何よりも自分自身をたいせつにせよ、といいたい。積極的にいまの世をよりよくしようなどと考えてへたに動けば、きみ自身が大怪我をすることになる。きみ自身があっての『人類』であり『日本』であり『正義』なのだ。現代の悪はぼくたちの手に負えるものではないのである。思い上がった革命家気取りの連中の貧弱な想像力を、それははるかに越えて強大なのだ。自己を犠牲にして『善』に尽くすなど、美しくもおろかな行為だといえよう。自分が犠牲にならぬ限りの『善行』に止めようではないか。自分自身のために生きよと教えてくれているのは、その逆を唱える道徳家や政治家や組合幹部や文化人自身の実体そのものである。純粋でやさしくきれいな心を持つきみたちは、せめてそれぐらいのエゴイズムを持つ努力をしたほうがちょうど適正であろう」
(富島健夫「現世に正義はない」『小説ジュニア』昭和50年1月号)

日本の権力は絶大なもので、それを甘く見て革命家気どりで歯向かうと大怪我をするぞ、もう改革も革命も何も考えるな、自分のために生きよ、といったペシミスティックなもので、富島がどれだけこの連赤事件から衝撃を受けたかを物語るものでした。学生運動を支持した作家は、彼らの挫折を、作家もまた深いところで挫折として受け止めたのでしょうね。

2月に連合赤軍の永田洋子さんが亡くなりました。65歳でした。政治改革を志した者はぼくもそうですが、たくさんいます。長く関わったのも瞬間的に関わったのもいますよ。でも、若いときに抜き差しならぬ形で関わり、それが殺人にまで及んで刑事犯となって牢獄に入れられた者は、若気の至りでした、とか御免なさいでは許してもらえない。自分たちが当時正しいと考え実行した結果に、ずっと責任を取らされることになります。言い換えれば、あの時期にもっとも尖鋭に行動した者が、50にも60にもなっても20代の時点の責任を問われて死んだということです。

連合赤軍の永田さんや自殺した森さんらを、田辺聖子さんは「夕ごはんたべた?」(註2)で社会への憤りをもって記しましたが、富島健夫も彼らをそのように擁護したことは言っておかないといけないと思います。ぼくの知るかぎり、社会から袋叩きされている彼らを擁護したのは、富島、田辺だけですよ。

【註2】ああ、永田洋子よ。ああ、森恒夫よ。
お前たちは見たか。あの振袖女子学生や、背広男子学生の欣々然とした卒業式の顔を見たか。お前たちの犠牲の上に築かれた、これは何だ。
「阿呆な奴らやなあ、永田洋子らは。首くくって死んでしもた森恒夫は」
と三太郎はいうが、この「阿呆」はむろん、罵声ではない。敵弾に射たれて倒れた戦友に駆け寄って「馬鹿。あんなへろへろ弾丸に当る馬鹿があるか!」とどなるときの「馬鹿」である。いたましさのあまりの「阿呆」である。
(田辺聖子『夕ごはんたべた?』新潮文庫)

富島が社会に背を向けて『初夜の海』を書き始めるのはその翌年からでした。もう政治改革も革命も考えるな、とエッセイに記している作家は、“考えない”主人公を設定して、官能世界へ向かわせます。並行して、自分の考えるユートピアをスポニチの『処女連盟』に描きだしました。

―そんな深い背景があったのですね。富島氏は政治には無関心と思っていましたが、そうではなかったと。

若いころから政治にとても関心の深い作家ですよ。石原、江藤淳らと芸術家の尖鋭な政治活動をした「若い日本の会」のメンバーでしたし、60年安保闘争にも関わったし。毛沢東の長征を描きたいと長く言っていましたしね。富島の中の、青年の純粋さの発露だったでしょうか。
でも、連赤のこのころから、次第に現実の日本の政治や資本の動向にイヤケがさしてきたようですね。それとともに、そういう政治に黙々と従う民衆や何もしないくせに連赤を責め立てた人々にも不信感をつのらせてゆきます。『青春の野望』は全5部ですが、巻を追うにしたがって、戦後の政治動向や社会の様子が描かれなくなり、最後の2巻くらいになると“現実社会に背を向け”て、ひたすら青春の燃焼と称する性行動の連続になります。(笑)
永井荷風が墨東という陋港に沈んで戯作者になってゆくきっかけが、明治の大逆事件だったことは有名です。権力のフレームアップで無実の罪で大勢の死刑者を出した事件ですが、富島にとっては70年の全共闘運動の衰退と連赤がそれでした。

