ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

レクティファイヤーかローターコイルなのか、はたまたステーターか、いやワンチャン球切れもあり?

2024年06月30日 | R100Trad (1990) クロ介


雨の季節に入ったようだね

田んぼの稲たちもこれまでは疎らで頼りない葉を風に揺らしていたが

ここに来てずいぶん株がしっかりとしてきたように見える

ねむの木に鮮やかな桃色の花が咲き

夏の野草も次々と花をつけている



路傍にこんなでかい実をつける木を発見

なんだと思う?

これ、クルミだってさ

硬いタネは馴染みがあるけどこいつは知らなかった

それにしても梅雨とはいえ

オートバイで走ると風の涼しさが際立って

さわやかな心地がする夏の入口

列島に横たわる梅雨前線の位置を見れば

いまの空気が爽やかなのかジメジメモワーんなのかすぐにわかる

そう、今日は前線の北側にいるんだね

雨の合間を縫って

少しでも走っておこうと

天気が回復すればすぐに山へ向かうのだが

もちろん雨のすぐ後は実はあまり楽しくはない

山陰(やまかげ)や森の中は路面が乾ききらず

落ちた枯れ枝や流れ出た土砂で気をつかう

山水(やまみず)が洗い越す場所も多くて

すね辺りがびしょ濡れなんて目にも合う

第一、 オートバイが泥でキチャなくなるじゃん



今日は久しぶりにクロ介(BMW R100)

20日ぶり

最近SRに乗ることが多くて

下半身がSRに馴染んでしまっているらしいのか

走り初めに一体感を試すコーナーでさすがに違和感を感じた

いま履いているミシュランのロードクラシック

少しクセがある

腕と上半身、それと下半身の動きが

ロードクラシックの接地点の移動のスピード(速い)に合っていないと

カラダがオートバイを異常と感じて

アタマが「?」てことになる

それに加えて路面状況が悪いとくれば

なかなかブランクを埋めることが出来ず

家に戻るころにやっとアジャストできたかな、なんて感じだ



それと今日はもう一つ心配な症状が出た

ひとつ峠を越えた先の直線路で

電圧計の針が11.0Vを指していることに気付いた

うん?と思いライトを消してみたが11.5Vくらいにしかならない

4速に入れて回転が3000rpmに落ちた時

チャージランプがうっすらと点灯しているのを見つけた

「レクティファイヤーだな」

おそらくしっかり充電されておらずほぼバッテリーだけで走っている

ここから家まで40km弱

ぜんぜん行ける距離

クロ介の発電ユニットは発電量を制限するレギュレーターと

発電流を整流するレクティファイヤー(ダイオードボード)が別になっている

レクティファイヤーはエンジンケースの中に置かれているが

熱に弱いレギュレーターは別にしたかったんじゃあないのかな

どのみち素人の推察に過ぎないのでどうでも良いことだけど

で、そのレクティファイヤーも定番トラブルのひとつ

レクティファイヤー自体よりそれを固定するためのステーが問題

電装パーツなのでやはり振動や熱は大敵

あのエンジンケースの中では条件は最悪かとも思うが

R90リリース時に増える振動の対策として

BMWがステーをゴム脚に変更した

これが多分失敗

失敗ではないか

いずれにしてもゴムなので30年を超えて耐えられる訳がない

劣化してくると振動で折れ(ちぎれる)

そして脚が折れて倒れたボードからリークしたりショートしたりして

レクティファイヤーが壊れる(ダイオードが死ぬ)



けれどそんな症状もその後すぐに何事もなく元に戻った

何やねん?

で、翌日テックMCに相談に向かったらまた壊れた

今度はイグニッションONでチャージランプが付かない

こうなればワンチャン(?)球切れの可能性も出てきたが

ローターコイルの断線なんて最悪もある

このローターコイルの断線は意外と定番トラブル

実はボク、この充電系のパーツはほぼ中古品を持っている

ローター、ステーターコイル

ブラシとバネもまだまだ使える

レクティファイヤー、レギュレーター

もちろんチャージランプの球は予備がある(意外にレアなワット数3Wジャスト)

だから球はすぐに試したんだけど

残念ながらダメだった

まあローターかなー?

