ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

SRラプソティ 忘れられぬ恋は叶わぬ恋というけれど

2023年08月28日 | R100Trad (1990) クロ介


どんなことでもみんな大抵おんなじなんだけど

まだ見ぬモノやまだ得ぬモノに

けしからん想像をしてしまうのは人の世の常なのだろう

人はその秀でた頭脳を使って

アレコレと思いを巡らせることが大の得意だ

でもそのほとんどはサル知恵

浅はかで取るに足らないことのほうが多いと思うがどうだろう



未知なモノに対するとき

人はそれまでの経験や知識をフルに活かして

自分なりの何らかのイメージを作り出す

けれどその根拠の一つとなる記憶の曖昧さといったら

マジ、最低なのだ

死ぬほど暑い夏にうんざりしていても

冬になれば誰しも「やっぱ夏の方がマシだな」と考える

何度経験しても夏のリアルを忘れてしまうからだろう

それは人が忘れないと次へ進めない生き物だからだ

親しい人との別れを持ち出すまでもなく

これ以上ないと思うような喜びやまた悲しみも

その記憶を持ち続けていては

新たなフェーズ、次のステージへ進もうとする意欲など湧くわけないのだ

「もうこれで十分だ」と訳知り顔で呟いても

「まだ知らない」を求め続けている自分にイヤでも気付いてしまうものだ



中でも「忘れられぬ恋」の類は物凄くタチが悪い

「忘れられぬ恋は叶わぬ恋」と巷で云われるとおり

ロクに話したこともない誰かを思い出しては

諦めきれずに溜息なんかついている人たちのことだ

でも、大人なら分かると思うけど

人間なんてどんな人でもどんな場合でも

実際に付き合ってみなければホントのところは分からないよね

その恋を忘れられないのは

単に実態が伴っていないからだと普通は気付く

そこにはもちろん何の記憶も伴わない

というか記憶なんて存在すらしていない

実際に付き合ってみれば「カエル化」の可能性は昔だって同じだ

でもね

「叶わない」ってところが問題なんだな

結局、想像から一歩も出られてないわけだし

これは相手が人であることに限らず

モノや場所、行為などすべてに当てはまりそうだ

「あの子と同じ高校に行きたかったなあ」とか

「マイナス40℃の北極圏でオーロラ見たかったな」

「三菱のジープ、欲しかったなー」とか

「ハーレーのワイドグライドでアリゾナを走りたかったよ」などなど

なんか「金さえあればな」に聞こえなくもないけど

金だってリアルに「叶わぬ」問題だ



そんなこんなでまたオートバイの話になるんだけど

ボクもSR(ヤマハね)に乗ってみたかった

否、今でも乗りたいと思ってるな

ハーレーダビットソンはすごく欲しかったんだけど

何度も試乗するうちに「ちがうな」になって

今では全く興味がない

でもSRは試乗すらない

ああ、SRX6には乗せてもらったか(知り合いに)

