岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

蔵貫の火の見櫓(やぐら)。

2007-01-26 22:41:39 | 建見楽学


火の見櫓も、歴史建造物の世界では絶滅危惧種。

携帯電話などの圧倒的情報化社会の中で、アナログ的防災施設である火の見櫓は、次第に町からその姿を消しつつある。
しかし、その独特なフォルムと紅一点とも言うべき町中の存在感は、なかなか得がたい故郷の心象風景と重なる。

建物の氏素性(うじすじょう)。

2007-01-26 22:26:25 | 建見楽学


この建物が面白いのは、最初に書いた、元からの郵便局では無かったこと。当初のルーツを物語るのが、屋根瓦のこのマーク。

軒丸瓦に全て入れられている「やまさ」印の屋号。
佐竹家として建てられたことを、その屋号マークが明確に今も主張している。

〒マーク。

2007-01-26 22:20:12 | 建見楽学


擬洋風建築としての窓には、上部にこのような装飾がある。
旭日を意識したかのような「〒」マーク。

元より、コーポレートアイデンティティ(CI)の歴史的代表選手のようなお馴染みのマークだが、これが郵政省の前身「逓信省(テイシンショウ)」の“テ”から発案されていることは、意外に知られていない。

旧蔵貫郵便局。

2007-01-26 22:10:39 | 建見楽学


郵政民営化で揺れる郵便局だが、地方における古(いにしえ)の特定郵便局の局舎には、建築作品として見た時、ナカナカのものがよくある。

西予市三瓶町蔵貫(くらぬき)地区のこの元局舎もその一つ。

大正末か昭和初期の建物で、海岸町蔵貫浦の町なかにひっそりと佇む。

ただし、最初から郵便局舎として建てられたのではなく、佐竹家という住居(洋館、旅館という説も)としてお目見え。しばらくして所有者が代わり、黒田家が購入。以降郵便局舎として昭和43年まで存続した。