ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

クラッチレバーの角度を調整したことないヤツなんて信用できねェ

2024年09月29日 | SR400 RH16J(2019)シータ


「暑さ寒さも彼岸まで」

むかしから言い慣わされたたくさんの言葉の中でも

群を抜く納得感がある

彼岸花の開花の正確さ精密さも手伝って

彼岸に暑さがスーッと引くと

毎年のことながら変に感動してしまうほど腑に落ちてくる

現にこれを書いている彼岸明けの今日は

日差しこそ少し強いが

湿度が低く丁度良い気温の過ごしやすさだし

夜になれば寝室の空気もひんやりとして

布団をしっかりとかぶって寝られる幸せな日々が戻った



夏の終わりに

富山県の有峰湖へ行ってみようと考えていたが

行き場を失って西日本を彷徨う「来る来る詐欺」台風にタイミングを失くし

まあ、まだまだ暑さも真夏並みの日々が続いていたので

もう少し涼しくなったら行えばいいだけのことかと

何となくこの彼岸すぎくらいかな、と感じていた

けれどその後の秋雨前線の南下と崩れた台風の残骸が重なり

信じがたい災害が能登の震災被災地を中心に発生した

ニュースを見るのも苦しいような現場の様子に

とても呑気に有峰湖に出掛けていく気にもならないのが今の気持ちだ



そうしたところへ追い打ちをかけるように

自分の身体にも異常が生じた

ここ数年なかなか治らない中耳炎

先週風呂で耳の裏側を指先で洗っている時左耳に激痛が走った

思わず声が出てそのあと悶絶するほどの痛みで

同時に耳の中で泡が弾けるときのような音が続いた

しばらくして痛みは少し落ち着いたけど

なんだか耳の中の炎症がまた出たのかなと少し不安を感じた

そうしたらこの週末の夜からひどい耳垂れがあって

耳が詰まったような閉塞感とすごい音量の耳鳴りが始まった

「また再発したなー」

週末で医者は休診だったので都合様子を見ることにしたが

耳垂れはひどくなる一方だし

夜になると(アホだからこんな状態でも晩酌するせいだと思うが)熱が出て

顔の左側全体がぼんやりとしていた

今回はまだあまりひどくないのだろうけど

完治するまでに早くても2週間はかかるだろう

ということで「有峰湖」行はまた来年ということになりそうだ

来年生きている保証もない年齢なのにね



丁度いいので夏の間に疎かになっていた

オートバイたちのメンテナンスに精を出すことにした

クロ介のオイルとフィルターを交換してやり

洗剤を使って下回りを丁寧に洗ってやった

レバーやペダルに注油してやったり

スロットルの作動部のグリスを塗り替えてやったり

エアクリーナーのフィルターを交換したり

まあクロ介はそんなところだ

おかめ(エンジンフロントカバー)の下側のオイル漏れは相変わらず

まだしばらく問題なさそうだ

(オイル漏れてるのに問題なくはないのだけれどね)



SR400のほうはメッキが多くてすべてが剥き出しなので

濡れた路面を走るととても汚くなったように感じるが

メッキも塗装もしっかりとしていて

案外サビには強いなと感じている

とはいえ泥まみれの埃だらけはこの娘には似合わない

出来るだけいつもきれいな姿にしておいてやりたいと

自然にそう思わせるオートバイで

いつも掃除に力が入るおっさんなのだ

それと丁寧に各部を掃除すると

何となくおかしな箇所や怪しい箇所が見つかる

特に中古車はオリジナルの姿を知らないから

何が正しいのかが正直わからなかったりする

そんな中古車のSR

右のコーナリング中にどこかを接地させてしまうことが多々あって

ステップのセンサーよりも先に

車体が起き上がるくらいガツッどこかが当たっている

そうしたら今回の掃除中にマフラーのジョイントの取り付け金具に違和感を感じた

 

締めこみ部が外に向いているのだ

よく見ると角が削られている

「な訳ねーじゃん」ということで

クルッと内側へ回しておいた

多分正解、デフォルト状態

だから入念な掃除はメンテナンスの基本と云われるのだ

 

