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佐村河内守 魂の旋律・音を失った作曲家

2013年04月03日 | ニュース

NHKスペシャル
佐村河内守-魂の旋律-音を失った作曲家
NHK総合:2013年3月31日(日)午後9時00分~9時49分
再放送:2013年4月13日(土)15時05分~15時54分

2012年暮れ、日本の音楽界に衝撃が走った。
クラシックのCDが7万枚を超える異例のセールスを記録した。
エグザイル、ユーミン、ミスチルを押さえ売上げ一位に輝いた曲こそ、佐村河内守(さむらごうち まもる)作曲『交響曲第1番《HIROSHIMA》』だ。
自身も被爆二世である佐村河内が原爆投下後の世界を描いた80分を越える大作。

佐村河内が完全に聴力を失ったのは14年前、35歳のときだった。
耳鳴りは、中途失聴者の多くに見られる症状で決してやむことはない。
「非常に重低音で大きな音量の耳鳴りが常に24時間365日なり続けている」

佐村河内が作曲を始めた。聴力のない彼が楽器を使うことはない。精神を集中させ頭の中の五線紙に音符を組み上げていく。
音が聞こえない中での作曲、それを可能にしたのが絶対音感。頭の中に浮かんだ音。その音を五線紙の上に性格に再現することができる。そして複雑なメロディでも。しかしそこに大きな壁が立ちはだかる。『ラ』の音で鳴り響いている耳鳴りだ。このほかにも様々なノイズが加わり、浮かぼうとする旋律をかき消そうとする。
ノイズに埋もれた音を正確に掴み取らなくてはならない。

佐村河内の体に初めて異変が起きたのは17歳の夏。電車の中で突然目の奥に激痛が走り意識を失った。多くの病院を受診したが原因は不明。聴力の低下と耳鳴りが始まり、症状が悪化する一方だった。幼い頃からピアノやバイオリンの英才教育を受け、交響曲の作曲家になる夢を抱いていた佐村河内。その人生が大きく狂い始める。

高校卒業後、それまでの楽曲をたずさえ、単身上京する。
35歳のとき佐村河内にチャンスが訪れる。念願だったオーケストラの演奏を伴うゲーム音楽の仕事だった。和太鼓や琴も加え総勢200人。大編成で奏でるテーマ曲は観客の度肝を抜いた。しかし拍手が鳴り響く会場に立った彼に笑顔はなかった。このとき既に彼の聴力は全く失われていた。

何度も鍵盤を叩き確かめたこともあった。しかし耳鳴り以外は何も聞こえなかった。
作曲家として致命的な障害を負ったのだ。
「この先どうしていけばいいんだ。音がなくて作曲ができない」
自分が生み出した音楽を聞くこともできない。

「闇が深ければ深いほど、小さな光というのはとても輝いて見えるし、障壁があることによって生まれてくるもの、闇の中からつかんだ音。そういったものこそ僕にとっては真実の音じゃないかなと思えて」

佐村河内は故郷広島をテーマにした交響曲を作りたいと考えた。両親から聞いた被爆体験、そして聴力を失った自分。その絶望の闇にこそ差し込む一筋の光を描く。
記憶の中にあるトロンボーンの音で一つの旋律を作ってみる。絶対音感が頼りだった。そこにトランペットなど他の金管楽器を重ねハーモニーを作り、さらにクラリネットなどの木管楽器。
最後に弦楽器、合わせて32の旋律が同時に鳴る。ノイズの中でたくさんの旋律を重ねても、ハーモニーができた。この作業を繰り返し完成したのが、80分を越す大作『交響曲第1番《HIROSHIMA》』である。

被災地の人々の心に響いた『交響曲第1番《HIROSHIMA》』。


交響曲第1番《HIROSHIMA》
大友直人 指揮 東京交響楽団 COCQ-84901 2,940円(税込)


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2 コメント

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駆け出し現代音楽作曲家のparuと申しますm(__)m (paru)
2013-04-03 12:16:25
正直、基本的なこと以外は現代音楽しか教えない音大卒の我々にとって超大作交響曲第1番HIROSHIMAは神の領域です。

私の師匠(有名な現代音楽作曲家)が逆立ちしても書けない曲、それが佐村河内守先生の交響曲第1番HIROSHIMAです。

こんな偉大な先生を・・・・・メディアの扱いが雑なことに怒りをおぼえます!
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音楽論を! (木村正行)
2014-02-05 13:19:59
こういうことを公表した以上、改めて佐村河内の人間論でなく、作品論を確認してほしい。詐欺師にだまされるのは仕方ないが、音楽を聴き誤っていたなら、話は別です。
聴き直したら価値の低い音楽だったでは、あなた方の音楽能力あるいは誠意が疑われます。
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