ということでクロ介はしばらく入院になりそうだ

手持ちの部品と一緒に預けてきた



でいつも仕事の速いテックMC

結果もう帰ってきたクロ介

次の日には原因もわかって修理完了連絡

果たしてローターコイルの断線による発電不能だった

手持ちの中古部品で修理できたので工賃だけで助かった

でもついでにタイヤ交換もお願いしといたので

そっちが悲鳴の金額

タイヤ

ヤバいくらい値上がりしている

そして新品になってタイヤのプロファイルもしっかりデフォルトになった

ミシュラン ロードクラシック

やっぱり最初は手強い

すごくリーンしたがるし、その割に起き上ってこない

でも起き上がってこない(重い)と云うのは実は感覚的なことで

アクション(ハンドルやステップへの作用)を与えれば即座に素早く反応してくれる

SR400みたいに車体が反応してない重さとは質が違う

因みにSR400でリーンの深いコーナーから

すぐに逆方向の深いコーナーに切り返すような場合

最初のコーナーを捨てて切り返しからの次のコーナーに照準を合わせるべきだね

1個目の進入で遅くなって後ろから突かれても

素早く切り返して逆方向の2個目で強く加速脱出する方が楽しいし

その方がSRらしい

ああ、どうでもいいか

とにかく、しっくりこない感じがさらに強まったことは確か

タイヤの慣らしも含めてじっくりまた乗り込むしかないな



暗く湿ったフェリーの船倉で待つアイツを思うと少し気が晴れた 北海道のこと その4

2024年06月15日 | SR400 RH16J(2019)シータ


本州に住む者にとって

北海道とその他の地との決定的な違いはここだ

自宅の前の道路にオートバイを出して

いつもの路地を抜け、幹線の国道へ出る

そのまま野を越え山を越え

いつかの街を行き過ぎて

海を越える大きな橋を渡ったり

まだ見ぬ地につながる道路を走り抜け

そしてもうここより先に道はないと辿り着いた先に

ぽかりと浮かぶ海の向こうの大きな島



ツーリングをしていると

ずいぶん遠くまで来ちまった、と感慨に耽る時があるが

それは家の前からこんなところまで「道」はつながっているのだ

という事への感慨でもある

そして最果ての岬の先に浮かぶあの大地へは

その「道」はなんと繋がらないのだ

北海道とそれ以外の地の決定的な違い

それは「道が繋がっているのか、いないのか」だ





北海道が島ならば船に乗り込む必要がある

北海道を目指す長距離フェリーの航路にはいくつかあるが

愛知に住むボクには名古屋港から出る太平洋フェリーが馴染みだ

全長が200mもある巨大な船

4層の船倉の上に4つのデッキがある

家から名古屋港のフェリーターミナルまでは約50kmで1時間強

ごみごみした名古屋へのアプローチと工業地帯の通過で案外疲弊する

しかもフェリーへの積み込みの都合で出航時刻90分前の集合が課せられている

ここからすでに「待ち」の過剰債務だ

乗船手続きが午後5時前に終わるとすると

苫小牧港で下船するまであと42時間もある

今回は午後6時過ぎの乗船だったので

外界とシャットアウトされた「禁固41時間」の刑だ

なにを大袈裟な、と思うだろうが

翌朝、房総半島沖を航行するフェリーから太平洋を眺めてみればわかる

海以外のものは何も見えず、視界にはただ水平線だけが左右に広がる世界

この海の向こうは「アメリカ」なのだよ

身体の奥深くから湧き上がる正体不明の恐怖

「広場恐怖症」というこころの病があるそうだが

そうでなくても自分が置かれている状況の怖ろしさに不安になるだろう

左舷を見ればかろうじて陸地が見られる

けれど2kmはあるかな、あの岸まで

ボクには絶対泳ぎ切れない



かく云うもののこんな巨大フェリーの船長は実は相当信頼できる

海技士1級免許を持つ者しか船長にはなれない

パイロットもそうだけど、こんな危うい乗り物を

信頼に足る乗り物にしているのは彼らのおかげだ

だからもちろんフェリーは心配ではない

問題はあまりに暇すぎて心に変調をきたす程だという事

ボクは気にならないけどモバイルの電波もあまりつながらない

(携帯電話の頃よりはずいぶん改善されたけどね)

それにエンジンなのかスクリュ―なのか

ずーっと小刻みに縦揺れがある

それは乗り物だから当たり前なんだけど

電車やバスと違って2日間ブッとおしの振動

これ案外慣れない

あと、立つとよくわかるけどやっぱり長い周期の揺れが絶えず来る

印象では房総沖がいちばん揺れる

潮目の関係ではないかしら(知らんけど)

