ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

浮気性というより単なる「阿呆」なのでしょう オートバイ複数台所有の謎に迫る

2024年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム


自分が浮気性であるとの認識は正直ない

好き嫌いも割とはっきりしているので

意識してはいないが自分の気持ちにブレはない方だと思う

けれどもそれと同時にボクには執着心というものがほぼない

欲しいと云われるとそれが何であれ、とにかくあげたくなるし

逆にひとのモノを羨ましく思うこともない

そうだ、勝ち負けに対する執着心なんて皆無だ

あるとすれば「こうあるべき」という思いが強いくらいか

だから頑固と云われるのだ



だのにこと「オートバイ」に関してだけは

浮気性なのか、免許を取って以来

大小合わせて32台ものオートバイをとっかえひっかえしてきた

社会人になってからは複数台所有が当たり前で

クルマも必要だったので一度に多くのローンを抱えていたこともあった

馬鹿なのか、と自分でもあきれる程なので

周囲の人はきっと気味が悪かっただろう

最初に「サブ(sub)」になったのは

ホンダ CD125だった



短い一文字ハンドルにバーエンドミラーを付け、シングルシートに改造していた

1キャブのツインエンジンはマフラーも両サイドに出ていて

だいぶ違うけど雰囲気はBMWのR50のようなイメージだった

「メイン(main)」はファイヤークラッカーレッドのカワサキZ400GP

いやちがうな

カウルの付いたGPz400が出てすぐに乗り換えていたっけ

とにかく刺激的なマルチと小さい割にトルクのあるツインエンジン

このキャラクターの違いの両方に魅力を感じていた

「どっちも好き」なのだ

これは完全なる浮気性である、ことオートバイに関してはね



ホンダ CB750F(B)とカワサキ GPz900R(A7)

この組み合わせも記憶に強い

水冷4発のニンジャは逆輸入車

逆輸入車って今ではあまり聞かないけど

メーカーが国内販売は750ccを上限と自主規制していたそのころ

リッタークラスのオートバイは一度輸出されたものを

再度輸入して購入することが公然と行われていた

しかもせっかく逆輸入するのだからフルパワー仕様が好まれ

南アフリカ仕様、マレーシア仕様が店頭に並んだ

そうだ

あの当時は店頭在庫として逆輸入車が並んでいたよなー

GPzは国内ではGPz750Rがリリースされたが

排気量が小さくなりパワーも900ccの108psに対して77psと抑えられ

価格は少し安いけど

当時のスペック至上主義のライダーにこれが受け入れられる訳もなく

皆こぞってニンジャと云えば900ccの逆車に乗っていた

結果国内の750市場は消滅

その後、アメリカ合衆国の圧力もあり排気量の自主規制はなくなり

二輪大型免許も取得のハードルが下げられた



ボクはカワサキのオートバイがマイナーで「通好み」と云われていたそのころ

そのへそ曲がりな性格もあって

オートバイならカワサキでしょ、思っていた

カワサキのオートバイは地味で雑誌などでもトップで扱われることはなかったけれど

「MFP“グース”」のZ1000がオーストラリアの荒野を

200km/hで疾走するシーンが頭から離れず

いつかカワサキの1000ccで200km/hを目指す

そんな田舎のガキだった

だからGPZ900Rに跨った時

ボクはもう興奮の頂点だった(当時はね)

名神高速の木曽川橋梁で並走する新幹線をぶち抜てやるぜ、と

本気で考えたりしてたな(新幹線にはかなわんがね)

そんなころ、同時に駆け出しの社会人であったボクは

その当時の記憶が曖昧になってしまうほど

仕事が忙しくまた自らそれに没頭していた

20代後半の記憶が本当に無いと云ってもいい

大袈裟でなく朝から晩まで仕事していた

「24時間戦えますか」のコピーが流行った時代だ

みんな今でいうパワハラの何十倍も厳しいハラスメントに抗い

そいつをぶち破っていく日々だった

そんな自慢話ではなく

だから「当時の稼ぎはすごかった」という自慢だ

基本給とほぼ同額の残業代をもらっていて給料は毎月倍額あった

知らない間に貯金はどんどんたまっていく

キャッシュでクルマ買ったりオートバイ買ったり

勢いで家も建てたりした(さすがにそれは住宅ローン組んだけど)