―社会に対するある種の失望感のようなものが、大量生産的官能小説の執筆につながったのでしょうか。

以後は、富島は官能的傾向の作品を書きまくりますね。職業作家ですから、出来の悪いのも多い。いいものも多い。みんな平均以上の出来だといった評価をされる作家もいますが、まあほとんど嘘ですね。業界商法なんだ。(笑)なんにでも、傑作とつけたがるケッサク書評家もいますが、そんな毎年限りなく傑作が出るのか、と鼻白むことが多い。むかし出版が華やかなころ、生前に全集を出したがる作家がいましたが、死後にひどいやつを残したくないからでしょうね。できたら、書かなかったことにしておきたいというものを持つのが職業作家だよ。純文学の制作者はほとんどアマチュアですから、問題外。家を建てられるくらい原稿料を稼げて、作家と呼ぶという説があるくらいだもの。(笑)

―ところで、荒川さんは富島氏の“官能小説”をどう思いますか。

富島は一般の小説だと思って書いていたし、事実現在富島の“官能”小説は、その手の小説ファンには、文学の匂いがしすぎて、あきたらなく思われていますよ。上品過ぎるんでしょ。いまは官能と修飾するより、かつて裏本の世界で脈々と書かれていたものが毒を消されて出てきただけ。完全に消耗品でしょう。文章も汚い。文学修業なんてしたことのない人ばかりだから、文章の質も低いし、美意識もない。ま、そのおかげで、十年経ったら富島は「官能小説家」のイメージを払拭できるのではないかな。あるいは、谷沢永一先生みたいな評価がもっと出てきて、谷崎潤一郎の作品を官能小説と言うように、官能文学の先駆者の一人とされるかもしれない。
昭和41年から大阪スポーツに連載された『女の部屋』もいいもの。あとは『初夜の海』三部作、『処女連盟』かな。『女人追憶』は有名で愛読者も多いけど、あまり読まないな。読んでいる最中のふみさんに言うと、さしさわりがありそうだけど。(笑)でもあれだけ読まれているのに、なんで集英社は復刊しないんだろ、不思議です。小学館文庫でも出せばいいのにね。ポストに連載して絶筆となった、未完長編『女神の里』もどうして小学館は文庫にしないのかな、してほしいんだけどね。で、最終巻は20回分だから、他の作家、知人たちの追想記なんかを収録してくれたら最高ですね。

―『女人追憶』の検索でブログに来る人は多いですよ。

短編集では『同級生』『恋愛劇場』『聖処女』など中間小説初期の作品集の中にいいものがあります。桃園書房系の雑誌に書いたものは読まない方がいい。ほとんどいけません。
でも、もう桃園文庫や青樹社の文庫、新書みたいに下着姿や裸のケバケバしい装丁のカバーはやめにしてほしいなあ。富島のポルノイメージにあれがどれだけ寄与しているか計り知れないよ。(笑)中身と外見が違いすぎます。久々に光文社文庫から1冊出ましたね。細谷正充さんみたいな解説がもっと出てくれたら、再評価につながるんだけどな。

―富島氏の“官能小説”が単なる“エロ小説”でないことがよくわかりました。でも、まだ、後者のイメージは根強いので、この記事や出版準備中の『富島健夫評伝』(出版社募集中!)で少しでも払拭できることを願います。
ところで私は、コバルトシリーズのような「ジュニアもの」が好きなんですけど…そのあたりのお話を次回は伺いたいと思います。順序が逆だったかな。(笑) 今回も貴重なお話をありがとうございました。