とにかく閉じ込められ逃げ場を失いながら

延々と縦揺れをかまされるとやっぱりメンタルの弱いボクは

得体のしれない強迫観念に襲われて

落ち着かなく不安定な感情に陥ってしまう

北海道への着岸が待ち遠しいというより

どうしてわざわざこんな目にあいながら北海道へ行くのか

もう自分でもわからなくなってしまうのだ



けれど気分転換に大浴場へ行ってみたら本当に気分がすっきりし

食堂でバイキングを楽しみながらビールを空けると元気になった

まー所詮その程度の落ち込みだ

そうして我慢に我慢を重ね

延々と時間を浪費すること41時間

薄暗い船倉のかなたにぽっかり開いたゲートから

本当に「空っぽ」な気持ちで北海道の大地へと

オートバイを走り出させる

「ただいま、待たせたな北海道、約束どおりまた来たぜ」とつぶやく

そして5分後には支笏湖へ続く樹海の中の真っすぐな道にいるのだ

芽吹いたばかりの新緑の木々

少し冷たく感じる空気と青い空

「ああ、やっぱり北海道は特別だな」と

その時唐突にそして改めて感じるのだ



答えになっていない?

そうだね、ぜんぜん意味が分からない

道が繋がっておらず

フェリーに40時間も揺られて廃人同然となって送り込まれる大きな島

でもこれ以外に北海道がその他の場所とは違う特別さは思いつかない

だって、これってやっぱり特別じゃない?

フェリーの中でぼんやり音楽を聴いたり本を読んだり

ご飯を食べ、酒を飲み、寝台でテレビを眺め

そんなさなか、ふと暗く湿った船倉で

同じように時を待つ相棒のこと(オートバイね)を考える

起きてるかな?それともずーっとウトウトしていやがるのかな?

大きな荷物を積んだまま置いてきたから身体が痺れたとか文句云うかな?

こんなオートバイとの濃密な時間は北海道ツーリングならではと思うけどな



もう北海道へ行くこともないだろうと走り始めたが

やはり機会があればもう1回は行きたい

まだ道南が走れていないのと能取岬へ行けなかった(コンディション最悪のため)ので

少し心残りがある

機会があれば、なんて云ってる年齢ではないか

うん、なんとかしてここ数年内には計画しよう

北海道は楽しかった



北海道と名付けられ150余年、けれどその遥か昔からそこに在ったと自然はボクに迫ってくる 北海道のこと その3

2024年06月10日 | SR400 RH16J(2019)シータ


羊蹄山(蝦夷富士)

元は後方羊蹄山と書いてシリベシヤマと呼ばれていた

あの美しい山容を眺めながら

「で?どこが羊の蹄?」

「前方の羊蹄山はどれ?」

とアタマを傾けたり写真をひっくり返したりして

心当たりを得ようとするが実際見当もつかないだろう

それは全くのお門違いだからだ

今とは正確な地域は異なっているのかもしれないが

元は日本書紀に記述のある「後方羊蹄」の地名に由来している

田畑の畔によく見るギシギシのむかしの云い方が「シ(之)」というそうだが

そのギシギシの漢名(漢方薬名)を「羊蹄」と表すことから

「後方=シリベ」「羊蹄=シ」と宛てた

シリベシの地にある山ということから

「後方羊蹄山」と書いて「シリベシヤマ」と読んだ

(因みに現在シリベシは「後志」と表記される)

その後昭和の中ごろに地元の人たちからの要望があって

すでに云い慣らされていた訓読みの羊蹄山(ようていざん)へとすっきり名前を変えた



手前に少し低いが同じく美しい山容の「尻別岳」がある

アイヌの人たちは尻別岳を雄岳、後方羊蹄山を雌岳と対にして信仰していた

雌岳の方が高くて立派だな、ということに違和感をもった人は

武家社会の慣習がしみついた人だ

元来自然信仰の日本では命を生み出す女性の方が遥かに畏敬される

日本の神様の最高峰は天照大神

女性の神様だ

アイヌの人たちも同じような思考の民族だったのだろう



美笛峠を下り国道276号線を喜茂別へ進むと

正面に不意に羊蹄山が現れてハッとする

そしてその視界の左に尻別岳

富士山に代表される美しい三角形の火山を以前はコニーデ型と云ったが

日本にはこの種の火山が多いことから同じコニーデ型の火山を

「〇〇富士」と呼んで地元に親しまれてきた

この羊蹄山も「蝦夷富士」と呼ばれている

北海道にはその他にも利尻富士がある



東北の岩木山(津軽富士)

関東の榛名山(榛名富士)

山陰の大山(伯耆富士)

四国の飯野山(讃岐富士)

そして九州の開聞岳(薩摩富士)