だからたまたま見に行ったレッドバロンでコマグンの赤いCB750FBを見て

その場で契約してしまうぐらいアホだった

そんなアホなことが出来るくらい稼いだ

そのせいでその後もオートバイの衝動買い癖がついたのか

カネもないのにオートバイ買い換える単なるアホに成り下がったのだけどね



CB750Fはそんな日本の最後の750だったかもしれない

バリバリ伝説の巨摩郡の愛車

大型二輪免許は試験場でしか取れなかったので

まだまだ750(ナナハン)は憧れだった

だから店頭でこのCBに出会ったとき電気が走ったのを覚えている

ボクが買ったのはFBだったのですでに8年落ち

外装のプラ部分の塗装が劣化していたが

エンジンは快調だった

フロントから出ていた振動もフォークオイルとタイヤを交換したらすっかりなくなった

このCB750Fには正直驚かされた

何をかと云うと

カワサキとホンダの技術力、工作精度の差だ

CBのシフトペダルを操作するたびにそれがひしひしと伝わってくるのだ

ホンダのトランスミッションは短いストロークで正確に作動し少しも緩みを感じさせない

カワサキに乗ったことがある人ならわかると思うけど

ニュートラルから1速へ入れるとなぜあんなに「ガコンッ!」と騒がしいのだろう

シフトアップもどんなにタイミングをとっても頼りなくニュルっと入り

走っていてもシフトダウンがし辛い

当時はそれを技術力、工作精度の差と感じていた

750ccとは思えないような滑らかな吹き上がり

クランクに感じるトルクはあくまでもシルキー

もちろんGPzのザラザラしたパワー感はどう猛さを含み刺激的だが

ホンダのエンジンには次元の違いを感じるのだ

だからこのGPz900RとCB750Fの2台持ちは

ガサツだけど世界のアタマを狙うモノと

すでに世界に認められたトップ企業が作り出したモノというコントラストが

乗るたびにそれぞれの良さが感じられてとても面白かった

「オトコ」カワサキもいいけど、よくできたホンダも魅力的だった



TZR250とエリミネーター400

ZX12RとTL125バイアルス

R1150RTとR100RSツインショック

いろんな組み合わせの2台持ちがあったな

3台なんて時もあった



そして今はR100とSR400

この組み合わせも相当おもしろい

SR400はついこの前まで販売が継続していたから最新機種でもあるわけだけど

どっちも設計が古い点では共通している

BMWの工作精度はホンダと種類は異なるが同じく非常に高い

材質の良さも相まって実用車的な外観ながらハイブランドの説得力が強い

ヤマハにはコスト的なハンデがあるが

モノづくりへの取り組みは職人気質を感じさせ

「ハンドリングのヤマハ」と古くから云われるとおり

人間の感性に寄り添ったオートバイが魅力だ

BMWのフラットツインもヤマハのシングルも

本当に熟成されていて

70年代にすでにここへ到達していたことに改めて驚かされる

国内外のメーカーは口にはしないが

公道を走るオートバイに必要なものは過剰なパワーでなく

扱いやすいトルクフルなエンジンと

軽量で反応がわかりやすい車体

そして操ることの面白さ

これらの方が重要だと気付いていたように思うのだ

なぜならSR400はリリースに当たって「ヤマハスポーツ新時代」と打ち出し

日常域でのスポーツ性を提案していたし

BMWモノサスフラットツインたちは排気量800ccを基本し

1000ccのエンジンも最大パワーを捨ててトルクの出方を低速寄りへと変えた

それはパワー競争のメインストリームが水冷直4のKバイクへ移ったことで

フラットツインは本来のツーリングバイクとしての実用性に重きを置いたからだ



この日常域、実用域でのスポーツ性と云うのは

現在日本で進むライダーの高齢化にもマッチしていると感じる

大型オートバイの走りは非常に官能的ではある

あのパワー感は大型オートバイにしかないものなのだ

しかし公道での過剰なパワーは非常に危険である

その危険をわかったうえで大型オートバイを扱うわけだが

年齢が上がると、経験があるが故に、自分の衰えに気付いてしまうものだ

だから多くの人がダウンサイジングを考える

カブに乗ってトコトコ走ろうか

スクーターに乗り換えようか

危ないなと思ってはいても決して降りたい訳ではないのだ

ボクも一時期そう考えてカブとかエストレヤなんかに乗ったりしてたけど

排気量落としてパワー落として

軽くして足付き良くして

みたいな事すると絶対に単につまらなくなるだけだ

諦めだからね、それは

そうじゃなくてオートバイを感じる選択をしなくちゃいけない

ボクの場合はそれは「操る楽しみ」だった

だからしっかりとした車体と最低限のトルク感

そして感性に合うハンドリングが必要だった

それは実はSR400に乗って気付いたことだった

アタマではなくカラダの方が良く分かっていた

SR400は官能的なのだ

そしてもう一方のR100

このフラットツインのトルクに包まれてワインディングを流す時

SRとは質は異なるが実に官能的だ

R100はコンチネンタルツーリングで評価されたモデルなので

長い距離を一定のスピードで駆け抜ける性能に特化している

だから日本の狭くて勾配のキツイ屈曲路はあまり得意ではない

けれどペースを守り無理に攻めたりしなければ淡々と走り抜ける

これはこれでなかなかどうして魅力的なハンドリングなのだ

縦置きのクランクはヨー方向の動きが機敏で

バンキングへの移行がまるで無重力

コーナリングは(いわゆる)アンダー傾向なので

増し切りやリーンインが必要な時もあるが

決してコーナーを攻めてはいけない

R100のペースを守ることが何より大切なのだ

そういう意味でR100はとても面白いオートバイなのだ

もちろん長距離ではこれ以上頼りになる相棒はいない

全く性格の異なる2台だが

ひとつのスタイルを完成させた奥行きと深みを味合わせてくれる

どっちもいいんだよなー

浮気性というより単なる「阿呆」という方がしっくりきそうな気もする


クラッチレバーの角度を調整したことないヤツなんて信用できねェ

2024年09月29日 | SR400 RH16J(2019)シータ


「暑さ寒さも彼岸まで」

むかしから言い慣わされたたくさんの言葉の中でも

群を抜く納得感がある

彼岸花の開花の正確さ精密さも手伝って

彼岸に暑さがスーッと引くと

毎年のことながら変に感動してしまうほど腑に落ちてくる

現にこれを書いている彼岸明けの今日は

日差しこそ少し強いが

湿度が低く丁度良い気温の過ごしやすさだし

夜になれば寝室の空気もひんやりとして

布団をしっかりとかぶって寝られる幸せな日々が戻った



夏の終わりに

富山県の有峰湖へ行ってみようと考えていたが

行き場を失って西日本を彷徨う「来る来る詐欺」台風にタイミングを失くし

まあ、まだまだ暑さも真夏並みの日々が続いていたので

もう少し涼しくなったら行えばいいだけのことかと

何となくこの彼岸すぎくらいかな、と感じていた

けれどその後の秋雨前線の南下と崩れた台風の残骸が重なり

信じがたい災害が能登の震災被災地を中心に発生した

ニュースを見るのも苦しいような現場の様子に

とても呑気に有峰湖に出掛けていく気にもならないのが今の気持ちだ



そうしたところへ追い打ちをかけるように

自分の身体にも異常が生じた

ここ数年なかなか治らない中耳炎

先週風呂で耳の裏側を指先で洗っている時左耳に激痛が走った

思わず声が出てそのあと悶絶するほどの痛みで

同時に耳の中で泡が弾けるときのような音が続いた

しばらくして痛みは少し落ち着いたけど

なんだか耳の中の炎症がまた出たのかなと少し不安を感じた

そうしたらこの週末の夜からひどい耳垂れがあって

耳が詰まったような閉塞感とすごい音量の耳鳴りが始まった

「また再発したなー」

週末で医者は休診だったので都合様子を見ることにしたが

耳垂れはひどくなる一方だし

夜になると(アホだからこんな状態でも晩酌するせいだと思うが)熱が出て

顔の左側全体がぼんやりとしていた

今回はまだあまりひどくないのだろうけど

完治するまでに早くても2週間はかかるだろう

ということで「有峰湖」行はまた来年ということになりそうだ

来年生きている保証もない年齢なのにね



丁度いいので夏の間に疎かになっていた

オートバイたちのメンテナンスに精を出すことにした

クロ介のオイルとフィルターを交換してやり

洗剤を使って下回りを丁寧に洗ってやった

レバーやペダルに注油してやったり

スロットルの作動部のグリスを塗り替えてやったり

エアクリーナーのフィルターを交換したり

まあクロ介はそんなところだ

おかめ(エンジンフロントカバー)の下側のオイル漏れは相変わらず

まだしばらく問題なさそうだ

(オイル漏れてるのに問題なくはないのだけれどね)



SR400のほうはメッキが多くてすべてが剥き出しなので

濡れた路面を走るととても汚くなったように感じるが

メッキも塗装もしっかりとしていて

案外サビには強いなと感じている

とはいえ泥まみれの埃だらけはこの娘には似合わない

出来るだけいつもきれいな姿にしておいてやりたいと

自然にそう思わせるオートバイで

いつも掃除に力が入るおっさんなのだ

それと丁寧に各部を掃除すると

何となくおかしな箇所や怪しい箇所が見つかる

特に中古車はオリジナルの姿を知らないから

何が正しいのかが正直わからなかったりする

そんな中古車のSR

右のコーナリング中にどこかを接地させてしまうことが多々あって

ステップのセンサーよりも先に

車体が起き上がるくらいガツッどこかが当たっている

そうしたら今回の掃除中にマフラーのジョイントの取り付け金具に違和感を感じた

 

締めこみ部が外に向いているのだ

よく見ると角が削られている

「な訳ねーじゃん」ということで

クルッと内側へ回しておいた

多分正解、デフォルト状態

だから入念な掃除はメンテナンスの基本と云われるのだ

 

SRは古い設計のオートバイなので

レバーの接合部にはしっかりとゴムのカバーが付いていて

こいつのおかげでワイヤーの痛みがかなり抑えられている

スーパーカブのチェーンカバーもカッコ悪くて外したりしちゃうけど

あれを付けておくと本当にチェーンがいつまでもキレイなままだ

雨を走ってもオイルが切れることもなく

砂や泥もつかなくて摩耗もしにくい

いい材料の質のいい部品が使われ

車体のメッキや塗装もしっかりしていて

さらにこういった機能パーツが備わっているのは以前では普通のことだった気がする

クロ介の塗装もしっかりしていて

古いBMWって本当に錆びない

タンクやボディ外装の塗装もレベルが違うと感じる

同じ時代のプラ外装を持つ国産車はどれも色褪せや塗装剥がれが当たり前だが

クロ介は雨が降ると(湿度が上がると)表面のクリア塗装が曇る程度で

乾けばそれもキレイに戻ってしまう

製造者も自分たちのプロダクトが

何十年も長く使われていくことを願ってはいるのだろうが

実際自分が作ったオートバイが50年後に走っているとは

あまり想像してはいないんじゃあないだろうか

けれどコストをかけてもしっかりとした材料を使い

確かな信念に基づいてモノづくりをすれば

おのずと出来上がった製品には魂が宿るのだ

洗車の時ウエスでタンクのラインをなぞったり

エンジンフィンのひとつひとつを磨いたりしていると

なぜだかうっとりとしてしまうような幸福感に包まれる

良いモノとはそういうモノなんだろう



前回の記事で

次世代にオートバイが正しく伝わっていない等々書いてみたが

変速操作の仕方すらわかっていない(伝えられていない)ように改めて感じた

「インプレッションを」とか云いながらシフトアップもきちんとできないモトブロガー

大袈裟に云うと

「バーーーーッ、ガッ、クーーーーーーン」

クラッチを切っちゃってることと

変速タイミングがデタラメ

タイミングがデタラメだからギクシャクするのを誤魔化しているのか

いやクラッチを切ってタイミング合わせようとしているのか

クランクが回って、それが加速して行く時

トランスミッションがどんな力を受けているか感じていれば

シフトアップするタイミングは自ずと決まってくる

クランクが回転を上げていく勢いを少し抜くだけ

(スロットルをわずかに戻す、本当に僅かでいい)でギアは容易に動く

クラッチはそれを少し補助するだけで足りるので

指の第1関節がクイッと瞬間的に動くだけ

動くというか、「ピクッ」みたいな一瞬の腱の収縮

ライテク記事では常に語られることなのにこれが伝わっていない

それはエンジンを感じていないからなのか

エンジンの回転をコントロールする意識に欠けているのか

いずれにしろゲームのコントローラーでスイッチを押すような感覚にみえる

クイックシフターもいいだろう

ホンダのE-CLUTCH、ヤマハのY-AMTもどうぞどうぞ

でも人間にもできるよ、シフト操作くらい

仕組みを理解してオートバイから伝わる挙動を感覚で受け止め

指と爪先を精密に動かすのだ

オートバイとはそういう乗り物なのだ

何度も云うけど便利なモビリティなんかじゃない

乗ることを操縦することを楽しみ味わう趣味の対象だ



ちなみにこのクラッチ操作シフト操作を身に付けるには

クラッチレバーの角度とあそび、そしてシフトペダルの高さを

自分の身体と操作方法にマッチングさせる必要がある

特にレバーの角度は重要で乗りながら少しずつ微調整する必要がある



レバーの調整、してますか?

してない?

そいつぁ信用できねぇな―


ガソリン臭くて音がいっぱいでるオートバイはもう作れません、だけれども

2024年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム


日本自動車工業会がまとめた2023年二輪車市場動向調査によると

新車購入者の実に89.5パーセントが40代以上だった

50代から上に絞ってもなんと73.2パーセントをも占め

オートバイはもはや老人の趣味と云ってもよいと思われる状況だ

実際に乗っている人はどうなんだろう

たぶん同じような傾向なんだろう

ヘルメット脱ぐと禿アタマなんてのによく出くわすし

事故の記事でもライダーが50代というのをよく目にする

オートバイはむかしは若者の乗り物なんて云われていたし

速くてスポーティーなモデルの人気があった

馬力がいくつだとか

気筒数がとかDOHCエンジンだとか

0-400なんて気にする人も多かった

ずばりスペックがそのまま性能を表していた時代だった



それから何十年も経った今

工業製品の進化は行きつくところまで行ってしまって

スペックだけでは他社との差別化が出来なくなっている

どの製品が優れているのか分からないとも云えるし

どれも優れているから各自の嗜好によって選択できるようにもなったわけだ

しかしその結果

単に売れるということが性能になってしまったようにも見える

モーターサイクルショーに行くと各ブースの混み具合で人気がわかるが

近頃のホンダブースの人気はすさまじくて

天邪鬼なジジイは「そんなにいいか?」と近寄りもせずに帰ってくるくらいだ

ライダーのニーズはホンダにあるのだろう

けどね

オートバイは趣味の乗り物ですよ

マジョリティって必要なんですかね

それはメーカーは営利企業なので売れることはトッププライオリティでしょう

だからといってホンダのオートバイが良いとはならないのが趣味の世界のはず



モーターサイクルショー

いろんなモデルに跨ってみたけどポジションも楽なものが多かったように感じる

その辺りは流行りもあるのだろうが

購入者の年齢的なことも理由にあるのだろう

でも外見だけは派手な方が好まれるようで(というかカネが獲れる)

