岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

嬉しい葉書。

2006-06-18 13:40:49 | 季節感
馬路村からご覧の葉書が届きました。

上治村長直筆の、魚梁瀬(やなせ)杉を使ったウチワ型の葉書。表には宛名と切手120円が貼ってある。
心憎いのは、「森の風をお届けします」と表書きに書かれてあり、確かにこのウチワで風を送ると、杉の香りがプーンとほのかに。ウーン、まいりました。
もう何人にもこの話をし、いつの間にか馬路村の親善PR大使になった感。やられますナァ。

鏝絵救出作戦、その四。

2006-06-18 13:35:01 | まちづくり
現場からの眺めは、宇和海が目の前に広がり、風光明媚な場所。
ここで件の「鶴」は、伊方町町見地区古屋敷の周囲を眺めながら、百年内外の風雪を絶え暮らしてきた。
左官職人の名も、入れられた時期も判然とはしないが、確かにこの地区にあってささやかな人の暮らしを、静かに見守って来たのだった。

鏝絵救出作戦、その三。

2006-06-18 13:23:59 | まちづくり
何とか取り外し、軽トラに積んで、みんなで記念写真。

このほか、家紋入り棟瓦や、軒丸瓦なども後々の活用のために、皆のリレーで下に下ろしました。
考えてみれば、今の家の建て替えは、スクラップ&ビルドなので、どうしても全ての廃材が産業廃棄物となり、しかも費用を出して捨てられます。CO2削減問題ではないが、あるものをただ捨てる、しかも費用を出して、という社会システムは、
その環境負荷を考えると、やはりどこかがおかしい。
昭和30年代までの日本は、特に我々の地域では、民家の解体の際に必ず入札があり、引き取り手がいて、それらは解体された後に移築使用されることが多かった。
その証拠に、宇和盆地などで民家の聞き取り調査をすると、この家はかつての何々家の建物を移築しただとか、どこそこにあった家を買ってきただとか、という話が諸々聞かれる。現に柱のほぞや仕口が、そうしたことを物語っていたりする。

消費は美徳の大量生産時代を迎えた昭和40年代あたりから、つまりは高度経済成長時代から以降、モノ余り現象の中で、我々日本のつましい暮らし方は劇的に変化していき、そうして今がある。
皮肉なことに、そうしたことに気が付くチャンスは、こうした家の建て替えの際が実は一番分かり易いのである。

鏝絵救出作戦、その二。

2006-06-18 13:08:00 | まちづくり


まずは、妻壁から鏝絵のあるあたりを壁ごとはずすため、壁土と、中に組まれいてる木舞(こまい・地域ではえつりと言う)の竹を切断してゆく。その際に、出来るだけ振動を与えないように、また、壁と柱、木舞がどういうふうに関連して作られているかによって、はずし方も微妙である。
出来るだけ絵自体の損傷を最小限にしようと、少し壁の切り取りを大きくし過ぎた嫌いがある。やってみると分かるのだが、土というものは矢鱈と重い。出来るだけ小さく切り取ってはずすのが得策。
何とか、多くの人のボランティアで取り外せたが、戸板に乗せて屋根から下ろす時は、ホント大変でありました。

伊方町 鏝絵救出作戦

2006-06-18 12:44:15 | まちづくり
先週の日曜日、伊方町町見地区にある道上家に、作業服姿の男女が10人ばかり集まりました。

「緊急ワークショップ 鶴の鏝絵救出プロジェクト」と銘打って、町見郷土館の主宰で、鏝絵保存のためのはぎ取り作業が行われました。
鏝絵は、その家のイヤサカを願って、建築時に左官職人によって入れられるものですが、県下で確認されている約900点の内、佐田岬半島には10点ほどしかありません。その内の一つ、「鶴」の作品が町見地区の古屋敷にある道上家の妻壁にあり、それが家の建て替えで風前の灯火となっていました。

高嶋学芸員の根回しによって、所有者の了解のもと、「佐田岬みつけ隊」の面々と、我々「えひめ鏝絵の会」緊急お助け隊の登場となり、今回の取りはずしとなりました。
まずは、鏝絵の神様に、これまでこの家を見守っていただいたことへの感謝と、工事中の安全を祈願。形ばかりの米と酒と塩と青物。
築年がはっきりしないが、凡そ百年前後の風説に耐えた民家であるので、取り壊しとなると、一抹の寂しさがある。無事に、町見郷土館へ「鶴」のお引越しが出来ますように。

愛車 CRV

2006-06-18 12:18:04 | Weblog
先週の馬路村ドライブで、ついに愛車の走行距離が24万kmを突破しました。

この10年余り、どこへ行くにもコイツと一緒でしたが、文句も言わずによく頑張ってくれています。バイクの時代から、拙者ホンダファンですが、車もこうなるとナカナカ手放せません。
今も、遅れそうな時には高速を飛ばしますから、この老体には結構負担がかかってるのかも知れませんが、コイツは従順に責務を立派に果たしてくれています。ですから、最近ではハンドルを持ちながらよくさすってやります。そうです、撫でてやりたくなるのです。

ただ、小さな不満が一つ。この車に限らずですが、走行距離が節目を迎えた時に、何かしら合図があるとイイのに、と。キョーピ、高速利用のETSでも、「カードが入っていません。」とか、音声でうるさい位に指示が出ますが、「ハイ、何万キロメートル、おめでとう。」とか何とか言ってくれると、楽しい気がするんであります。私だけかも知れませんが、距離計を見逃して、いつの間にか知らない間に10万キロを越えていたり、別にどうってこたぁないんだけど、見逃したことが妙に惜しいと思うことがあるのよ。こういう心理は、他人様はどうでしょう。