今日見てきた「夕鶴」のキャストがつう20人、与ひょう20人だった。どういうことかというと、小学校の学習発表会(学芸会)で5年生が代わる代わる主役のつうと与ひょうを演じた。まさしく代わる代わるなので、20人のつうと与ひょうが入れ替わり立ち替わりだった。大きい与ひょうが下手に引っ込んで出てくると小さな与ひょうに変わっていて着物や頭に巻いている手ぬぐいもそれぞれが持ってきたものなので、微妙に違っている。出入りのタイミングが悪くて舞台に2人のつうがいたことは愛嬌だったけれど。
引っ込んでから別の与ひょうやつうに変わるのでテンポも悪いし、村人も毎回変わるので推理小説を読みながら舞台を見ているというような不思議な感覚だった。
これが平等教育の姿だ。
勉強が出来る子もいれば、スポーツが出来る子もいるし演技が上手な子もいる。だから演技が下手な子や声が小さな子は出番は少なくてもいいと思う。こういう現実をみると平等と言う言葉が違って解釈されているとしか思えない。世の中はもっと不平等だから、学校でも不平等を体験させた方が後々のためになるとボクは思う。
ただ、今回の救いは最後の与ひょうを演じた子供だった。「つうーーーーーーー」と最後の哀愁を帯びた声は、それまでのもやもやを吹っ飛ばして切なく素敵な幕切れを演出してくれたから。
引っ込んでから別の与ひょうやつうに変わるのでテンポも悪いし、村人も毎回変わるので推理小説を読みながら舞台を見ているというような不思議な感覚だった。
これが平等教育の姿だ。
勉強が出来る子もいれば、スポーツが出来る子もいるし演技が上手な子もいる。だから演技が下手な子や声が小さな子は出番は少なくてもいいと思う。こういう現実をみると平等と言う言葉が違って解釈されているとしか思えない。世の中はもっと不平等だから、学校でも不平等を体験させた方が後々のためになるとボクは思う。
ただ、今回の救いは最後の与ひょうを演じた子供だった。「つうーーーーーーー」と最後の哀愁を帯びた声は、それまでのもやもやを吹っ飛ばして切なく素敵な幕切れを演出してくれたから。
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