SRは古い設計のオートバイなので

レバーの接合部にはしっかりとゴムのカバーが付いていて

こいつのおかげでワイヤーの痛みがかなり抑えられている

スーパーカブのチェーンカバーもカッコ悪くて外したりしちゃうけど

あれを付けておくと本当にチェーンがいつまでもキレイなままだ

雨を走ってもオイルが切れることもなく

砂や泥もつかなくて摩耗もしにくい

いい材料の質のいい部品が使われ

車体のメッキや塗装もしっかりしていて

さらにこういった機能パーツが備わっているのは以前では普通のことだった気がする

クロ介の塗装もしっかりしていて

古いBMWって本当に錆びない

タンクやボディ外装の塗装もレベルが違うと感じる

同じ時代のプラ外装を持つ国産車はどれも色褪せや塗装剥がれが当たり前だが

クロ介は雨が降ると(湿度が上がると)表面のクリア塗装が曇る程度で

乾けばそれもキレイに戻ってしまう

製造者も自分たちのプロダクトが

何十年も長く使われていくことを願ってはいるのだろうが

実際自分が作ったオートバイが50年後に走っているとは

あまり想像してはいないんじゃあないだろうか

けれどコストをかけてもしっかりとした材料を使い

確かな信念に基づいてモノづくりをすれば

おのずと出来上がった製品には魂が宿るのだ

洗車の時ウエスでタンクのラインをなぞったり

エンジンフィンのひとつひとつを磨いたりしていると

なぜだかうっとりとしてしまうような幸福感に包まれる

良いモノとはそういうモノなんだろう



前回の記事で

次世代にオートバイが正しく伝わっていない等々書いてみたが

変速操作の仕方すらわかっていない(伝えられていない)ように改めて感じた

「インプレッションを」とか云いながらシフトアップもきちんとできないモトブロガー

大袈裟に云うと

「バーーーーッ、ガッ、クーーーーーーン」

クラッチを切っちゃってることと

変速タイミングがデタラメ

タイミングがデタラメだからギクシャクするのを誤魔化しているのか

いやクラッチを切ってタイミング合わせようとしているのか

クランクが回って、それが加速して行く時

トランスミッションがどんな力を受けているか感じていれば

シフトアップするタイミングは自ずと決まってくる

クランクが回転を上げていく勢いを少し抜くだけ

(スロットルをわずかに戻す、本当に僅かでいい)でギアは容易に動く

クラッチはそれを少し補助するだけで足りるので

指の第1関節がクイッと瞬間的に動くだけ

動くというか、「ピクッ」みたいな一瞬の腱の収縮

ライテク記事では常に語られることなのにこれが伝わっていない

それはエンジンを感じていないからなのか

エンジンの回転をコントロールする意識に欠けているのか

いずれにしろゲームのコントローラーでスイッチを押すような感覚にみえる

クイックシフターもいいだろう

ホンダのE-CLUTCH、ヤマハのY-AMTもどうぞどうぞ

でも人間にもできるよ、シフト操作くらい

仕組みを理解してオートバイから伝わる挙動を感覚で受け止め

指と爪先を精密に動かすのだ

オートバイとはそういう乗り物なのだ

何度も云うけど便利なモビリティなんかじゃない

乗ることを操縦することを楽しみ味わう趣味の対象だ



ちなみにこのクラッチ操作シフト操作を身に付けるには

クラッチレバーの角度とあそび、そしてシフトペダルの高さを

自分の身体と操作方法にマッチングさせる必要がある

特にレバーの角度は重要で乗りながら少しずつ微調整する必要がある



レバーの調整、してますか?

してない?