押し出しの強いデザインが主流だ

タイヤも太すぎる

カッコいいけどね

あと、ケツがシャチホコみたいになってるとか

逆にケツをごっそり取っ払ったボバースタイルとか

デザインバランス崩れる程長いスイングアームとか

妙なものが流行る

でもね

いちばん気味が悪いのは「ヘリテージモデル」かな

購入者の大多数を老人に占められてる以上当然の帰結なのだろう

「売れそう」なのだ



ハーレーダビッドソンには古くからヘリテイジと名付けられたモデルがあったが

復刻というより継続に近い本来の意味を持っていた

ヤマハのSRなんかに近い

時代が変わっても絶対に変わらない魅力はある

まあ最近は老い先短いユーザーにおもねていると

売り上げが先細りするのは必至なので(なんせ売り上げ至上主義だから)

ハーレーダビットソンなんかはユーザーの若返りに必死だ

はっきりいって伝統ってだけではもう生き残れないと思っているのだろう

ヘリテイジの潮流はハーレーダビットソンから生まれて

BMWモトラッドのRnineTで完全に1ジャンルとなった

ピアッジオのグループではモトグッチが

インドではロイヤルエンフィールドが

そしてイギリスの栄光はトライアンフが

それぞれ昔の名前で出ています、まるで場末のクラブホステスのように

ヘリテイジとかネオレトロとかで括られるモデルの何たる不気味さ

それもこれも購入者のニーズの反映だということらしい

ニーズは性能か



資本主義経済とは大河の流れに似ている

低い方へより低い方へ

穿ちやすく浸食しやすい方へ

より多くの水源を集め巨大な流れを作る

その姿が果たして本当に求めていた姿なのか

当の本人にも分からないしそんなことはどうでも良いらしい

存続だけが目的なんだろう

ニーズの反映は資本主義では当たり前だが

それだけでは確実に魂を失くしていくように見える

アグスタの最新3気筒エンジンを載せたスーパーヴェローチェに目を奪われても

XSR900「GP」には失笑しか出ない

プライスタグはまあ半額以下なんだけどね



ボクのオートバイたちを面倒見てもらっているテックMCは不思議な空間で

店の前にスズキのGT750があったりピカピカのZ1300がいたりする

クラウザーのR100とかちょっと古いモトグッツィのカリフォルニア

愛知県の限定解除ジジィには馴染みのスズキGSX750Eもいる

こんな奴らが当たり前のように並んでいる

オートバイの本質と魅力は「機能」にあるべきとボクは思うが

スペック至上主義のこの時代のオートバイたちも

実は相当に個性的な魅力を持っていたことに改めて気づかされる



自分のSR400で走っているとよく感じるが

いろいろな場面でSRが話しかけてくるのだ

もちろん言葉を発するわけじゃなく

ボクの五感をとおしてSRが伝わってくる

キツイ勾配でクランクに負荷がかかった時

ハイスピードでコーナリングする時

低い回転からスパッとスロットルを開いた時

様々な場面で様々な反応を返してくる

スロットルからシートからステップから

そんなオートバイが発する声に耳を澄まして

一体となって自在に操ることに没頭できるよろこび

オートバイは単なる移動の道具ではない

モビリティ?まさか

「キリン」

ポイントオブノーリターンのキリンがなぜ「カタナ」で空冷ポルシェに挑んだのか

それは恐怖と自信のアンビバレントの平衡に自身を置きたかったからだ

90年代の空冷デスモたちがクリッピングポイントへ切れ込みながらライダーを試す

それで操っているつもりなのか、と



XSR900は面白そうだけど

XSR900GPを見た時ほんとうに笑ってしまった

「そこまでして売り上げが欲しいのか」

感想はそれだけだ

エンジンが、とか操安が、とか何をどう云われても後付けにしか聞こえない

そしてそうやって稼ぎ出した利益は何を生み出すのだろうか

タイやインドのストリームを日本へ持ち込むストーリー作りにメーカーは一生懸命だ

所得水準がまだまだ低い国で安く作ったものしか日本で売れないのだ

日本人はあんなにカネを持っていながら給料が足らないとうそぶく

贅沢で自堕落な生活をしながら上ばかり見上げて足元を見ない

セレブたちのカネに寄生しているだけのプロダクトが羨ましくて仕方がない

幸せになれないのはカネがないからだと本気で思っているみたいだ

はっきりいってこんな連中が作り出すニーズなんてクソだ

燃料計、要らないね

ギアポジションインジケーター(長!)、カッコ悪い

ライディングモニター、クソが

インカムで楽しくおしゃべり、反吐が出る

スマホホルダー

ドライブレコーダー

USB端子

おえっ(吐きました)

楽しむなと云いたいのではない、むしろその逆で

オートバイはもっと楽しいんだよと伝えたい

豊田章男もかつて云っていた

「僕はね、ガソリン臭くてね、燃費が悪くてね、音がいっぱいでる、

野性味あふれるクルマが好きなんです」

クルマもオートバイも原点はそこに在るべきだと思う

メーカーはレガシィーとかヘリテイジとかアイコンとか持ち出す前に

オートバイを主張するべきではないのか

それでは売れる前に会社が潰れてしまう?

趣味の世界のファンタジーを提供する会社の云う事じゃない

原付が飛ぶように売れた頃と比べても仕方ないが

主婦層までターゲットにするクルマとは違うのだ

自転車を積みたい、みたいなニーズはないのだよ

それでもマツダにはできたのだからきっと不可能ではない筈だ

着せ替えしてまで利益を獲りに行きたいなんてすでに終わっている



そもそもカネで買えるモノの価値なんて買った瞬間にゼロだ

なぜならそれは消費することですべてが完結するからだ

マスプロダクトのプレミアムって何?

今はまったくつまらないカワサキなんだけど

これまでのカワサキの市場戦略はいつも新鮮だった

ゼファー、ニンジャ250

やりすぎたと思っている時にそんな風を吹かせてきた

そしてそれはいつも「原点回帰」の提案で

オートバイの場合、そんなモノづくりの方が支持されるべきだと思う

懐古趣味ではなく原点

ただボクたちむかしライダーにも少し責任はある

ネットを見ると用語すら出鱈目になりつつある

エンジン始動することを「エンジンをつける」と云ってみたり

単なるアイドリングを「暖気」と云ってみたり

ユーチューブには素人のしかもキャリアも浅い乗り手による

インプレッションや比較動画があふれ

「やっぱりホンダを買うのが無難」という論調が目につく(カネもらってるのか)

そんなクソメディアの影響力は強い

メーカーとがっちり手を組んでいるのか

オートバイが売れないと困るというような表現が多い

そもそもオートバイそのものでなく

移動していった後の楽しみを訴えてばかりだ

そしてその背後には間違いなく利益をむさぼろうとする輩が潜む

つまりボクら年寄りが正しくオートバイを伝えられてこられなかったのだろう

メーカーも減少し続ける販売台数に苦しみ

安易にマーケティングに頼りすぎ

売れるモノが良いモノいう方程式になっていないか

ハンターカブもレブル250も(ついでに女子も)見かけないテックMCの店頭

(いやもちろん店の大将はそこにこだわってるわけじゃないとは思うけどね)

