岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

境内案内、その5。

2007-01-04 01:17:25 | 建見楽学


これは本堂の格天井(ごうてんじょう)。

一枚一枚が善男善女によって奉納され、今も鮮明に残っている。
また、内陣には、文化十五(1818)年に作られた欅材の見事な龍の彫刻がある。そして、その天井部分にも、表からは窺い知れないが「八方にらみの龍」が墨痕鮮やかに描かれている。

境内案内、その4。

2007-01-04 00:54:42 | 土木遺産


この石垣にも逸話がある。

ご覧の如く、中ほどから大きな楠(クスノキ)が生えている。
その昔、山田薬師がこの木を枯らさないよう石垣を築いてくれる石工を探したが、誰からも断られた時に、ただ一人狩浜(明浜町)の石工が引き受けた。
「明浜こぼれ話・郷土史片々録」(久保高一著)によると、それが狩浜の石垣名人上村(かみむら)与十郎という人物らしい。与十郎は、天保十一年生まれの幕末の人。明治の頃には高山の石灰窯や、時には別府の築港なども請け負ったという。
ともかく、今でも立派に石垣も楠も共存している。

境内案内、その3。

2007-01-04 00:29:32 | Weblog


これがその大岩。

初めの頃には、つぶされたお大師堂の根太(ねだ・床下の木)がわずかに見えていたが、今は回りに木が植えられて分からなくなった。それにしても、後ろの山からこんなドデカイ岩がころがり落ちて、中のお大師像が無傷だったというのは、偶然にしても凄い話。観音開きになっていて、後ろから押された拍子に飛び出たと考えられるが、霊験あらたかな山田薬師ならではの逸話である。

境内案内その2

2007-01-04 00:21:41 | Weblog


善福寺境内には面白いものが他にもいくつか。

この看板は、ある時の災害の様子を伝えている。
亡くなった祖父と、その直後に訪れた記憶(小学校4年生頃)があり、鮮明に覚えている。小さなお大師堂は、いわゆるペチャンコ状態で、その上にドッカと大岩が座ってしまっていた。