岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

盛岡を後に。

2008-04-25 06:05:44 | まちづくり


この像は、盛岡出身の教育者、新渡部稲造(にとべいなぞう)。

時間調整で町歩きの際、偶然に通りかかり、生誕の地に建てられているのが分かった。

キリが無いので、盛岡の紹介はこのくらいにするが、市内の各所に歴史文化の色合いが息づいていた。
鉈屋(なたや)町あたりの町家では、盛岡まちなみ塾が主催する“ひなまつり”が、建物を開放しながら行われていて、城下町の町人文化を継承するまちづくりが華やぎを見せていた。
県庁所在地ではあるが、合併後の人口も30万人ほどの地方都市で、それがかえって程よいヒューマンスケールの町に感じられた。
折りからの雪解け水と思われる水量豊富な中津川、雫石川、北上川、の三川が合流する盛岡の町は、岩手山を遠望しつつ恵まれた自然環境に立地していて、素敵な町だった。国内の他都市と同じく、例外なく開発による変貌も起きてはいるが、中心核としての盛岡城を始め、まだ市内の随所に残る立派な洋風建築や町家など、文化的な層の厚さが魅力ある横顔を見せていた。
再来年のゼミ開催時には、もう一度ゆっくりと探訪したいものである。




盛岡の近代建築、18

2008-04-25 06:03:30 | 建見楽学


みちのく盛岡の日が暮れて、洋館に明りが灯る。

何だか、ドラキュラ伯爵の館のような雰囲気。

ここで、昼間、NPO全国町並み保存連盟の理事会が行われ、それに出席するために盛岡に来たのだった。
今年の10月11~13日には、西予市宇和町卯之町で「第31回全国町並みゼミ卯之町大会」を開催するが、来年の32回は千葉県佐倉市、再来年の平成22年にはここ盛岡で第33回ゼミが開かれる。

盛岡の近代建築、17

2008-04-25 05:55:56 | 建見楽学


地階に下りる。

側壁の煉瓦積みがあらわになっており、この建物が煉瓦による組積造であることがよく分かる。
また、アーチ窓のアーチ構造が大きな円弧状になっていて、地元の方の説明によると、頑丈な造りになっている点からも、土木構造的で、建築設計師のデザインと言うよりは土木屋の仕事ではないか、と類推されていて石井県令との関連もあり、興味深い話だった。

盛岡の近代建築、11

2008-04-25 05:21:32 | 建見楽学


各部屋には暖炉が設えてあり、しかも部屋ごとに違う意匠になっている。

盛岡では、日本海側ほどの積雪は無いが、北上盆地の内陸性の気候によって冬季はかなりの寒さとなり、こうした暖炉の設備は当時、特権階級のある種ステータスであったのかも知れない。