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健康と美しさをいつまでも、水素と酵素で細胞を生き生きさせる還元の発想
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NHK ETV特集「花を奉る 石牟礼道子の世界」

2013年02月18日 | ニュース

ETV特集「花を奉る 石牟礼道子の世界」(2012/02/26放映)で、初期の頃から水俣病の診察をしてきた医師・原田正純(77歳)さんが話していました。原田医師は、水俣病の診断書を書いたり、裁判官を水俣病の患者の家へ案内するなど、水俣病の現状を訴えてきました。

そこがもう私と言うか、私たち医学の大失敗なんでね。
あの時あまりにも症状のひどい人がポコポコ出たもんですから、そこだけを見ていって家族みんながおんなじもんを食べたとかね、地域全体がおんなじもんを食べたという意識が、ポコっと抜けたわけですよね。私も含めて。
今んなって考えてみるんですけど、水俣病事件ちゅうのは貴重な歴史的な大変な事件だったわけですよね。
ところが医学に丸投げしすぎちゃったんですよね。
なんか、水俣「病」だから、こりゃもう医者どんのするこってゆう風に放り投げたわけでしょ。
これがね、僕はいまだに水俣病が完璧でないというか、問題残してね。

半世紀にわたって水俣病に向き合い続けた医師・原田正純さんが、今年6月、急性骨髄性白血病で亡くなった。77歳だった。今年7月、水俣病の特別措置法に基づく被害者救済の申請受付が締め切られた。公式確認から56年。最終解決を目指すとされる国の救済策が閉ざされる一方で、なお多くの潜在的な被害者が残るとみられている。こうした現状に一貫して警鐘を鳴らし続け、常に患者に寄り添い続けたその人生を通して、原田さんは私たちにさまざまなメッセージを残した。
原田さんは、昭和35年、熊本大学の大学院生だった時から水俣病に関わり始め、亡くなるまで50年以上、常に現場に足を運び、水俣病患者を診てきた。昭和37年には、母親の胎盤は毒物を通すことはないとされていた、当時の医学界の常識を覆して、母親の胎内で水銀に冒された「胎児性水俣病」を証明した。以降、胎児性患者の人たちとのつきあいは亡くなるまで続き、一番の相談相手であり続けた。1軒1軒、未認定患者宅訪ねて、掘り起こしにも取り組んだ。
ETV特集「原田正純・水俣 未来への遺産」2012年11月4日(日)放送より

ユニヴェール「水俣病と水素の可能性」特別講演会
水銀に関する水俣条約の条文案の概要(環境省環境保健部)


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