なんだかボクには居心地がいいと感じる

ガラガラと引き戸を開けて店に入ると

ガソリン臭が鼻をくすぐり

「こんちわ」と人懐こい笑顔で大将が迎えてくれる

これを時代遅れの懐古趣味と一蹴するのは簡単だろうが

工業製品が進化し続けるなどという

もはや神話のような考え方もどうかと思う

あのころも実はスペックが性能ではなかったのだ

オートバイの持つ魅力を正しく残していってもらいたと

老いぼれは禿げたアタマを掻いているのだ



あんまり走らないと無駄にいろいろなモノを買いがち、ETCキャンペーンに乗っかる

2024年08月28日 | SR400 RH16J(2019)シータ


田んぼではすでに稲穂が重たく垂れさがり

セミたちの声もすこし大人しくなったかな

いつもならアブラゼミからツクツクボウシにスイッチしている頃だが

なんだかツクツクボウシの忙しない声が今年はまだ聞こえない

台風が接近してきている

夕べは床に就く頃土砂降りの雨になって

激しい雷鳴にハッと目覚めてしまうほどだった



クロ介のオカメ(エンジンフロントカバー)の下からオイルが滲んでいた

おそらくジェネレーターのシャフトのシールが劣化したのだろうが

先日、ジェネレーターの修理の時に一緒にやってもらおうか否か迷っていたのだ

テックMCへ寄って見てもらったら

予想どおり経過観察にしましょうという事だった

確かにまだオイルが滴り落ちるようなレベルではない

オカメから漏れたオイルがじんわりと広がってオイルパンまで汚し

そのオイル染みに砂ぼこりが付いてとても汚くなるってだけだ

家に戻ってとりあえずフクピカで拭き拭きしておいた

それにしても今年の夏はさすがに暑かったようで

テックの大将もみんな乗ってないと云っていた

店の前が国道1号線なのだけど休みでもオートバイが少なかったようだ

最近では会うひと会うひと皆「暑すぎて乗れない」があいさつ代わりだ

夏はオフシーズン

熱帯の日本の常識となりつつある





先日北海道を走った時

十数年前に走った時と比べて明らかに平均スピードが上がっていると感じた

ボクの平均スピードではなく北海道の人たちのスピードだ

とてつもなく速い

80km/hを中心として70~90km/hくらいだった

その横スレスレを120km/hで追い越していくキチガイもいる

北海道の道路はほとんどの場所が制限速度の設定がないので

法定速度の60km/hが決まりだが

老若男女関わらず軽自動車でもワンボックスでもとてつもなく速い

トラックやダンプも結構速くて

信号待ちで道路幅の広さよろしく「ちょっと失礼」とスルスルと前へ出ようものなら

そのあと高確率で3桁(スピード)で煽られる羽目に陥る

いい悪いでなくあの広さならまあそうなんだろうと納得はできる

因みに北海道民の運転は事故の多さから受ける印象よりはマナーがいい

流れの速さをみんながわかっているので

とにかく無理に横から出てくる輩とか横切ろうとするじいちゃんはいない

100mくらい手前でも決して入ってはこない

逆に、信号が変わって動き出す時の加速がとても遅い

そのあとの怒涛の巡行とは対照的だが

多分、冬の凍結や積雪に合わせたアクセルの踏み方が身に染みているのだろう

出足が遅いからといって追い越すと絶対に後で3桁で煽られる

まあとにかく巡行スピードが速い

今回SR400で北海道に行ったわけだが

もちろん非力とはいえSR400でも流れには十分乗れる

けれど正直スロットル開度が大きくてそれを維持するのが結構苦痛だったり

その苦痛から逃れるために握り直す面倒臭さがある

SRって本当は3000rpmくらいで流すのがいちばん気持ちがいい

でも3000rpmでは5速でも70km/hしか出てない

あと上りのワインディングなんかでは意識していないとどんどん車速が落ちる

積極的にガソリンを送り込んでいないとマッタリしたがるのんびり屋さんなのだ

もちろん意識的にスロットルを捻っていれば良いだけなんだけど

そこでみんなが良く取り付けているハイスロプーリーを付けてみることにした



アントライオンのフルパワープーリー

この5型のSRは規制クリアのためにスロットルが全開にならない仕様だけど

これを付けると全開になるらしい(それはどうでもいいけど)

だからプーリーが少し小振りで結果ハイスロになっているようだ

取り付けには何のひねりもなくて

取って付け替えるだけだ

10分くらいでワイヤーの遊び調整までできた

径が小さくなっているので

リターンスプリングが重く感じるらしいが(弱スプリングセットもある)

ボクは全然平気で云われなかったら感じなかったと思う

付けてからもう300kmくらい走らせている

正直ものすごく改善した感はないけど

実際スナッチ(握り)を変えなくても高速で巡行は可能になっている

高速道路やそれこそ北海道のツーリングにはあっても良いかもの部品だった



「あんまり走らないと無駄にいろいろなモノを買いがち」という

オフシーズンあるあるをもうひとつ

「etc」といえば以前は「エトセトラ」と読んで

「その他いろいろ、様々」という意味の言葉だった

ラテン語だったと思うが明治以降こういった言い回しが知的でモダンだったのだろう

けれど21世紀の日本では「etc」とは大文字の「ETC」のことで

高速道路の料金自動徴収システムをあらわす

NEXCOはいろんな理由をつけてこのETCを普及させてきたようにみえるが

もちろんユーザー側の利便性も高いので今では9割以上のクルマが

ETCレーンを利用しているようだ

けれどクルマ全体で見ると装着率は5割以下

オートバイを複数所有するボクたちのような人は

なかなか全部にETCを付けるのはコスト負担が大きい

だからSR400にはまだ車載器を取り付けていなくて

そんなに高速を利用することもないので積極的には考えていなかった

それに北海道へ行ったとき久しぶりに一般レーンを使ったけど

それほどメンドクサク感じなかったね

以前はそれが当たり前だったし料金所の係の人としゃべるのも好きだ

けれど最近増えてきたスマートICみたいに

2025年には全国のインターチェンジの8割ほどがETC専用になるようなのだ

そして2030年にはそれがほぼ100パーセントに達し

事実上ETCの付いていない車は高速道路を利用できなくなるという

つまり高速道路を使いたいならETCがマスト!

それでも利用頻度と車載器の購入費用を天秤にかけると

複数台所有するユーザーには負担が大きいのは事実だ

それでNEXCOが一方的なETC専用化の批判をそらすためか

毎年のようにETC車載器購入助成金キャンペーンを打ち出してくれている

ボクの地域では8月9日から今年のキャンペーンが始まった

「ETC車載器購入助成キャンペーン2024 東海エリア」



少し条件はあるけど基本1万円が出る

このETC

実はセキュリティ規格の変更が予定されていて

おおよそ2030年には規格変更が実施される

しかも予期せぬセキュリティの脅威が生じればその時期が前倒しされる可能性もあるので

余裕があるうちに新セキュリティ規格対応の車載器に換えておいた方がいい

車載器管理番号の頭が「0」から始まるものは新規格に対応していない

おそらく2輪車用の車載器は現行機種でなければ駄目だと思う

2輪車用の車載器は種類も少なく価格も高いので

キャンペーンは有効に利用したほうがいいね

SR400は40年以上の使い回しなので

様々な追加装置で見えないところはギチギチに詰まっている

ETCなんて収まる訳ないんだけど

シート裏のプラスチックの突起(多分書類入れを留める)を切り落とせば

フェンダーの後ろの方にピッタリ入る



メーカーは左ステップにステーをかませて取り付けるよう推奨している風だが

ここでも問題ないだろう

フェンダーの振動が思いほか大きいことと

ETCカードの出し入れのたびにシートの取り外しの手間がかかることは

自己責任の上折り込み済みだ

それにしてもETCの取り付けって

自分ではやらせてくれないよね

付けてもらって後から手直ししなかったことないんだけどね

ケーブルの取り回しとかステーの位置とか瞬時には決められないでしょ

だから今回もケーブル固定せずに剥き出しで返してもらったよ

どうせ後からやり直すならその方が楽だからね



ハンドルのところに丸見えなのがちょっと気になるけど

スッキリ収まってはいる

新東名でテストしてきたら大丈夫だったよ



激しい雷雨の一夜が明けて

それでもなんとか日中は天候が回復した

台風が南の海上をウロウロしているから

いつ雨が降るか予想がしづらい

今朝の上空はすっきりと青空が広がっていてまだまだ真夏ような暑さ

バックにカッパを放り込んで走り出した

やはり空気はもう真夏のそれとは違っていて

日陰に入れば秋を感じる程だった

いつもの川沿いの木陰は少し寒いぐらいだ

気付けばツクツクボウシが盛んに鳴いていた

すっかり大きくなったツバメの子たちも旅立ちの準備に忙しくとびまわり

すっかり実った田んぼでは稲刈りが始まっている

秋がもうすぐそこまで来ているね



あまつさえ「運」ですら何とかなると考える、人の傲慢さよ

2024年08月13日 | R100Trad (1990) クロ介


立秋を過ぎても連日の暑さ

もちろんボクたちオートバイ乗りは知っている

日陰に秋の空気が淀んでいることを

信号待ちでジリジリと聞こえてくるような日差しに焙られても

ボクたちはこの瞬間を味わいたくてじっと夏に耐えて走るのだ

もう秋は目の前に来ている



またメジャーリーガーの話なんだけど

大谷翔平がドジャースに移籍が決まったころ

高校時代のエピソードとして目標達成シート(マンダラチャート)が話題になっていた

本人の発想だったのか周囲の助言だったのか

彼の目標「ドラフト1位指名を8球団から」に対して

一般的にアスリートに必要だとされる「心・技・体」を網羅した8個の題目と

その題目ごとにそれぞれ8個の具体的な行動目標が書き込まれていた

球速160キロ、コントロール、キレといったピッチャーの本質に関わる事だけでなく

ドラフトでより多くの指名をもらうためには

人間性や運も大切だと考えていたことが見て取れた

感謝、礼儀に始まり、道具を大切に使うとかゴミ拾いとか

一見野球とか、トッププレーヤーとかにマストとは思えない項目が並ぶ

けれど世界中の人が知っている

大谷翔平の素晴らしさはそのプレーだけでなくむしろ人間性の方だと

彼に目を奪われない人間なんておそらく一人もいないだろう

「神は細部に宿る」とはドイツの建築家ミース・ファンデルローエの言葉だが

大谷翔平の細部にはまさしく神が宿るようだと云えば持ち上げすぎか



大谷選手の話をしながらふと我に帰ると

本当にイヤになるくらい自分を恥ずかしく感じる

もちろんあれほどの存在は奇跡に近い

ボクたち(あなたも?)市井の人間には切ない話だ

けどね

市井の民には市井の民なりの努力もある

その価値や大きさは比べられるものではないはずだし

少なくとも得られるものだってあるだろう



ボクはオートバイが好きだから

オートバイで死にたくないと思っている

それと同時にオートバイに乗っている人みんなに死んでもらいたくないと考えている

大好きなオートバイに乗って死んではダメだよ

だから走る時は交通安全に留意し

いつもオートバイを確実に整備しておくように努力している

正しい経験を積んで予測運転の精度を上げたりすることも大切だ

けれど正直なところ事故に会う会わないはやはり「運」だったりもする

大谷翔平のマンダラチャートにも「運」というキーワードがあったように

あれほどの資質と実力を持つ超一流プレーヤーでも

人間である以上「運」の部分があると考えている訳だ

その具体的な行動目標として大谷選手は

あいさつ、ゴミ拾い、部屋そうじ、道具を大切に扱うなどを挙げる

これらは野球とはなんの関係もないようにも見えるし

逆に人間として社会人として当たり前だとも感じる

ボクたちオートバイ乗り

「運」を上げる必要はないか?

