岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

ある左官の話。

2006-03-11 01:05:24 | 建見楽学
西予市文化財審議委員会の部会があり、野村町へ。

乙亥会館には、小さいが相撲資料館が併設されている。そこで睨みを利かせているのが、この「曙関」の実物大の像。平成5年に東宇和左官組合が製作したもの。なかなかよく出来ていて、私は密かに気に入っている。

左官と言えば、先日NHKのプロフェッショナルという人気番組で、カリスマ左官挟土(はさど)秀平、という人物にスポットが当たっていた。数年前に、私の関わる「宇和わらぐろの会」で、飛騨高山で行われた「藁をつくねる青空工房」という催しに参加したのだが、その時の実質リーダーが彼だった。ツクネル、というのは岐阜方面の方言で、積み上げるというくらいの意。

主催は岐阜・世界生活文化博物館で、その名誉館長が俳優の渡辺文雄氏だった。惜しくも渡辺氏はその後故人となられたが、そうしたご縁があり、愛媛でもというその時の約束から、わらぐろミュージアムをすることとなった次第。

その岐阜高山でのこと。無事に「わらぐろ」も製作しイベントを終えた翌日、折角だからというので、挟土氏の作業場(アトリエ)へ寄らせてもらった。TVに写し出されていたあの建物である。そして驚いた。60cm四方くらいの板に、様々な壁が表現されており、それはまさに単なる土壁ではなく、芸術文化の世界。豊かな創造性とあの手この手のバリエーションは、いつまでも見飽きることが無かった。中には、色、その表情が、セクシーさをはらんでいるような壁もあった。

しかも、あらゆる場所から集めたと思われる、2、30種類もあっただろうか、それこそ色々な色土のサンプル。ものの本では識っていても、現物を目の前で見ると、いかに土という原初的な素材が、えも言われぬ美しさがあるのかも、その時初めて思い知らされた。
また、エネルギッシュで精悍、精気みなぎる挟土氏の表情と、周りに展示された何十枚もの土壁サンプルのこれ以上ない優しい雰囲気が、不思議な好対照を見せていたのも強烈な印象だった。

約1時間くらいも居ただろうか、そして部屋を出る時の何かしら爽快感と、未来の希望にも似た力を体内に感じたことを覚えている。土は人を元気にさせる、そう思う。


欄間オリンピックをやろう。

2006-03-10 11:22:41 | 建見楽学


岩松(宇和島市津島町)の小野家、書院欄間。

携帯写真からのアップで見づらかったようです、再度大きめにアップします。妙技が分かってもらうと良いのですが。

この欄間、よくよく見れば、青海波模様には違いありませが、細格子をたすき掛けに組んで、四分の一円が二つで一つの円弧になるよう組み合わされてます。ナンという離れ技。これぞ欄間のイナバウアー。視る方も思わずのけぞってしまいました。

ゼロ戦のこと。

2006-03-08 22:26:34 | ノスタルジー
さっきまで、NHK「その時歴史が動いた」でゼロ戦のことをやっていた。子供の頃、よくプラモデルを作ったが「ゼロ戦隼人」という漫画もあったような。TVでは、防御性能の劣るゼロ戦の改良チャンスに「大和魂で乗り切れ」と源田実が発言し、米軍の餌食となってゆきやがて特攻を生む悲劇が放映されていたが、彼は晩年南松山病院に居てそこで没する。また、我が家には何故か水上式ゼロ戦のフロートがある。父が若い頃、長崎大村飛行場から敗戦のドサクサに持ち帰ったらしい。ボートに改良し、裏の溜池で遊び、私もよく乗った。

岩松の町並み。

2006-03-07 13:29:27 | 建見楽学
今日は、津島町にやって来ました。イイ天気ですが遊んでもおれず、町並みの聞き取り調査です。写真は町中にある小さな建物。「私はトイレです。きれいに使ってくれてありがとう。」との看板。

マイブーム

2006-03-07 00:23:27 | Weblog
最近買ったCD。「東京プリン」の「携帯哀歌その後」。

当方のキャラとして、意外に思うムキもあるかも知れない。かなりミーハーです。この間、車の中でラジオから流れていた曲。やけにノリが良く、詩が傑作で、内容が思い当たるフシあり。程なく近くのツタ○へ。店に置いてないというので、注文までして3日後に購入。家で、我が山の神に「コレ面白いから聴いてみんか?」と。「よーこんなんお金まで出して買うなァ。」と呆れ返られた。
内心「ほっとけ!」と思いつつも、思わずボリュームを落として聴いたりなんかして。

ほいでも、コレほんま面白いヨ。最初の「携帯哀歌」は2年前くらいに出てるらしいから、全く情報鮮度は遅れてる話。この「その後」は今年の1月にリリース。もう一曲入ってる「合コン哀歌その後」も秀逸。
ともかく、歌は分かり易いのが一番。しばらくは運転中の眠気防止音楽でもある。