バタバタバタッと耕運機みたいだなとしかその時は思わなかった

あの頃は2ストレプリカ、4ストマルチ全盛で

日本のオートバイ小僧たちは真の意味でまだオートバイを知らなかった

けれどリッターマルチに辿り着くころ

この小僧にもやっと目覚めの機会がやってきた

リッターマルチのパワーは度を越えていて

公道では命と免許がいくつあっても足らないような代物だったのだ

2速でも軽くフロントを上げ

3速の途中でリミッターにあたる

ZX12Rに行き着きボクも目が覚めた

「これ、ちがうな」と

先行するGTR(R34)のテールパイプから黒いガスが見えても

6速のままスロットルを開けるだけで追突しそうになる動力性能

高速カーブでアンダーが出そうなほどロールしているRX7(FC)のインを

何事なかったかのように交わしていく運動性能

もう何を求めているのか分からない状況だった

ZX12Rは半年で手放した

そして手に入れたのは中古のXLR200R

物凄い反動が出た

XLR200



XLRは高速道路でバスを抜くのに手間取るほどのプアパワーだ

後続車が来ないことを確認して

フルスロットルで車線変更

そしてジワジワと追い縋り、追い越す

速度リミッターが付いたトラック同士のような追い越ししかできない

けれど当時はまだ未舗装の林道も多くあって

恵那山や雨畑、南アルプス

四国の剣山にも行ったりした

楽しかった

18psの空冷単気筒200ccエンジン

まだ見ぬ道路へ

やばいくらいの山奥に一人ぼっちで

でも自然を独り占めする贅沢

すべて

すべてが楽しかった

ブルルルルーンとよく回るエンジン

オートバイって面白いな

素直に心に落ちた



その後、まだ見ぬルートを求めて

より長い距離、長い時間を走ることに興味が移り

ボクサーツインに出会って日本中を走り回った

そしてそれがひと段落したとき

再出発に選んだのはもう一度空冷の単気筒だった

その時「SR」という思いもあったが

以前に木曾の山の中で耳にした排気音が忘れられず

エストレヤを選んだ



パワーはXLR200と同じくらい無いけど

XLRはオフロードスポーツ車の味付けなので

エンジンは回した上のほうで使わせるタイプだ

軽く吹き上がるし

回した状態でコントロールしやすい

エストレヤは多くが持つイメージと違って

こちらも意外に上は元気だ

回して走らせると案外きびきびと走る

けれどロングストロークタイプのエンジンだからか

吹き上げるのがストレスになるくらいダルい

だから速く走ろうとすると目が三角になっちゃうし

でも速いといってもそれなりなので

感覚より進んでいかなくて結果疲れ果ててしまうことになる

だから結局「ああいう走り」が好きな人に好まれる

こんな時だね

「あーSRだったらどうなんだろう」と思うのは



SRはダートトラックレーサーをベースにしているので

オフ車に近いオートバイだ

ただ日本ではカフェレーサーなどトラディショナルなイメージが定着して

ヤマハもそれに寄せた味付けをしてきた

でもあのステアリングヘッドの高さだったり

ドライサンプにして地上高を取りたかったエンジンとか

やはりXTのソウルが色濃い

だから、ここは想像なんだけど

SRも本来は回してパワーを使うエンジンなんだけど

排気量の余裕があるから

回さなくてそこそこ走るのかな、なんて思う

最初期モデルの2H6は

7000rpmで最高出力に

6500rpmで最大トルクに達するセッティング

ピストンもボア87mm×ストローク67.2mmのショートストローク

激しく上下運動するピストンから

握りしめるスロットルに電気ショックのような硬質の振動が伝わる

それこそがSRの本質だろう

しかもあのスリムで軽量な車体

楽しくないわけがない

あーダメだ

今すぐ買いに行きそうだ



実際、最終モデルではパワー特性に大きな変更があったが

あれはニーズへの対応というより

規制対応へのやむを得ぬ見直しだったように見える

よく「のんびりトコトコ走りたい」なんていう輩がいるけど

あれ、嫌いだ

SRだって本質はスポーツだと思う

クランクが2回転する間に1回しか爆発しない単気筒エンジンだけど

最近はやりの不等間隔爆発のツインなんかの

クランクが2回転する間に2回爆発するけど2回転目は空打ちとちょっと似てる

不等間隔爆発のほうがトラクションが良いので

最近はこっちがスタンダードだ

これはバンク角90°のVツインエンジンの爆発間隔を取り入れたものだ

ドゥカティね

等間隔に比べると振動や耐久性にデメリットがあるけど

今の技術ならそれほど問題にならない

―――ババン―――ババン、の270°ツイン

――――バン――――バン、のシングル

似てる

だからできれば最終モデル以外が欲しい

平成28年度規制(ユーロ4)をクリアした最終モデルも

フィーリングはかなりSRであるらしいんだけどね

XTの魂を感じるエンジンに乗ってみたいのだ



ここまで書いてきてカッコつけるのも気が引けるけど

そりゃね、SRの1台くらいいつでも買えるくらいの蓄えはあるさ

こんなジジィだってね

初めて買った「月刊オートバイ」のオールモデルカタログにSRはすでに載っていた

そしてボクが社会からドロップするのと同じタイミングで

SRはカタログ落ちした

「おい、ついに乗ってくれなかったんだな」とSRが笑う

でも、乗ってみたいと思いながら

乗らずに来たこともなんだか愛おしいような気がするのだ

まさに「叶わぬ恋」に似ている



残り少ないボクの二輪キャリアに

SRが加わる日は果たして来るのだろうか?

