ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

ともあれ、明日が来ると信じて生きていく、それしかできないのだから

2023年12月27日 | R100Trad (1990) クロ介


今年初めての本格的な寒波がやってきた

北から吹き付ける強い風は凍える冷たさで

改めて冬のつらさを思い知らされる



ガレージのシャッターを上げると

クロ介(BMW R100Trad)に冬の朝陽が差し込んだ

カバーを外しタンクに掛けた毛布を剥ぐと

クロ介の金属のボディをゆっくりと解すように光が包む

左右の燃料コックを開けて

チョークを一杯に引き

セルを回す

点火の微妙な兆候を察知してそれをスロットルで掬い上げてやると

1000ccのフラットツインは容易く目覚める

真冬はこのまましばらく暖機運転する



ヘルメットをかぶりグローブをはめながら

クロ介の周りをゆっくり一周して機体をチェックしていく

ミラーやメーターの曇りやスイッチの動作

パーツの取り付き具合とか灯火の具合とか

オイル漏れ、タイヤのトレッドの様子

そんなところか

アイドリングが上がり始めたらチョークを戻して

スロットルをわずかに開けて固定する

左右一体成型のでかいクランクケースに熱が回るにはまだ時間がかかるけど

この辺りで走り出すことにする



気持ち長めにゆったりとクラッチミートさせて発進

1速を少し引っ張ってガスを抜いてやる

シフトアップして2速

3500rpm 60km/h

しっかりと着込んだはずのウエアでもどこかから冷気が忍び込んで

その寒さで体に思わず力が入るのか

体中の関節がぎこちなく

ポジションがなんとなくしっくりこない

冬の「あるある」だ

自宅周辺の脇道から県道との合流点で

まだ怪しいエンジンをストールさせないように

スロットルに少しテンションをかけながら停止する

合流して3速までシフトアップ

エンジンの音は明らかに軽く滑らかになり

クロ介からもようやく「GO」サインが出る



緩やかだけど深いコーナーが左右に連続するいつもの場所

目線の移動だけでゆったりとリーンをはじめ

外足を支点にして内側に荷重を強め

フロントの舵が追従する感覚を確かめる

切り返しのタイミングで内足のステップに荷重して車体を起こしながら

それをそのまま支点にして反対側へリーン

これが無意識でできていれば問題ない

国道へ出るまでに他にもまだルーティーンがある

一旦停止からの左折

一旦停止からの右折

低速でのクランク(国道の側道が下をくぐっている箇所だ)

国道に合流してからの素早い加速

などなど

その一つ一つを試すのがとても楽しい



いつもの散歩コースはこの国道を少し走ったあと

3桁の国道に分岐して山に入っていく

峠が2か所

高速巡行できるエリアが3か所

山に入ると信号はほぼ無いし

いつも行く「涼風の里」までは約50kmあるけど

所要時間は50分くらいかな



おんなじ道を走っていてもその日によって感じることは違う

景色の事じゃなくて

オートバイと自分のことだ

何処へ行くのかとか

何を喰おうかとか

誰と行こうか

そんなことよりオートバイとのコミュニケーションばかり考えている

そしてそれが何より楽しい

コンビニまでカブを走らせても

ツアラーで九州まで一気に走り通しても

その楽しさは全く変わらないし

そして

初めて友達のオートバイのスロットルをブリッピングした16の時と

(その時のボクの顔を見て友達は「オマエ、オートバイにきっと乗るぞ」と云った)