そいつぁ信用できねぇな―


ガソリン臭くて音がいっぱいでるオートバイはもう作れません、だけれども

2024年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム


日本自動車工業会がまとめた2023年二輪車市場動向調査によると

新車購入者の実に89.5パーセントが40代以上だった

50代から上に絞ってもなんと73.2パーセントをも占め

オートバイはもはや老人の趣味と云ってもよいと思われる状況だ

実際に乗っている人はどうなんだろう

たぶん同じような傾向なんだろう

ヘルメット脱ぐと禿アタマなんてのによく出くわすし

事故の記事でもライダーが50代というのをよく目にする

オートバイはむかしは若者の乗り物なんて云われていたし

速くてスポーティーなモデルの人気があった

馬力がいくつだとか

気筒数がとかDOHCエンジンだとか

0-400なんて気にする人も多かった

ずばりスペックがそのまま性能を表していた時代だった



それから何十年も経った今

工業製品の進化は行きつくところまで行ってしまって

スペックだけでは他社との差別化が出来なくなっている

どの製品が優れているのか分からないとも云えるし

どれも優れているから各自の嗜好によって選択できるようにもなったわけだ

しかしその結果

単に売れるということが性能になってしまったようにも見える

モーターサイクルショーに行くと各ブースの混み具合で人気がわかるが

近頃のホンダブースの人気はすさまじくて

天邪鬼なジジイは「そんなにいいか?」と近寄りもせずに帰ってくるくらいだ

ライダーのニーズはホンダにあるのだろう

けどね

オートバイは趣味の乗り物ですよ

マジョリティって必要なんですかね

それはメーカーは営利企業なので売れることはトッププライオリティでしょう

だからといってホンダのオートバイが良いとはならないのが趣味の世界のはず



モーターサイクルショー

いろんなモデルに跨ってみたけどポジションも楽なものが多かったように感じる

その辺りは流行りもあるのだろうが

購入者の年齢的なことも理由にあるのだろう

でも外見だけは派手な方が好まれるようで(というかカネが獲れる)

押し出しの強いデザインが主流だ

タイヤも太すぎる

カッコいいけどね

あと、ケツがシャチホコみたいになってるとか

逆にケツをごっそり取っ払ったボバースタイルとか

デザインバランス崩れる程長いスイングアームとか

妙なものが流行る

でもね

いちばん気味が悪いのは「ヘリテージモデル」かな

購入者の大多数を老人に占められてる以上当然の帰結なのだろう

「売れそう」なのだ



ハーレーダビッドソンには古くからヘリテイジと名付けられたモデルがあったが

復刻というより継続に近い本来の意味を持っていた

ヤマハのSRなんかに近い

時代が変わっても絶対に変わらない魅力はある

まあ最近は老い先短いユーザーにおもねていると

売り上げが先細りするのは必至なので(なんせ売り上げ至上主義だから)