いや多いにあるだろう

なぜなら事故は「運」の部分もあるからだ



実際には何をどうすれば運が良くなるのかはわからない

お祓いを受けたりお札を授かるのもいいかもしれない

左足からブーツを履き左手からグローブをはめるとか

ジンクスやルーティーンなんかもある

正直逆に何もしていなくても

結局のところ「運」はどうなるものでもないのかもしれない

大谷くんだってゴミ拾いしたり部屋の掃除をしたりしたって

それでチャンスにクリーンヒットを繰り出せるとは思っていないだろう

それだったらバッティング練習に励み、対戦ピッチャーを研究した方が

遥かに効果的だと素人のボクでも思う

でも何か人知れず務めるストイックさに意味を感じることはある

かのイエス様も云われた

「自分の義を見られないために人の前で行わないように、注意しなさい」

さらには「右手のしていることを左手にさえ知られるな」と仰る

そうしてこそ神が細部に、ほんの少し宿らないかな、と思う訳だ

けれどオートバイの事故だって「運」まかせではなく防げるものも実は多い

単独の自爆事故や一旦停止無視みたいな自殺行為の事故もある

右直の事故でもニュース映像で原型が無くなるほど潰れたオートバイを見る

オートバイを操る技術

雑多で混沌とした混合交通を走る経験値

本来はそういった具体的な取り組みで事故にあう確率を下げるべきだ

そんな姿勢でオートバイに向き合っているだろうか

そこでボクが思うのはこんなことだ



誰かの後ろに付いて走っていたり

すれ違うオートバイを見送ったりしていると

とても気になることがある

「爪先」だ

爪先が外に向いて開いたいわゆる逆「ハ」の字になっていたり

これも案外多いんだけど

その爪先がステップより下に(シフトアップの時みたいに)突き出したようになっている

これは全くの個人的な印象だが

オートバイへの向き合い方があの爪先に見て取れるような気がするのだ

なにも教習所で習ったことを蔑ろにするな、と云いたい訳じゃない

あの爪先のみっともなさ、だらしなさ、無頓着さに寒気がするのだ

何度も云うけど個人的な印象に過ぎないと念を押す

ご本人がどういう意識でああなっているのかは知らないしどうでも良い

でもボクはとてもあんなみっともない格好で

大好きなオートバイに向き合いたくはないと考える

それこそ「運」が逃げていきそうだ

第一、あれは本当にカッコ悪いよ



土踏まずをステップに乗せて爪先を前へ向けペダルの上に置く(ペダルに触れてはいない)

素早く踏みかえられるなら母趾球でステップを踏んで踵をフレームに当ててもいい

疲れてくるとどうしてもああなるというなら休憩すべきだ

爪先を前へ向けると自然に股関節が閉まる

大切なのはむしろこっちで

股関節を閉めることで下半身全体がオートバイに自然に密着する

爪先を前に向けていればニーグリップを意識する必要はない

技術的にも理にかなっているし

とにかくオートバイ乗りとして真摯にオートバイと向き合っている感じに

好感が持てるし憧れてしまう

もちろん好感を持たれたくてやっているつもりはないんだけどね

ステップに置いた爪先を前へ向ける

それはボクのオートバイへの敬意と畏怖、愛情と恐怖の表現だ



まあとにかく事故にはくれぐれも気を付けよう

むかし読んだ本にオートバイに乗る人の寿命は乗らない人より7年短いとあった

これは病気にかかるのではなく事故で命を落とすという意味なのだろう

特に若い人は周りの人の人生をも大きく変えてしまうことが多い

オートバイで死んではだめだよ

気を付けて、気を付けて

今日も大切な人が待つ家へ帰り着こう



真夏にエアコンの効いた部屋に閉じこもってライディングを科学するロートルライダー

2024年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム


猛暑日という言葉もそろそろ定義を変える時期に来ている気がする

35℃なんて当たり前なんだからただの夏日でいいんじゃない

もうこれからは37℃以上で猛暑日だね

やっぱり体温越えてるかどうかは明確に違う

体温越えの気温ではヒトのホメオスタシスは機能しない感じがしている

オートバイは真夏はオフシーズン

エアコン効かせた部屋の中で妄想は膨らむばかりだ



サンディエゴ・パドレスのピッチャー ダルビッシュ有と

元WBC日本チーム監督の栗山英樹との対談記事をネットで読んだ

印象的だったのは多くは野球経験者であるコーチではなく

データ収集や分析が役割のアナリストをスペシャリストと云っていたこと

自分の感覚と科学的分析を照らし合わせ

そこから課題を見つけ改善点を探っていくやり方は

今のメジャーリーグでは普通のことだと教えてくれる

経験も大切だがその裏付けに科学的なものを持っている必要があると

ダルビッシュは云い切っていた



オートバイのコーナリングは奥が深い

それはヒトの感覚と物理法則という相容れ難い要素を持つからか

またはライダーとマシンそれぞれの重心と運動系を持つからか

ライディングがスポーツであるなら

やはり科学的な分析や裏付けは必要ではないかと思う

恥ずかしいからあまり大きな声では云わないけど

オートバイのことがなんでそこまで好きなのかと云えば

操ることの面白さなんだと思っている

上手くいったり下手クソだったり

どこかで何かをカジってきてはそれを試しながら走る

そんなことをもう40年近くやっているような気がする

辻司、根本健、和歌山利宏

ボクの理論の柱はこの人たちの「言葉」だ

どうにもしっくりこないのは

佐川健太郎(ケニーとか自分で云ってる痛いオッサン)、柏秀樹

あとはほとんどの元レーサーたち

そもそもレーサーなんて科学以前に自分の感覚だけで走れている人が多い気がする

あの人たちにひとを教えることなど所詮無理なのだと思う

そもそも感覚を表現する「言葉」(理論)を持ち合わせていない

ライダーは進入で「Dive into the corner」して

「Get the inside」で旋回する、なんて文章に寒気がする

云っていることは感覚としてはわかる

でもこれが「ライディングの科学」の一節とは到底信じがたい話だ

そもそもヒトの感覚はめいめい大なり小なり異なっているものだ

だからライディングにも科学的な根拠が必要な時期にそろそろ来ている

コーナリングとはオートバイの運動なのか

それともヒト(ライダー)の動作なのか



ヤマハのモトボットの研究は

コーナリング論争に大きな楔を打った

オートバイが直進の安定状態から

どうやってリーンを開始し旋回に移ろうとするかを「科学的」に解明した

それどころかライダーの体重移動が実は不要だとも結論付けていた

旋回へ移行したオートバイが自分で曲がっていく(セルフステア)ことも

ステアリング軸とフロントフォークのオフセットや

キャスターアングルなどの操舵系の構造や

キャンバースラストやスリップアングル

オーバーターニングモーメントなどのタイヤが生む様々な作用で説明可能

グリップの強度もセルフアライニングトルクの増減でライダーは知ることが出来る

しかし本当にジオメトリーだけでオートバイが走るなら

ライディングのミスはなぜ起こるのだろうか

オートバイの動きだけにフォーカスされすぎて

体重移動なしに可能というだけで

ライダーがそこに関わるファクターを蔑ろにしていないだろうか

たとえは唐突だけれど

愛のない結婚は可能だとしても

そのことが男女間の結びつきに愛が不要だとは云えない

この位レベルの低い論理に聞こえるのはどうしてなのかな

読めば読むほど突っ込みどころがまだまだ満載な結論に感じるのだ



とりあえずこのステアリングのトルクステア制御に関しては

以前から倒し込みの方法として云われてきたもので

逆操舵とかカウンターステア、フェイントステアなんていう

クルマのドラテクでは別の意味に使われている言葉で表現されていた

辻司の「ベストライディングの探求」(1985年刊)

ボクのライディング探求はここから始まっているけど

その中にすでに「あて舵」と紹介されている

モトボットを引き合いに出して

オートバイのコーナリングは体重移動ではなく

このあて舵とセルフステアのバランスをとってコーナリングするのだ

と云い張る人は一定数いるが本当にそんなことが可能だろうか

もしくは速度域が人の認知能力をはるかに下回る極低速での話をしているのだろうか

公道のほとんどのコーナーがブラインド(出口まで見渡せない)の状況で

一瞬たりとも状況判断を遅らせられずもちろん見誤ることもなく

コーナーに合わせてステアリングトルクをコントロールするなど

コンピューターとセンサーなくして不可能だ

たとえ50km/hでも1秒間に14mも進んでしまうんだよ

鈴鹿の130Rに180km/hで進入してみたらいい

ちがうかな、どうだろう

ベストライディングの探求の辻さんのすごいところは

ただステアリングを押すのではなく

体重移動のための身体の移動と同時にグリップを押せと書いているところ

これは感覚と一致した動作に思える

だけどね

その辻さんもライダーが筋肉を動かしてすることと

そのフィードバックを感じることを混同してしまっている

これ、よくある「ライディングテクニック表現の誤謬」

運動神経を使ってすることとその結果、感覚(知覚)神経が感じるフィードバックを

同一視、もしくは混同している

しかも辻さんは(ボクは辻さんリスペクトしていますけど)

コーナリングのきっかけはイン側ステップへの荷重だ、と断言している

ご丁寧に、荷重と踏んずけるは違うから気を付けてとまで書いている

意図するところは間違ってないのだろう

でも、踏んずけずに荷重するは正直わかりにくい

なぜか

それはイン側ステップへの荷重は体重移動の結果であって

イン側の足からの感覚神経のリアクションに過ぎないからだ

言葉が定義されてもおらず使い方も曖昧

それよりももっとダメなのは

イン側ステップに荷重はしないでしょ?

イン側の足って基本ぶらぶらだよね、だってライダーは基本シートに乗っかてるから

極低速での車体コントロール以外でイン側ステップに乗る事ってないと思うけど

ちがう?

