岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

盛岡の近代建築、6

2008-04-23 02:14:40 | 建見楽学


下の橋教会。

中津川のほとり、下の橋のたもとに可愛い教会が建っていた。
新建材の改修は残念だが、プロポーションが素朴でいい感じ。

盛岡の近代建築、3

2008-04-23 01:52:46 | 建見楽学


旧第九十銀行の建物。

ご当地出身の横浜勉という建築家の設計で、明治43(1910)年の竣工。平成16年に国の重要文化財に指定されている。
立ち寄ることは出来なかったが、現在は「もりおか啄木・賢治青春館」として、博物館になっている。明治から大正にかけて、二人は盛岡中学に学び、この町で青春時代を過ごした。
ここの名誉館長は、作家井上ひさし。

石川啄木は、明治19年に生まれ、同31年に盛岡中学へ。やがて俳人として名をなすも、同45年に肺結核により若干27歳で没する。

宮沢賢治は明治29年生まれ。大正3年に盛岡中学を卒業。昭和に入り「雨ニモマケズ」を書くも、同8年、37歳にて逝去。

盛岡の近代建築。

2008-04-14 21:01:17 | 建見楽学


盛岡は、地元でお聞きしたところでは、どうやら駅前周辺以外はあまり戦災にも遭ってないらしく、市内にはかなりの近代建築が残っている。
それも可なり質的に本格的なものが多い。これは、辰野金吾による旧盛岡銀行、明治四十年代の煉瓦建築。「盛岡まちなみ塾」の方の説明によると、その直後に建設されるかの東京駅にも相当参考にしたようで、当然ながら辰野様式と言うべき類似点が多い。

花崗岩について。

2008-04-13 23:32:08 | 地形観察


これは、町並み探訪の際に、丁度見つけた石屋さんがあり、どうしても入ってみたくなった。

というのも、これだけの物量の花崗岩があるということは、きっと近くで採石されたに違いない、とニランだから。
それで、お店の方にお聞きすると、この石は「盛岡石」と言うらしい。なんでも、姫神山(ひめがみやま?)のものが最も高級な花崗岩らしい。

盛岡城跡公園にて。

2008-04-13 23:17:08 | 土木遺産


そんなワケで、学生時代に訪れて以来の「不来方(こずかた)の城」であるが、それにしても見事な石垣である。
建物こそ無いが、それが却って古城としての郷愁を誘うというものだ。
また、おびただしい花崗岩の石の存在感に、時の権勢をいやが上にも感じる。

石川琢木の句碑。

2008-04-13 07:24:32 | ノスタルジー


この句碑も懐かしい。

「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」
学生だった岡目八目は、何故かいたく感動した覚えがある。旅の感傷か、若さのゆえだったのか。

盛岡城址公園へ。

2008-04-13 07:16:04 | 土木遺産


市の中心部、中津川にほど近い盛岡城へ行く。地元の方が自慢するだけあって、建物は無いが、立派な石垣の城である。一つ一つが大きな花崗岩で積まれている。

学生時代に、一度だけこの城を訪れたことがある。ナニブン当時はかなりのシロキチで、全国の城を機会ある毎に巡っていた。
その時は、確かワンゲルで早池峰山に登った後、列車の待ち時間の合い間に来たような気がする。
もうあれから三十年以上の時が流れた。光陰矢のごとし。