怪我の功名、ノスタルジー。

2006-03-06 01:10:59 | ノスタルジー
海から見た「梅津寺パーク」。

ジェットコースターもメリーゴーランドも動いていた。もう何年ココには行ってないだろう。(別に行かなくても誰からも咎められることは無いが)
TVドラマ「東京ラブストーリー」のロケで有名になってからでも何年も経つ。

小学生の頃、ここの海水浴場で水泳学校があった。校長は往年のオリンピックメダリスト鶴田義行。模範演泳で、目の前で泳いだその一かきが、もの凄く進むのでとても驚いた思い出がある。そう言えば平泳ぎを覚えたのは、この浜辺でのそんなシーンのある夏休みのことだった。

行きはヨイヨイ、帰りは・・・。

2006-03-06 00:19:46 | Weblog
久々に中島へ渡る。

中島町も今は松山市。民家から取り外し保存された鏝絵(こてえ)の現物確認に行ったのだが、その帰り、ちょっと我ながら得がたい体験をした。
神浦(こうのうら)から中島汽船のフェリーで高浜観光港に戻ってきたが、ナント乗り過ごし、そのまま三津浜港へ。列車じゃあるまいに。

写真は、お陰様?のターナー島拝見。(夏目漱石が小説坊ちゃんで、ターナーの絵のようだと名づけたあの島である。)地元の方の尽力による松の緑が清々しい。
それにしても、アッという間の高浜寄港、そして離岸であった。船室から窓外を見て、港が近づいたので、そろそろ降りなきゃと思って下に行きかけると、船が後ずさっている。えっ!という暢気な話。友人と一緒の三名であったが、お互いの名誉のため名は伏せておこう。

遺すが価値、の紙一重。

2006-03-03 14:48:09 | まちづくり
昨日もギリギリセーフの際どい展開であった。

「プルプルッ」2日の昼、友人のM氏からの携帯電話が鳴る。「岡崎さん、今保内におるんやけど、東洋紡の跡の煉瓦塀が壊されよるヨ。」
あちゃー、そう言えばこの前、C電機が使用してた場所に八幡浜のH蒲鉾が進出する言うてたナァ。とっさに、その時、東洋紡の煉瓦塀は大丈夫やろうか、という話をしたのを思い出す。ウーン、拙者今は急ぎの原稿と首っ引きで伊予市を動けず。
現場状況をよく聞き、早速保内の友人にTEL。つながらない。
商工会のH氏が電話に出る。事と次第を言って、対処方をお願いする。まず、現場を確認すること。次に所有者に理解を求めること。事業計画を把握すること。これまでもいくつかの場面のやり取りがあるので、幸いにして、彼は飲み込みが早い。直ちに動いてくれて、関係者と連絡も取ってくれた。

場所は保内中の北側、喜木川と宮内川にはさまれた、海に至るこの辺りの広大な土地が、かつては全て東洋紡績の工場敷地だった。閉鎖後に南側半分が保内中となり、その北側は数社の企業用地と自動車教習所となった。
もうすっかり当時の面影は薄くなったが、それでも海に近い美名瀬(みなせ)橋たもとには煉瓦倉庫が今も残り、払い下げられた北側の用地を囲む煉瓦塀や社宅も少し健在である。しかも全く知られていない建物としてまだ当時の講堂も残っている。

話を戻すが、結局H氏の手配と現オーナーとの人間関係もあって、事態がハッキリする。煉瓦塀は入り口部分は何メートルか壊されたが、全体としては残す方針であること、講堂は今回の対象外エリアなので、しばらくは大丈夫そうなこと(他社の所有)。社宅は現時点で入居者がおられ、今年中、そう遠くない時期に立ち退きの予定であるので取り壊しが近いこと。そして今回、そう言えばアレはどうなるんだろうと心配し、際どかったのが写真のブッケン「国旗掲揚台」。
参考までに、K氏の運営する「九里四里通信」の見聞録01年度・会報12号をご覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/8563/

この一見取るに足らないようなモノには、「勤労報国」の文字がくっきりと。つまり、戦時体制下での総力戦を物語るスローガンそのもの。きっと挙国一致で、労働がお国のためにあった時代の生き証人的文字。オーナーの話では、今日中に何とかしないと撤去予定だったとか。すべり込みセーフ!
重機で移設をし、当座は地元工務店のI組に仮置きの段取りとあいなった。とは言うものの、この年度末の忙しいさ中に、商工会のH氏もI組もよくぞ即時対応してくれたこと。通常はナカナカこうはいかない。これまでも何度もそんな場面と遭遇してきてるが、いつも決まって年末か年度末。そしてヤレソレと動けば動くほど、周りに迷惑がられるのがフツー。現場には現場の事情もあり、思えば随分とムリを重ねたことも多かった。その点、今回はM氏からの連絡に始まり、H氏の機転と行動、地元連携で残すことが出来た。うまくいく時はうまくいくものだ。本当にご苦労様でした。感謝カンシャ。