身体がロールしていく動きをイン側ステップへの荷重と感じて(考えて)しまっているだけで

内尻(ほんとは股関節)か外側の膝とか脚とかに荷重されてないかな

(オートバイに触れているのはそこだけだから)



佐川何某のライディングメソッドにダメだしするというブログ記事をたまたま見つけた

(佐川健太郎氏「バイクテク」にダメだし☆はじかれる反論)

おそらく骨格とか筋肉なんかの運動学を学んだ人だと思うんだけど

(ご本人は動作研究者、パフォーマーと名乗られておられる)

この記事に出会ってボクは興奮した

それはコーナリングの科学とはヒトの動作の科学だとうっすら感じていたからだろうか

コーナーへ向けてライダーが重心を移す動作は

彼が書いていたとおり「背骨を弓なりにする」ことが必要だろう

左へ重心を移動するのなら(左コーナーへ向けて)左の脇腹を開くような格好になる

(ここが重要なんだけど)特に意識は必要ない

意識するなら左肩関節(左上腕)が内旋し肩甲骨がずり上がることと

その結果として上半身のスパイラルライン(筋膜の連鎖)によって

骨盤の右側が肩に近付こうとする(引き上げられる)こと

つまり骨盤は左足の股関節を軸にして左へ回旋する



わかりにくいね

左カーブへ進入する時

背骨を弓なりにして左脇腹を付きだす(左に凸)ってこと

その時、左の肩と骨盤の右側が互いに引き合うような動きになっているかがポイント

違うかもしれない

でもこうするだけですべての辻褄が合う

イン側の肩を内旋する動きはあて舵になるし

イン側の肩がずり上がりアウト側は下がる

イン側の股関節に荷重を感じ

タンクがあればアウト側の膝や脚全体を介してそこに荷重が乗る

ただし下半身は実は何もしなくてもいい

骨盤は上半身の動きに合わせて動くはずだからだ

しっかり重心移動の動きが出来ていると

オートバイは経験したことがないほどスムースにコーナリングしていく

これは右利きの人が右にコーナリングする時顕著に分かる

どこにも力みのない、だから恐怖心や疑念もない

無重力のような気持のよい世界にいられる

力みが無いので対向車や路面の変化にも落ち着いて対処が出来るし

そもそもコーナリングスピードがあきらかに上がっているのを感じる

深く突っ込んで一気に向きを変えて旋回を楽しめるのだ

手足の使い方や頭の位置

ブレーキングだったりトラクションだったり

各論的なものも知識としてはあった方がいいと思うけど

そこではそんなすべてが完成されたパズルのようにピタリと嵌まっていることに気付くだろう

コーナリングを科学的に解析するとはいえ

コーナリングをあまり複雑に考えるのはやはり違う

鈴鹿8耐を久しぶりに最初から最後まで見たけど

ライダーたちの動きはみんなシンプルでナチュラルだった

コーナリングに必要な科学的根拠

それは結果的に気持ち良いコーナリングになっているはずだ



ただもちろんこれは結論ではない

なぜかといえば

やはりオートバイがそれ自身で曲がろうとするメカニズムは確かにあるからだ

そしてそこへライダーが動きを合わせているだけなのだという感覚もある

けれど直進状態の安定からコーナリング状態への安定へ移行するためには

絶対にヒト(ライダー)の意志とアクションが必要だ

オートバイが曲がるのか

ライダーがオートバイを曲げるのか

と云えばやはりライダーがコーナリングさせているのではないのだろうか



ながながと独りよがりな机上の空論をお読みいただきありがとうございます

興味がある方は一度お試しあれ

交差点の左折で左の脇腹を付きだすだけで

(無意識なのに)ステアリングが大きく右に振り出され

次の刹那には何事もなく左へステアしていくのを体感した時

確実な重心移動の大切さを目の当たりにしてしまって興奮したって訳です


クセもの「ミシュラン ロードクラシック」を手懐けるための一計を案ずる

2024年07月13日 | R100Trad (1990) クロ介


オートバイは基本的には雪や氷の路面はむずかしいので

冬には走りに行く場所が限られてしまっていて

なんとなく「オフシーズン」みたいな感じになるけど

逆に夏は夏で、どこへだって行けるんだけど

日中は暑くてとてもじゃないけど長い距離は遠慮したいね

アタマをすっぽりヘルメットで包み

足には革の分厚いブーツとくれば

狂気の沙汰にも見える

剥き出しのエンジンやマフラーからは容赦なく熱が襲い

水冷オートバイなんてことになると

渋滞で嵌まっている時にかぎって冷却ファンが止まらない

股間をマジで火傷することがある

走っていられれば良いのだけれどね

およそ市街地を炎天下に走ることは避けたい



けれど見方を変えれば

夏の暑い時期に太陽に焙られながら

オートバイで走るのも実はそう悪くない

(でた!アマノジャック!)

走り出した瞬間の涼しさは格別で

「ああ、夏だ」

と実感させてくれるし

夏の暑さは冬の寒さと一緒で

厳しければ厳しいほど楽しい

実際、ヘルメットの中を伝い落ちる汗に思わず笑ってしまうなんてこともある

やれ水分補給だ、やれこまめな休憩だ

ヤイのヤイのうるさい昨今だけど

これくらいの暑さを乗り切れるくらいの体力と健康は持っていたい

良く食べ、良く汗をかき、よく眠る

これは良い生き方、良い人生にもつながる

「異常気象」とか云ってないで健常者なら普通に乗り切れ

ましてやこんな夏にオートバイで走り回りたいならなおさらだ

ライダーは身体が資本

このあいだ北海道へ行ったとき

フェリーで乗り合わせたライダーはご多聞に漏れず

ほぼ中高年だったんだけど

長年乗り続けた彼らの年季の入った相棒といい、その無駄のない立ち回りと云い

みなベテランの雰囲気が好ましかった

そしてやはり一様に大柄でがっしりとした身体つきをしているように見えたが

これこそが長くオートバイに親しむための資質なのだと改めて感じた

ロートルライダーたちがライディングの腕を磨きながら

老いていく身体のケアにも努力しているとはよく聞く話だ

燃料、荷物を含めて250㎏超の車体を

坂や段差にも対処しながら押し引き出来る筋力は必須だし

一日中炎天下や風雨の中を走り切る体力気力もいる



クロ介(BMW R100)

ジェネレーターのコイルが死んで交換した

修理に出す間にタイヤの交換もしてもらった

ミシュランのバイアスタイヤ ロードクラシック

現在のタイヤの選択肢は基本的にはこいつかブリジストンのBT46の2択

ミシュランは今回2回目だ

少し操縦感にクセのあるタイヤで気に入っている



口コミなんかを見るとファーストインプレッションで

切り返しや起すのが重いとか

セルフステアが強いといった

おそらくネガティブな感想が多い

たしかにいつもどおりコーナーに入ろうとすると

身体が反応しないうちにフロントが切れてそのまま切れ込もうとする動きを感じる

またその動きに身体を追従させると今度はそのあとにリアが妙な動きをする

する、というか感覚的に受け入れがたい挙動に感じるみたいだ

けれど、もしそう感じるならフロントの動きを少しだけ弱めて

リアが旋回するリズムにフロントを追随させると

目からウロコの旋回を見せてくれると思う(RSC=リアステアクラブ員なもんですから)

フロントの動きをコントロールする(ステアトルク制御)というと難しく聞こえるけど

これは感覚的にできる動きなので

無意識ではなくそれを意識的にやる気になることが大切だ

(実際は意識するだけで特に何もしなくても、そうなってくれることが多い)

旋回のはなしがしたいけど、ちょっとここで飛行機のはなし


(自衛隊HPから画像拝借)

旋回する飛行機が空中でバンクしているのを見たことがあると思うが

体重移動でバンクしてるわけでなく(当たり前)

エルロンという補助翼を使ってバンク(ロール)させている

ラダー(方向舵)を操作するだけだとヨー方向に機体をよじるけどほとんど曲がらないが

機体を進みたい方向へバンクさせながらラダーを切ると滑らかに旋回していく

パイロットは横滑り計(ボール)をみて(ベテランは感覚的に分かるけど)

バンクと旋回の効率を最適化(バランス)させている(実際にはエレベーターも使う)

すなわち飛行機の旋回はロール、ヨー、ピッチすべてを同時にコントロールすることで成立しているのだ。



バンクするだけ、舵を切るだけ、では旋回しない

そうオートバイと同じだ

オートバイもバンクだけでは旋回できず舵角が必要

さらには遠心力の反力であるグリップ力(内向力)なんてものもある

しかもセルフステアとバンク角がリニアにリンクしているわけではなく

ともすると寝かせれば効率が上がると思いがちだがそれがそうでもない

やはりスピードとバンクと舵角の関係は複雑なのだ

だからバンクさせ遠心力につり合い舵角をつけて旋回する一連の動きは

すべてがほぼ同時に進行していく

どこでバンクを止めどこから旋回を強め、とコマ送りのようには進まない

けれど人間のセンサーは案外正確で

効率の良い旋回は気持ちいいと感じられるような気がする

そしてそれを繰り返すことでこの複雑な力学を無意識に操れるようになる



舵が切れる力(セルフステア)を舵を保持すること(保舵)でコントロールする

その動きはそのままリーンアングルをコントロールすることになる

カウンターステアとか逆操舵とかいう怖ろしい言葉とやっていることは同じだけれど

リーンアングルを作るための体重移動と保舵はみな無意識にやっていることだ

けれど路外逸脱や正面衝突の事故の記事を目にするたびに

ただ何となく曲がれているライダーが多いのかも、とも思ってしまう

前にも書いたけどライディングテクニックの記事の用語はかなり危うい

「加重」なのか「荷重」なのか「反力」なのか

感覚を言葉にする難しさが未消化のまま

プロライダーの肩書でそれらしい造語を使われると

それだけでその意味不明な用語がまかり通ってしまうように見える

「イン側のステップに荷重をかける」

これ、意味わかります?

もっとひどいのだと「イン側のステップを踏む」って書いてある

ステップを踏んずける?

どこを支点にして踏むの?