何十台ものオートバイを乗り継いで

何万キロも日本中を走り回った今も

オートバイに対するときめきがまったく変化していない

大声で叫びたいぐらい

オートバイが好きだ

ただそれだけだ



天気予報ではあんまり良さそうなことは云ってなかったけど

なかなかどうしての快晴だった

風も無くて今年最後のクロ介との散歩は楽しかった

山はすっかり枯れ果てて

木々の尖った枝先がツンツンと真っ青な冬の空を突き刺す

それでもどの枝にもしっかりと春に芽を吹く蕾がびっしり付いて

なんだかその生命力がとっても頼もしく見えた



椅子を広げてコーヒーを淹れ

のんびりと風景たちを眺める

枝から枝へエナガの群れが飛び回る

皆一様にチュビチュビとうるさく囀って

ボクの頭の上をあちらからこちら

そしてまたこちらからあちらへと忙しない

けれどその小さな体に似合わぬ程の長い尾を上下に振って

器用にバランスをとる姿がとても愛らしい

「君たちはここで冬をやり過ごすんだね」



今日ここへ来るあいだも

きのう降ったのか雪が残っていたし

一日中陽の当らない山陰は道路が湿って黒くなっていた

気を付ければおそらくこの辺りなら真冬でも入れるのかもしれないけれど

凍結の不安を抱えたままでは全く楽しめないので

1月、2月は山へ向かわないことにしている

だから「涼風詣で」も今日が今年最後になるだろう

その分少し感傷的な気分で山や川を眺めた

先日も書いたとおり

もう来年が当たり前にくる年齢ではない

もちろんわかっている

死ぬことより生きることをこそ考えるべきだ

明日が来ないと分かってもそれは明日にならなければ分からない

明日、何して遊ぼうかな?

それの繰り返しが人の営みだ



クロ介を手元に置いて丸3年がたった

10年以上店頭に放置(展示?)されていた車両なので

徐々に不具合をつぶしながら機械としての信頼を深めていった期間だった

それとそれまで乗っていたR1150RTを売却して

自分自身が長距離のライディングから遠ざかっていたこと

壮年期に入って明らかに身体機能が落ちている自覚があることなど

乗り手のリハビリとリビルドが必要だったこともあって

ロングツーリングをあえて控えていた

けれど500kmを超えるようなツーリングも

以前のように

というかそれ以上に

こなせるだけの技術とフィジカルとメンタルが

身に付いてきたように感じている

なので、来シーズンからはもう少しいろいろなところへ走りに行きたい

来年クロ介と遠乗りすることを楽しみにしている



今年もたくさんの人に読んでいただきとても感謝しています

歳を重ねた分いろいろと感じるところも多くなって

よせばいいのにあれこれ悪態をついてばかりで......

