岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

四国鉄道文化館、そのニ。

2007-01-16 23:12:37 | 建見楽学


見た目は何事も無く美しい佇まいだが、現場は大変だったらしい。
現場の大工さんは初めての工法チャレンジに、緊張の日々が続いたとのこと。

鉄骨アーチと違って、当たり前だが“木”は生き物。一本一本の氏素性が皆違う。つまり、曲がり方やねばり、弾力性などについて、それぞれがマッタク微妙に違うものらしい。例えば、ある学校の教室に40人の子供たちが居て、みんな同じ人間だけど顔も性格もみな違うように。
しかし、こうやって全体で見渡した時に、その微妙な不揃いさは、まったく気にならない。というより、むしろファジーで心地良い。

施工は主として地元の弓山建設が当たっていて、寺社建築の経歴にも預かり、スライス状の木をダボ(栓)で留めアーチに組むという、伝統工法との融合を可能にした。
完成予定は年度末の三月。ミュージアムとしてのOPENは、今年の11月頃となる模様。

四国鉄道文化館(仮称)

2007-01-16 22:53:06 | 建見楽学


西条市のJR西条駅前に建設中の「四国鉄道文化館」が、かなり立ち上って来た。

地元材である杉の大木(80~100年生)を、途中まで縦割りにスライスしてアーチ状に曲げ、最上部で両側をつなぐというアクロバティックな施工法が、見事に組み上がってきた。

石垣にもホレボレ。

2007-01-16 01:31:12 | 建見楽学


藤田氏もお気に入り。
この石積み曲線は、出そうと思ってもナカナカこうはいかない。
職人の技と、加えて年月と、石の肌合いとが醸す絶妙空間の演出なのでした。

地域性もあり、砥部焼きに使う石質と同じではないか、と丹念に見ているの図。

こんなのも捨て難い。

2007-01-16 01:26:53 | 建見楽学


蔵の妻壁には、お決まりの「水」が鏝細工で塗られており、火の用心を歌っているが、秀逸なのはその下の部分。
板押さえの折れ釘がアクセントになっているが、こりゃ驚いた。F1のフラッグがここで見られるとは!

モチロンそんなわきゃーないのだが、チョイトやってみたにしては、えらくお洒落な小技である。程よさ加減が、いつどこの職人さんだか、してやったりの表彰モンですなぁ。

和田家の窓。

2007-01-16 01:18:57 | 建見楽学


和田家の便所は、窓だってタンなる四角い平凡なものではない。

ハート型に丸竹を二本。ハートを射止めた矢の先は壁の中で見えないが、確実にこちらのハートはやられてしまった。

便所のモダニズム。

2007-01-16 01:08:47 | 建見楽学


浴室だけであるハズもなく、こうしたトイレだとてモダニズムの風は及んでいる。
まさに、匂う(臭う)が如き近代化の意匠。
いずれも、大正期頃かと見当を付けているが、やがて発刊の「月刊タイル」誌による専門的見解を待ちたい。

浴室タイルのモダニズム。

2007-01-16 01:02:59 | 建見楽学


この写真の通り、予め許可を取ってあるので、早速に浴室の飾りタイルを取材中。
あ、カメラを構えている御仁は、別府のカメラマン藤田洋三氏。

実は「月刊タイル」という業界誌があり、その連載原稿のための取材行である。話はそれるが、業界誌というのは色々あって、これはこれでモチロンそれなりにマニアックなのだが、はまると面白い場合がある。
氏は、「左官教室」というその名もズバリの左官業界誌にも執筆中。鏝絵や稲藁に光を当て、社会認知させてきた氏の功績は、知る人ゾ知る、タダモノではない。

もっとも、この浴室、以前は確かに五右衛門風呂だったハズで、途中でバスに改造されているから、かつてのタイルとの取り合わせとしては、凄みのあるモダニズムの臨場感だったに違いない。

庄屋和田家。

2007-01-16 00:51:02 | 建見楽学


こんな山のテッペンのような場所に、かつては一集落が形を成していて、庄屋さんのもと、里とのヒューマンスケールな物資交流で、ある意味豊かな生活があったのだろう。

この家に、ちょっと珍しい、モダニズムの意匠があるというので、珍しい友人(先生)が訪ねて来られた。

伊予市鵜ノ崎について。

2007-01-16 00:42:28 | 建見楽学


伊予市の山間部、R56号からそれて、美味しいビワで有名な唐川(からかわ)へ入ってゆくと、なおも奥へ。
ドンドン坂道を上がってゆくと、やがて鵜の崎(うのさき)という地名の小さな山間集落に行き着く。
集落に入る少し手前、鵜ノ崎峠を向こうに下ると、そこはもう隣町砥部町である。

この建物は、かつてこの鵜ノ崎地区の庄屋でもあった和田家の佇まい。

道路の無い、車社会になる前は、恐らくこの坂道をあえぎあえぎ上ってきて、この和田家をこうして見上げたことだろう。(現在は、家の背後、上に道路があり、そこから下りる様にアプローチする。)