椅子に座った状態で言葉のとおり試してみればわかるけど

右足で床を踏むと左の尻が硬直する(左足が浮くかも)

この時右足に掛けた力と左の尻にかかった力は釣り合っているはずだ

これでは体重移動にならない

だから「イン側のステップに荷重をかける」では伝わらない人がいるってことだ

まともな人ほど頭の中が「?」でいっぱいになる

(イン側ステップへ荷重するのはないと思うけど、基本ぶらんぶらんでしょ)

「タンクに当たった外側の膝を内へ押し込むように荷重する」

これも一緒だ

そもそもやり方が分からない

片側だけニーグリップを強めるのと何が違うのか?

コーナリング中に外側の膝に力を入れてタンクを押している人がいると思う

膝を内側に閉めると爪先が外にけられるから

そうね、これもプラマイゼロで荷重はのらない

(でも深いバンク角ならここへの荷重は実はかなり強い)

そもそも「荷重」って何?

構造物にかかる力(重さ)のことだ

だから荷重は間違ってない

ただ「加重」はちょっと違うかも



とにかくコーナリングはすべてが同時進行する

同時進行だけど進入と旋回では明確に異なる

ツインリンクもてぎのダウンヒルストレートから90°コーナーを見ていると

フルブレーキングからコーナーに向けて進入する動作から

ある一点で急にバンク角を深めグリっと向きを変えるのがわかる

セルフステアを殺しながらコーナー深く進入し

一気に保舵を緩めて(0ではない)セルフステアを優位にして旋回力を強める

ここがまさに向き変えポイントになる

 

なんかロードクラシックの性格を説明したかっただけなのに

メンドクサイ話になってしまったな

ロードクラシックのやや強いセルフステアを活かすには

コーナー進入での保舵(ステアトルク制御)を少し意識的に強め

いつもより少し奥へ向き変えポイントを設定してはどうか

そうすれば旋回ポイントでそれを一気に解き放った時

持ち味の鋭い旋回力を活かせませんか?という提案だ

スーッと弧を描くようにフロントが意外な速さで回り込んでくる感覚は快感を伴い

リアタイヤと車体の動きにリンクした効率の良い旋回を生んでくれる

これをわかってもらいたいな、と思っただけなんだけどね

とにかくクイックな向き変えばかりを意識していると

ついそのタイミングが早くなりがちだ(インに付くのが早すぎる)と思う

このロードクラシックのセルフステアが強いのは事実なので

それをしっかり活かす組み立てで走れば

BT46なんて味も素っ気もないと感じると思うけどなー



レクティファイヤーかローターコイルなのか、はたまたステーターか、いやワンチャン球切れもあり?

2024年06月30日 | R100Trad (1990) クロ介


雨の季節に入ったようだね

田んぼの稲たちもこれまでは疎らで頼りない葉を風に揺らしていたが

ここに来てずいぶん株がしっかりとしてきたように見える

ねむの木に鮮やかな桃色の花が咲き

夏の野草も次々と花をつけている



路傍にこんなでかい実をつける木を発見

なんだと思う?

これ、クルミだってさ

硬いタネは馴染みがあるけどこいつは知らなかった

それにしても梅雨とはいえ

オートバイで走ると風の涼しさが際立って

さわやかな心地がする夏の入口

列島に横たわる梅雨前線の位置を見れば

いまの空気が爽やかなのかジメジメモワーんなのかすぐにわかる

そう、今日は前線の北側にいるんだね

雨の合間を縫って

少しでも走っておこうと

天気が回復すればすぐに山へ向かうのだが

もちろん雨のすぐ後は実はあまり楽しくはない

山陰(やまかげ)や森の中は路面が乾ききらず

落ちた枯れ枝や流れ出た土砂で気をつかう

山水(やまみず)が洗い越す場所も多くて

すね辺りがびしょ濡れなんて目にも合う

第一、 オートバイが泥でキチャなくなるじゃん



今日は久しぶりにクロ介(BMW R100)

20日ぶり

最近SRに乗ることが多くて

下半身がSRに馴染んでしまっているらしいのか

走り初めに一体感を試すコーナーでさすがに違和感を感じた

いま履いているミシュランのロードクラシック

少しクセがある

腕と上半身、それと下半身の動きが

ロードクラシックの接地点の移動のスピード(速い)に合っていないと

カラダがオートバイを異常と感じて

アタマが「?」てことになる

それに加えて路面状況が悪いとくれば

なかなかブランクを埋めることが出来ず

家に戻るころにやっとアジャストできたかな、なんて感じだ



それと今日はもう一つ心配な症状が出た

ひとつ峠を越えた先の直線路で

電圧計の針が11.0Vを指していることに気付いた

うん?と思いライトを消してみたが11.5Vくらいにしかならない

4速に入れて回転が3000rpmに落ちた時

チャージランプがうっすらと点灯しているのを見つけた

「レクティファイヤーだな」

おそらくしっかり充電されておらずほぼバッテリーだけで走っている

ここから家まで40km弱

ぜんぜん行ける距離

クロ介の発電ユニットは発電量を制限するレギュレーターと

発電流を整流するレクティファイヤー(ダイオードボード)が別になっている

レクティファイヤーはエンジンケースの中に置かれているが

熱に弱いレギュレーターは別にしたかったんじゃあないのかな

どのみち素人の推察に過ぎないのでどうでも良いことだけど

で、そのレクティファイヤーも定番トラブルのひとつ

レクティファイヤー自体よりそれを固定するためのステーが問題

電装パーツなのでやはり振動や熱は大敵

あのエンジンケースの中では条件は最悪かとも思うが

R90リリース時に増える振動の対策として

BMWがステーをゴム脚に変更した

これが多分失敗

失敗ではないか

いずれにしてもゴムなので30年を超えて耐えられる訳がない

劣化してくると振動で折れ(ちぎれる)

そして脚が折れて倒れたボードからリークしたりショートしたりして

レクティファイヤーが壊れる(ダイオードが死ぬ)



けれどそんな症状もその後すぐに何事もなく元に戻った

何やねん?

で、翌日テックMCに相談に向かったらまた壊れた

今度はイグニッションONでチャージランプが付かない

こうなればワンチャン(?)球切れの可能性も出てきたが

ローターコイルの断線なんて最悪もある

このローターコイルの断線は意外と定番トラブル

実はボク、この充電系のパーツはほぼ中古品を持っている

ローター、ステーターコイル

ブラシとバネもまだまだ使える

レクティファイヤー、レギュレーター

もちろんチャージランプの球は予備がある(意外にレアなワット数3Wジャスト)

だから球はすぐに試したんだけど

残念ながらダメだった

まあローターかなー?

ということでクロ介はしばらく入院になりそうだ

手持ちの部品と一緒に預けてきた



でいつも仕事の速いテックMC

結果もう帰ってきたクロ介

次の日には原因もわかって修理完了連絡

果たしてローターコイルの断線による発電不能だった

手持ちの中古部品で修理できたので工賃だけで助かった

でもついでにタイヤ交換もお願いしといたので

そっちが悲鳴の金額

タイヤ

ヤバいくらい値上がりしている

そして新品になってタイヤのプロファイルもしっかりデフォルトになった

ミシュラン ロードクラシック

やっぱり最初は手強い

すごくリーンしたがるし、その割に起き上ってこない

でも起き上がってこない(重い)と云うのは実は感覚的なことで

アクション(ハンドルやステップへの作用)を与えれば即座に素早く反応してくれる

SR400みたいに車体が反応してない重さとは質が違う

因みにSR400でリーンの深いコーナーから

すぐに逆方向の深いコーナーに切り返すような場合

最初のコーナーを捨てて切り返しからの次のコーナーに照準を合わせるべきだね

1個目の進入で遅くなって後ろから突かれても

素早く切り返して逆方向の2個目で強く加速脱出する方が楽しいし

その方がSRらしい

ああ、どうでもいいか

とにかく、しっくりこない感じがさらに強まったことは確か

タイヤの慣らしも含めてじっくりまた乗り込むしかないな



暗く湿ったフェリーの船倉で待つアイツを思うと少し気が晴れた 北海道のこと その4

2024年06月15日 | SR400 RH16J(2019)シータ


本州に住む者にとって

北海道とその他の地との決定的な違いはここだ

自宅の前の道路にオートバイを出して

いつもの路地を抜け、幹線の国道へ出る

そのまま野を越え山を越え

いつかの街を行き過ぎて

海を越える大きな橋を渡ったり

まだ見ぬ地につながる道路を走り抜け

そしてもうここより先に道はないと辿り着いた先に

ぽかりと浮かぶ海の向こうの大きな島



ツーリングをしていると

ずいぶん遠くまで来ちまった、と感慨に耽る時があるが

それは家の前からこんなところまで「道」はつながっているのだ

という事への感慨でもある

そして最果ての岬の先に浮かぶあの大地へは

その「道」はなんと繋がらないのだ

北海道とそれ以外の地の決定的な違い

それは「道が繋がっているのか、いないのか」だ





北海道が島ならば船に乗り込む必要がある

北海道を目指す長距離フェリーの航路にはいくつかあるが

愛知に住むボクには名古屋港から出る太平洋フェリーが馴染みだ

全長が200mもある巨大な船

4層の船倉の上に4つのデッキがある

家から名古屋港のフェリーターミナルまでは約50kmで1時間強

ごみごみした名古屋へのアプローチと工業地帯の通過で案外疲弊する

しかもフェリーへの積み込みの都合で出航時刻90分前の集合が課せられている

ここからすでに「待ち」の過剰債務だ

乗船手続きが午後5時前に終わるとすると

苫小牧港で下船するまであと42時間もある

今回は午後6時過ぎの乗船だったので

外界とシャットアウトされた「禁固41時間」の刑だ

なにを大袈裟な、と思うだろうが

翌朝、房総半島沖を航行するフェリーから太平洋を眺めてみればわかる

海以外のものは何も見えず、視界にはただ水平線だけが左右に広がる世界

この海の向こうは「アメリカ」なのだよ

身体の奥深くから湧き上がる正体不明の恐怖

「広場恐怖症」というこころの病があるそうだが

そうでなくても自分が置かれている状況の怖ろしさに不安になるだろう

左舷を見ればかろうじて陸地が見られる

けれど2kmはあるかな、あの岸まで

ボクには絶対泳ぎ切れない



かく云うもののこんな巨大フェリーの船長は実は相当信頼できる

海技士1級免許を持つ者しか船長にはなれない

パイロットもそうだけど、こんな危うい乗り物を

信頼に足る乗り物にしているのは彼らのおかげだ

だからもちろんフェリーは心配ではない

問題はあまりに暇すぎて心に変調をきたす程だという事

ボクは気にならないけどモバイルの電波もあまりつながらない

(携帯電話の頃よりはずいぶん改善されたけどね)