日本各地でどれもみな素晴らしい郷土富士を実際に見てきたけれど

羊蹄山の美しさは群を抜いている、とボクは感じる



ニセコへ向かいながらどんどん近づく羊蹄山にますます心が躍る

この日は山に一片の雲もかからず感謝したくなるようなコンディション

北海道初日だったけどもうこれが見られれば今回の北海道ツーリングは

大成功だったなと感じる程だった

言葉にするととても陳腐なんだけど

何度も羊蹄山に向かって

「あーりーがーとーうー!」

と叫んだのだよ

この天邪鬼のひねくれ者がね

自分でもびっくりするくらいね



まぁいいさ



雪が積もった美幌峠を寒さと恐怖の中恐る恐る越え

弟子屈の神ドラッグ「ツルハ」で「桐灰カイロ マグマ」を買った

(この時期北海道といえどもコンビニにはカイロはないらしい)

ツルハ「神」ドラッグストアさまには棚2枚にかろうじてカイロが残る

しかも桐灰のマグマ

店内ですぐに高温注意のマグマを7枚貼った



因みに屈斜路湖川湯のこの日の9時の気温は5.3℃

風は北北西から4.9m(湖畔は倍くらいだったけどね)

自販機にはすでにホットの設定が無いところが多く

持って行ったポットに熱いコーヒーを調達しながら走っていた

けれどさすがに「マグマ」

その後はポカポカとは云わないが寒さは感じることが無くなった



開陽台を出てすぐに一時的に雨に降られる

止む気配が無いのでカッパ装着

さすがにフリースインナーにマグマ7枚張り、ウルトラライトダウンベスト

ナイロンジャケットからのカッパ

これは暖かかった



野付半島の付け根から道道950号線へ入るころには

雨もすっかり上がって日も差していたが

風が強くまだ寒そうだったのでカッパのまま走った

野付半島は根室海峡から続く野付水道に頼りなく突き出した砂嘴で

厳密にいえば半島ではない

砂が堆積してできた洲が長く連なっている

ほぼ真っ平で砂嘴が狭い場所では視界の左右に海が見えるほど細い

この現実離れした景色こそここ野付半島の魅力だ

砂嘴の付け根から道道950号線が先端の野付灯台まで伸びる

その長さおよそ18km

右手の野付湾にはいくつも短い砂嘴が伸びて

時折大きなミズナラの林も見られる



しかしそのほとんどは海水によって浸食され立ち枯れ

荒涼とした風景を見せる

以前は枯れ朽ちたトドマツの根が水辺に散見されたようだが

道路から見る限りではそれらはもうほとんどが朽ち果て消えてしまっている




道は先端でどん詰まりなのでそのまま国道へ引き返す

根室水道の向こうには国後島の山並みがはっきり見える

その左手は知床半島

まだ雪をかぶる羅臼岳が良く見えた

オートバイを停めて草むらにカッパのまま座って眺めるが

ふと気づくと多くのシカがすぐそばで草を食んでいた

中に立派なツノを持つ雄もいる



シカの群れ、漁に使うカラフルな浮子、そして国後と知床

羊蹄山の景色に劣らぬ忘れられない情景だった



今回のツーリングを計画するとき

羊蹄山とニセコ連山を巡る道道66号線

そして巨大な砂嘴に伸びる道道950線がとにかく目的だった

この2箇所は西と東に直線距離で400km離れていて

いくら日程が5日あるとはいえかなり行程に制限が出てしまった

けれどどちらも天候には恵まれ(気温は内地で云えば冬並みだったが)