けれど正直な気持ちなのでそこに少しでも何か感じていただければと

このブログにもいつまでも蹴りがつけられないのかもしれません

オートバイという不思議な乗り物が

なぜだかボクの心と響き合うその感覚を

同じように響く人たちに感じてもらえれば

というのが原点です

いまはまだとてもそんな実感がないので

もう少し続けさせてもらえればと思っています



ということで来年もまだまだ走るよ

そしていつかどこかの路上で

良いお年をお迎えください


冬が来る前に木枯らしに抱かれてジタバタあがくこの頃

2023年12月13日 | R100Trad (1990) クロ介


里に秋が下りる頃

昨日まで晩秋の低い日差しに透けて輝いていた櫨の真っ赤な葉が

今日は色を失って枯れていた



一日中強く吹き荒れる木枯らしに葉っぱたちはひとたまりもなく

抱かれる、というより無残に風に舞い散っていく

もうこうなるとボクには何の太刀打ちも出来ない

冷たい冬がゆっくりと確実に

里に根付くのをただただ受け入れるしかない



ジョウビタキの姿を庭に見つけると冬の訪れは確実で

羽根がキレイなかわいい小鳥なのに

「もう来たのかい?」

とちょっと悪態もつきたくなるのだ

そして深い溜息とともに

山へ踏み込めるのも今日が最後かもしれないと強く感じる

そう思う焦りからか晴れた日には時間を惜しんであちこち走り回るのだが

その度に逆に寂しさも込み上げる始末だ



もうこの歳になると

死がいつも隣に佇んでいるような気配を感じる

決して死ぬことを恐れているわけではないし

もちろん若くして死ぬ人もいるのだから年齢は関係ないのだろうが

老いたこの身に晩秋の寂寥感は一層切なくて

遠い春を想いながらそこには以前のような呑気さはなく

ただただ一人去り行く人の定めが寂しいのだ

そしてそのことで胸が詰まる思いがする

「今年もありがとう」

そして

「来年もまた会いたいね」

と馴染みある風景たちにつぶやくが強い北風がそれをすぐにかき消してしまう

それはまるで叶わぬ願いのように



久しぶりに走った静岡県県道9号線(天竜東栄線)は印象的だった

熊へはいつも渋川を通っていくことが多いので

天竜川の支流「阿多古川」に沿って進むこの県道を走るのは

実は初めてだったかもしれない



9号線はさすがの一桁で

最奥の熊の集落までかなり整備状況が良い

川沿いのこのルートはやはりボク好みの屈曲具合で

直線がほぼなく

曲線と曲線が美しくつながって飽きない

阿多古川の流れは澄んで美しく

沿道の町並みには昭和の風情が強い

特に西阿多古川との分岐点の集落は街道の宿場のような佇まいで

またゆっくり訪ねたいと思わせる印象があった

今回はその先、長沢地区辺りで道路陥没のため9号線が不通になっていたが

迂回に案内されたルートが思わぬルートでとても楽しかった





急な斜面を一気に駆け上ると茶畑が広がって

眼下の谷に西阿多古川が流れ下る

谷の向こう側の斜面にも張り付くように集落が散見され

空に近い山村はとても明るく静かだった

迂回に30分くらい取られたけど

それは次々現れる美しい眺めにボクがオートバイをいちいち止めていたからで

むしろ次もこっちを選んで走っちゃうかもな

なんて一人でほくそ笑んでいた



その後立ち寄った道の駅「くんま水車の里」の熊かあさんの店で

久しぶりに素朴な蕎麦を喰った

旨かった





奥三河にもマイナーな快走路がある

国道や県道を挟んで田口から足助までつながっている





ただしこの路線のアップダウンは半端なくて

2ストだと焼き付くんじゃないかと思うくらいに下りが連続したりする

最近ではWRCのSSコースとしてメジャーになりつつあるので

今後は通行量も増えそうだ

沿道にカエデが植えられた箇所が多く

紅葉の季節はとてもきれい

でもせせらぎ街道じゃないけどここもワインディングがいちばん

まだ行けるかなと思って行ってみたら

その日は路面がかなり濡れていて微妙な感じだった

冬になると一日中日陰の部分もあるのでなんだかちょっと興奮する

おまけにカエデの落ち葉が積もっていて楽しさ倍増だ

この状態で冷え込んだらもう走りたくはないけど

やっぱり今年は終わりなんだね





「今日は晴れて温かくなるでしょう」

と気象予報士が口を揃えるある日

散歩くらいの気持ちで涼風まで走った

作手へ出ると一転空には雲が広がって

ヘルメットのシールドにポツポツと雨滴が当たり出す

湿った空に寒気が忍び込むと空は時雨る

決してザーッとはならないけれど

地味にポツポツと降り続けやがてすべてが濡れる

今日はそんな雨だ





建物の際にクロ介を停めて

ボクは軒の中に入らせてもらう

雨の止み待ちでボーっとするのは嫌いじゃない

クロ介は細かい雨に打たれ続けている

風が出るとイヤだななんて考えながら

湯でも沸かしますか

とアルストを引っ張り出す



アルストの火に手をかざしぼんやりしてると

ついつい、いろいろなことを考えてしまう

地球のどこかでは戦争が止まらず

金持ちの権力者たちが金に執着し続ける

何がどう進化しても

何がどう変化しても

人間自体は怖ろしいくらい人間であり続けるようだ



それなのに最近引っかかる言葉がある

「今はもう時代が変わった」ってヤツだ

時代が変わるとは単に時間の経過という意味ではないのは明らかなので

その時代を生きる人間とその社会が変わったと云いたいのだろう

でもね人間がそう短い間に変わってしまうものかな

変わったなんて勘違いの言い訳だろうよ

楽しんで野球をやったチームが優勝したかもしれないが

楽しんで野球をやって一回戦で負けるチームもあっただろう

楽しんで野球をやっていいプレーが出来た選手もいたかもしれないが

楽しんで野球をやってレギュラーになれなかった選手もいただろう

本当にみんなが変わったのか

いやいや

取り残されるヤツはいつも同じ

それこそ「頑固者だけが悲しい思い」をするのだ

残された時間が少ないと感じるせいか

この頃この思いが頭から離れない

人間なんてボクが知る限り何も変わっていないと感じる

むしろさらにボンヤリとして腐敗しているように見える





どんなに道が改良されても

どんなにオートバイが進化しても

いつもの峠道

いつもの集落

いつもの山々

あそこの窪みも

どこそこの段差も

ここの水たまりも

この身体が覚えている



動く物質としてのヒトの存在意味はおそらく不明だ

偶然と必然の境界線上をただただ変化してきたにすぎない

けれど意識を持った物質としての人間の存在の意味は考えざるを得ない

そしてその命の意味を後世に正しく伝えられないのなら

その文明は間違った方向へ向かっているのだ

おのれの楽しみもいいだろう

ただその命は父や母をはじめ多くの先人たちから託されたもの

そしてこの自分が次の世代へ繋いでいくものだ

もちろん生命に限った話ではない

時代などそう簡単に変わってたまるものか

と、北風の中コーヒーを啜るおっさん

まったく季節外れの五月蠅い頑固者だ