それにエンジンなのかスクリュ―なのか

ずーっと小刻みに縦揺れがある

それは乗り物だから当たり前なんだけど

電車やバスと違って2日間ブッとおしの振動

これ案外慣れない

あと、立つとよくわかるけどやっぱり長い周期の揺れが絶えず来る

印象では房総沖がいちばん揺れる

潮目の関係ではないかしら(知らんけど)

とにかく閉じ込められ逃げ場を失いながら

延々と縦揺れをかまされるとやっぱりメンタルの弱いボクは

得体のしれない強迫観念に襲われて

落ち着かなく不安定な感情に陥ってしまう

北海道への着岸が待ち遠しいというより

どうしてわざわざこんな目にあいながら北海道へ行くのか

もう自分でもわからなくなってしまうのだ



けれど気分転換に大浴場へ行ってみたら本当に気分がすっきりし

食堂でバイキングを楽しみながらビールを空けると元気になった

まー所詮その程度の落ち込みだ

そうして我慢に我慢を重ね

延々と時間を浪費すること41時間

薄暗い船倉のかなたにぽっかり開いたゲートから

本当に「空っぽ」な気持ちで北海道の大地へと

オートバイを走り出させる

「ただいま、待たせたな北海道、約束どおりまた来たぜ」とつぶやく

そして5分後には支笏湖へ続く樹海の中の真っすぐな道にいるのだ

芽吹いたばかりの新緑の木々

少し冷たく感じる空気と青い空

「ああ、やっぱり北海道は特別だな」と

その時唐突にそして改めて感じるのだ



答えになっていない?

そうだね、ぜんぜん意味が分からない

道が繋がっておらず

フェリーに40時間も揺られて廃人同然となって送り込まれる大きな島

でもこれ以外に北海道がその他の場所とは違う特別さは思いつかない

だって、これってやっぱり特別じゃない?

フェリーの中でぼんやり音楽を聴いたり本を読んだり

ご飯を食べ、酒を飲み、寝台でテレビを眺め

そんなさなか、ふと暗く湿った船倉で

同じように時を待つ相棒のこと(オートバイね)を考える

起きてるかな?それともずーっとウトウトしていやがるのかな?

大きな荷物を積んだまま置いてきたから身体が痺れたとか文句云うかな?

こんなオートバイとの濃密な時間は北海道ツーリングならではと思うけどな



もう北海道へ行くこともないだろうと走り始めたが

やはり機会があればもう1回は行きたい

まだ道南が走れていないのと能取岬へ行けなかった(コンディション最悪のため)ので

少し心残りがある

機会があれば、なんて云ってる年齢ではないか

うん、なんとかしてここ数年内には計画しよう

北海道は楽しかった



北海道と名付けられ150余年、けれどその遥か昔からそこに在ったと自然はボクに迫ってくる 北海道のこと その3

2024年06月10日 | SR400 RH16J(2019)シータ


羊蹄山(蝦夷富士)

元は後方羊蹄山と書いてシリベシヤマと呼ばれていた

あの美しい山容を眺めながら

「で?どこが羊の蹄?」

「前方の羊蹄山はどれ?」

とアタマを傾けたり写真をひっくり返したりして

心当たりを得ようとするが実際見当もつかないだろう

それは全くのお門違いだからだ

今とは正確な地域は異なっているのかもしれないが

元は日本書紀に記述のある「後方羊蹄」の地名に由来している

田畑の畔によく見るギシギシのむかしの云い方が「シ(之)」というそうだが

そのギシギシの漢名(漢方薬名)を「羊蹄」と表すことから

「後方=シリベ」「羊蹄=シ」と宛てた

シリベシの地にある山ということから

「後方羊蹄山」と書いて「シリベシヤマ」と読んだ

(因みに現在シリベシは「後志」と表記される)

その後昭和の中ごろに地元の人たちからの要望があって

すでに云い慣らされていた訓読みの羊蹄山(ようていざん)へとすっきり名前を変えた



手前に少し低いが同じく美しい山容の「尻別岳」がある

アイヌの人たちは尻別岳を雄岳、後方羊蹄山を雌岳と対にして信仰していた

雌岳の方が高くて立派だな、ということに違和感をもった人は

武家社会の慣習がしみついた人だ

元来自然信仰の日本では命を生み出す女性の方が遥かに畏敬される

日本の神様の最高峰は天照大神

女性の神様だ

アイヌの人たちも同じような思考の民族だったのだろう



美笛峠を下り国道276号線を喜茂別へ進むと

正面に不意に羊蹄山が現れてハッとする

そしてその視界の左に尻別岳

富士山に代表される美しい三角形の火山を以前はコニーデ型と云ったが

日本にはこの種の火山が多いことから同じコニーデ型の火山を

「〇〇富士」と呼んで地元に親しまれてきた

この羊蹄山も「蝦夷富士」と呼ばれている

北海道にはその他にも利尻富士がある



東北の岩木山(津軽富士)

関東の榛名山(榛名富士)

山陰の大山(伯耆富士)

四国の飯野山(讃岐富士)

そして九州の開聞岳(薩摩富士)

日本各地でどれもみな素晴らしい郷土富士を実際に見てきたけれど

羊蹄山の美しさは群を抜いている、とボクは感じる



ニセコへ向かいながらどんどん近づく羊蹄山にますます心が躍る

この日は山に一片の雲もかからず感謝したくなるようなコンディション

北海道初日だったけどもうこれが見られれば今回の北海道ツーリングは

大成功だったなと感じる程だった

言葉にするととても陳腐なんだけど

何度も羊蹄山に向かって

「あーりーがーとーうー!」

と叫んだのだよ

この天邪鬼のひねくれ者がね

自分でもびっくりするくらいね



まぁいいさ



雪が積もった美幌峠を寒さと恐怖の中恐る恐る越え

弟子屈の神ドラッグ「ツルハ」で「桐灰カイロ マグマ」を買った

(この時期北海道といえどもコンビニにはカイロはないらしい)

ツルハ「神」ドラッグストアさまには棚2枚にかろうじてカイロが残る

しかも桐灰のマグマ

店内ですぐに高温注意のマグマを7枚貼った



因みに屈斜路湖川湯のこの日の9時の気温は5.3℃

風は北北西から4.9m(湖畔は倍くらいだったけどね)

自販機にはすでにホットの設定が無いところが多く

持って行ったポットに熱いコーヒーを調達しながら走っていた

けれどさすがに「マグマ」

その後はポカポカとは云わないが寒さは感じることが無くなった



開陽台を出てすぐに一時的に雨に降られる

止む気配が無いのでカッパ装着

さすがにフリースインナーにマグマ7枚張り、ウルトラライトダウンベスト

ナイロンジャケットからのカッパ

これは暖かかった



野付半島の付け根から道道950号線へ入るころには

雨もすっかり上がって日も差していたが

風が強くまだ寒そうだったのでカッパのまま走った

野付半島は根室海峡から続く野付水道に頼りなく突き出した砂嘴で

厳密にいえば半島ではない

砂が堆積してできた洲が長く連なっている

ほぼ真っ平で砂嘴が狭い場所では視界の左右に海が見えるほど細い

この現実離れした景色こそここ野付半島の魅力だ

砂嘴の付け根から道道950号線が先端の野付灯台まで伸びる

その長さおよそ18km

右手の野付湾にはいくつも短い砂嘴が伸びて

時折大きなミズナラの林も見られる



しかしそのほとんどは海水によって浸食され立ち枯れ

荒涼とした風景を見せる

以前は枯れ朽ちたトドマツの根が水辺に散見されたようだが

道路から見る限りではそれらはもうほとんどが朽ち果て消えてしまっている




道は先端でどん詰まりなのでそのまま国道へ引き返す

根室水道の向こうには国後島の山並みがはっきり見える

その左手は知床半島

まだ雪をかぶる羅臼岳が良く見えた

オートバイを停めて草むらにカッパのまま座って眺めるが

ふと気づくと多くのシカがすぐそばで草を食んでいた

中に立派なツノを持つ雄もいる



シカの群れ、漁に使うカラフルな浮子、そして国後と知床

羊蹄山の景色に劣らぬ忘れられない情景だった



今回のツーリングを計画するとき

羊蹄山とニセコ連山を巡る道道66号線

そして巨大な砂嘴に伸びる道道950線がとにかく目的だった

この2箇所は西と東に直線距離で400km離れていて

いくら日程が5日あるとはいえかなり行程に制限が出てしまった

けれどどちらも天候には恵まれ(気温は内地で云えば冬並みだったが)

良いも悪いも成功も失敗もないのだろうが

満足度はかなり高いものとなった



そこでまた例の問いだが

だから北海道を走ることがボクにとって特別なのか

いや、やはりこれも違う気がする

羊蹄山もニセコも

野付半島も

特別ではない

実はこう書き進めるうちに自分の中で答えのようなモノが見えてきた

次回はその辺りについて書いてみたい



と云うことでもう少しお付き合いいただきます、北海道