良いも悪いも成功も失敗もないのだろうが

満足度はかなり高いものとなった



そこでまた例の問いだが

だから北海道を走ることがボクにとって特別なのか

いや、やはりこれも違う気がする

羊蹄山もニセコも

野付半島も

特別ではない

実はこう書き進めるうちに自分の中で答えのようなモノが見えてきた

次回はその辺りについて書いてみたい



と云うことでもう少しお付き合いいただきます、北海道

わざわざ40時間もフェリーに揺られて着いた彼の地にボクは何を見たのだろうか 北海道のこと その2

2024年06月05日 | SR400 RH16J(2019)シータ


どんな走り方が好きなのか、と問われれば

ただただ黙々と距離を稼ぐような走り方だろうか

若いころから健診結果の数字が悪くて医者からあれはダメこれは控えて

と云われるうちにすっかり食べることに興味を失い

いまでは土地の名物もインスタの映え飯にもちっとも食指が動かない

美しい景色とかすごい景色とかの類いも

片っ端から名所を回るうちにすぐにトキメかなくなっていった



だからボクにとってツーリングは普段の散歩走りとあまり変わりがない

けれど散歩していてもとても楽しく満足できるので

本当は遠くまで行ったり泊りがけで走ったりしなくても

いいと云えばいい



なのに北海道を走ることは特別だと感じるのだ

それを説明しようと自分自身の頭の中を分析してみたけど

どうにも答えらしいものは見つからない

見つからないのに特別だという感覚は

いったい何に、はたまた何処に、起因しているのだろうか



ツーリングに出た時、必ず決めているのは

旨いものを喰う事でも道の駅に寄る事でもなく

または温泉につかったり城を巡ったりすることでもない

ただ1日1回はオートバイを降りてのんびりすることだ

単にそれだけ

場所は・・・どこでもいいだろう

時間もいつだっていい

ただ心に響いた時と場所で、ただただオートバイを停める

もちろん逆に名所だからとか観光スポットだからと云って

わざわざ避けたりすることもない

富士山の見られる海岸だって停めてぼんやりすることはある



この写真の場所は浦幌町の道道1038号線

後で地図で見たが「オタフンベ海岸」という浜らしい

オートバイを停めた場所の陸側には小高い丘があり

オタフンベチャシと呼ばれるアイヌの砦があったのだそうだ

鎌倉時代頃というから1000年位前だ

写真の背面側へ辿ると襟裳岬へつながる長い馬の背状の海岸線が遥か彼方へ伸びている

オタフンベとはアイヌの言葉で「砂ークジラ」の意

砂を集めて打ち上げられたクジラを模した故事による地名のようだ

敵を謀るために打ち上げられたクジラをまねて砂をかたどり、そこに兵を忍ばせた

食料不足の敵は打ち上げられたクジラと信じ武器も持たずに駆け付けたところを一網打尽にされた



見渡す限りの太平洋とそこから繰り返し止めどなく打ち寄せる波

浜には少し冷たい風

アイヌの男たちの壮絶な戦い

空はその日も青かったのかな、なんてふと考える



ここは国道273号線 糠平国道

糠平温泉の手前の旧国鉄士幌線音更第3橋梁跡の写真だ

鉄橋ではなく素材にコンクリートを用いたのは

砂利が現地調達できたことによる費用低減と

国立公園内の景観に調和するデザインをという意図がある

いちばん大きなアーチは32mもあり

全橋長は71mにも達する立派な橋だ

この橋梁の成功により日本各地でアーチ橋が作られるきっかけになったり

建設資料が詳細に残されていることなどから学術的な価値も非常に高いのだそうだ

竣工は1936年

この後行った「タウシュベツ川の橋梁跡」は1937年竣工

あちらは11連アーチの全長130メートルだ



それにしても近代国家の交通インフラに対する熱意は激アツだ

悲しいかな今ではクマとシカとキツネの住処に成り下がった

人の気配など微塵もない

ただ森を切り裂く国道を時折猛スピードでクルマが走り抜けるだけだ



この日は冷たい冷たい雨が降る最悪のコンディションだった

クマ出没注意の看板にビビりながらも

森と巨大なアーチ橋とシカの群れが不思議なコントラストだった

カッパを着こみヘルメットをかぶったまま

アーチ橋が見渡せる橋の上にしばらく佇んでいた

1987年に士幌線は全線が廃止

それからすでに37年がたつ

この先の幌加にも終点の十勝三股にもすでに町は無く

コンビニなど云うまでもないがあっても良さそうなガソリンスタンドもない

そしてクマやシカにまで普及すれば別だが

モバイルの電波もここにはない



ここは夕張

炭鉱の町だった

北九州と並んで日本の近代を支えた化石燃料「石炭」の産地

今ではもう国内の炭鉱は釧路に1か所だけだが

最盛期にはここだけで年間500万トンを採掘していた

その当時、夕張には16万人が暮らしていたのだ(現在の夕張市は8600人)

今は建物もほとんどなくなって

山の斜面や谷筋の平地がすべて草木に覆われてしまっているが

かつての賑わいがいかほどであったかは容易に想像が出来る

ここに健さんの映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地が残っている

撮影当時からあった理容店が喫茶店になり管理棟として残る

相手をしてくれた施設の人が丁寧に当時の状況を教えてくれた

平らになっているところにはすべて住居があった

「みんな何処に行ってしまったんでしょうかね?」

とひとりごとのように呟いたボクのつまらない問いかけに

彼女は遠くを見たまま乾いた笑いを返してくれた



これがボクのツーリングのひとコマなのだ

けれどやはりここには

北海道が特別だと感じるモノの姿は見えない

いったい全体何なんだろうねェ・・・

ますますわからない