でも新車価格より高い中古車はちょっとね・・・・・・



探しても青い鳥は見つからないよ、みんな知ってるくせに

2023年08月11日 | R100Trad (1990) クロ介


むかしも夏は暑かった

しかもエアコンなんてないし

扇風機だって一家に一台だった

夜は夕食を終えるとみんな揃って外に出て縁台で涼む

近所の人もみんな一緒だ

男は男で

女たちは女たちで

そして子供らは花火をしたり星を眺めたりして過ごす

蚊取り線香の煙の匂いや

アンタレスの真っ赤な心臓の輝き

9時も過ぎればお開きで

家に戻ってパタパタと団扇をはたいて蚊帳に入る



うちは母子家庭で母は毎日仕事に出ていた

女が正規の社員として働く環境は厳しく

子供が(と云っても大抵ボクだけど)風邪で熱が出ても

母は休まず出勤した

朝、出がけに作っておいてくれた「おじや」を温めなおして食べろというが

熱でフラフラするから絶対無理で

いつも冷め切った冷たいおじやを食べていた

でも、もっと悲しいのは夏だ

夏休み

もちろん母は仕事で

兄貴が中学生になってからはひとりで留守番していた

夕べの残り飯を母がおにぎりにしてくれるのだけど

冷凍庫もなければ電子レンジもないので

布巾をかけてちゃぶ台においてある

分かると思うけど

当然ちょっと腐りかけるわけだ

独特のアノ臭いを酸っぱい梅干しでごまかしてでも子供は食べる



思い出すと自分のことなのに居たたまれなくて

小学3年生の自分をギュッと抱きしめてやりたくなる

母だってちゃんとしたものを食べさせたかっただろう

でもそういう時代だった

貧しくて不便で、厳しくて容赦ない



でもね、いままで何度も書いたけど

本当に良い時代だった

みんなまるで「ひまわり」のように夏を暮らしていた

情報とモノに振り回され

言い訳と承認欲求に終始している現代には

人間の幸せはいつになっても来ない気がする

ほんとは誰もが簡単に手に入れられるところにあるのに

なぜだかいつまでも探してばかりいる

なにをどこまでやっても足りている実感を持てない

メーテルリンクの「青い鳥」を引き合いに出すまでもなく

自分が満たされていないと思う心には「青い鳥」はいないのだ

手に入れたはずの「青い鳥」はすぐにその羽根の色を黒く変えてしまう

もちろん昔を懐かしむ心も同じ種類のものだ

だから、あの頃に戻りたい、と願う心に住み着いてはいけない

ボクだって戻りたいとは思っていないのだ

ただあの頃の営みを日々の暮らしに感じたいと思うだけだ



そういう意味で云うと

オートバイと云う乗り物はそんな雰囲気がある気がする

物質世代のエントリーユーザーを引き付けようと

余分な便利機能で金を毟り取ろうとする者たちの狩場にもなるが

本質的な時代遅れ感はオートバイの特長でもある

キャンプにすら便利さや快適さを持ち込もうとする現代

それを価値観の多様化と言い換えてまでモノを売りつける

こっちは稼ぐために仕事としてオートバイに乗っている(乗らされてる)訳ではない

オートバイに他では感じられない何かを求めて自ら乗っているのだ

だから逆にストイックさを求めた方がより一層面白いと感じる

エンジンガードとかフレームスライダーとか付ける人多いけど

逆に最初からついてたエンジンガードを取っ払ってやった

自分に、絶対こかさないんだと戒めるためだ

なんで取っちゃったの?って人から聞かれると

男気見せてやるためさ、とヘラヘラ笑いながら答える

アタマはげ散らかしたジジイが云うと確実に失笑される

で、ほんとにこかしてシリンダーヘッドに穴開いたら面白いじゃん

ほんとに倒しちゃうのは自分が下手クソだったからなんだけど

そんな倒れることもあるオートバイが好きなんだ

仲間と走っていても基本は一人

ハッとするような景色に出会ってもリアルタイムで共有できないかもしれない

でも後で缶コーヒーでもやりながらみんなで語り合えばいい

そんなひとりっきりで走るオートバイが好きなんだ

今日は雨に降られるかなって思いながら走り出した

でもすぐにこの前カッパ干したままオートバイに積み忘れてることに気づいて焦る

案の定午後から山の中で土砂降り

どこかで雨宿り、と思いながら適当な場所がなく走り続けて

いい歳こいてパンツまでびしょ濡れになっちまう

雨が降ると濡れちまうそんなオートバイが好きだ

5速だと思っていたら6速でつま先空振りしたり

飯食ってる間にシートが焼けて尻が燃えそうになったり

あまりの風の冷たさに顎が取れてんじゃないか心配になったり

対向車の水はね(トンバシリ)で頭から足の先までぬれたり

何処までも続く蝉しぐれの山を走り抜けたり

涼しいトンネルで一息ついたり

金木犀の香りに包まれて走ったり

そんなオートバイが好きなのだ



木陰に羽根を休めるクロ介こそ「青い鳥」(黒いけど)なんだ