ハーレーダビットソンなんかはユーザーの若返りに必死だ

はっきりいって伝統ってだけではもう生き残れないと思っているのだろう

ヘリテイジの潮流はハーレーダビットソンから生まれて

BMWモトラッドのRnineTで完全に1ジャンルとなった

ピアッジオのグループではモトグッチが

インドではロイヤルエンフィールドが

そしてイギリスの栄光はトライアンフが

それぞれ昔の名前で出ています、まるで場末のクラブホステスのように

ヘリテイジとかネオレトロとかで括られるモデルの何たる不気味さ

それもこれも購入者のニーズの反映だということらしい

ニーズは性能か



資本主義経済とは大河の流れに似ている

低い方へより低い方へ

穿ちやすく浸食しやすい方へ

より多くの水源を集め巨大な流れを作る

その姿が果たして本当に求めていた姿なのか

当の本人にも分からないしそんなことはどうでも良いらしい

存続だけが目的なんだろう

ニーズの反映は資本主義では当たり前だが

それだけでは確実に魂を失くしていくように見える

アグスタの最新3気筒エンジンを載せたスーパーヴェローチェに目を奪われても

XSR900「GP」には失笑しか出ない

プライスタグはまあ半額以下なんだけどね



ボクのオートバイたちを面倒見てもらっているテックMCは不思議な空間で

店の前にスズキのGT750があったりピカピカのZ1300がいたりする

クラウザーのR100とかちょっと古いモトグッツィのカリフォルニア

愛知県の限定解除ジジィには馴染みのスズキGSX750Eもいる

こんな奴らが当たり前のように並んでいる

オートバイの本質と魅力は「機能」にあるべきとボクは思うが

スペック至上主義のこの時代のオートバイたちも

実は相当に個性的な魅力を持っていたことに改めて気づかされる



自分のSR400で走っているとよく感じるが

いろいろな場面でSRが話しかけてくるのだ

もちろん言葉を発するわけじゃなく

ボクの五感をとおしてSRが伝わってくる

キツイ勾配でクランクに負荷がかかった時

ハイスピードでコーナリングする時

低い回転からスパッとスロットルを開いた時

様々な場面で様々な反応を返してくる

スロットルからシートからステップから

そんなオートバイが発する声に耳を澄まして

一体となって自在に操ることに没頭できるよろこび

オートバイは単なる移動の道具ではない

モビリティ?まさか

「キリン」

ポイントオブノーリターンのキリンがなぜ「カタナ」で空冷ポルシェに挑んだのか

それは恐怖と自信のアンビバレントの平衡に自身を置きたかったからだ

90年代の空冷デスモたちがクリッピングポイントへ切れ込みながらライダーを試す

それで操っているつもりなのか、と



XSR900は面白そうだけど

XSR900GPを見た時ほんとうに笑ってしまった

「そこまでして売り上げが欲しいのか」

感想はそれだけだ

エンジンが、とか操安が、とか何をどう云われても後付けにしか聞こえない

そしてそうやって稼ぎ出した利益は何を生み出すのだろうか

タイやインドのストリームを日本へ持ち込むストーリー作りにメーカーは一生懸命だ

所得水準がまだまだ低い国で安く作ったものしか日本で売れないのだ

日本人はあんなにカネを持っていながら給料が足らないとうそぶく

贅沢で自堕落な生活をしながら上ばかり見上げて足元を見ない

セレブたちのカネに寄生しているだけのプロダクトが羨ましくて仕方がない

幸せになれないのはカネがないからだと本気で思っているみたいだ

はっきりいってこんな連中が作り出すニーズなんてクソだ

燃料計、要らないね

ギアポジションインジケーター(長!)、カッコ悪い

ライディングモニター、クソが

インカムで楽しくおしゃべり、反吐が出る

スマホホルダー

ドライブレコーダー

USB端子

おえっ(吐きました)

楽しむなと云いたいのではない、むしろその逆で

オートバイはもっと楽しいんだよと伝えたい

豊田章男もかつて云っていた

「僕はね、ガソリン臭くてね、燃費が悪くてね、音がいっぱいでる、

野性味あふれるクルマが好きなんです」

クルマもオートバイも原点はそこに在るべきだと思う

メーカーはレガシィーとかヘリテイジとかアイコンとか持ち出す前に

オートバイを主張するべきではないのか

それでは売れる前に会社が潰れてしまう?

趣味の世界のファンタジーを提供する会社の云う事じゃない

原付が飛ぶように売れた頃と比べても仕方ないが

主婦層までターゲットにするクルマとは違うのだ

自転車を積みたい、みたいなニーズはないのだよ

それでもマツダにはできたのだからきっと不可能ではない筈だ

着せ替えしてまで利益を獲りに行きたいなんてすでに終わっている



そもそもカネで買えるモノの価値なんて買った瞬間にゼロだ

なぜならそれは消費することですべてが完結するからだ

マスプロダクトのプレミアムって何?

今はまったくつまらないカワサキなんだけど

これまでのカワサキの市場戦略はいつも新鮮だった

ゼファー、ニンジャ250

やりすぎたと思っている時にそんな風を吹かせてきた

そしてそれはいつも「原点回帰」の提案で

オートバイの場合、そんなモノづくりの方が支持されるべきだと思う

懐古趣味ではなく原点

ただボクたちむかしライダーにも少し責任はある

ネットを見ると用語すら出鱈目になりつつある

エンジン始動することを「エンジンをつける」と云ってみたり

単なるアイドリングを「暖気」と云ってみたり

ユーチューブには素人のしかもキャリアも浅い乗り手による

インプレッションや比較動画があふれ

「やっぱりホンダを買うのが無難」という論調が目につく(カネもらってるのか)

そんなクソメディアの影響力は強い

メーカーとがっちり手を組んでいるのか

オートバイが売れないと困るというような表現が多い

そもそもオートバイそのものでなく

移動していった後の楽しみを訴えてばかりだ

そしてその背後には間違いなく利益をむさぼろうとする輩が潜む

つまりボクら年寄りが正しくオートバイを伝えられてこられなかったのだろう

メーカーも減少し続ける販売台数に苦しみ

安易にマーケティングに頼りすぎ

売れるモノが良いモノいう方程式になっていないか

ハンターカブもレブル250も(ついでに女子も)見かけないテックMCの店頭

(いやもちろん店の大将はそこにこだわってるわけじゃないとは思うけどね)

なんだかボクには居心地がいいと感じる

ガラガラと引き戸を開けて店に入ると

ガソリン臭が鼻をくすぐり

「こんちわ」と人懐こい笑顔で大将が迎えてくれる

これを時代遅れの懐古趣味と一蹴するのは簡単だろうが

工業製品が進化し続けるなどという

もはや神話のような考え方もどうかと思う

あのころも実はスペックが性能ではなかったのだ

オートバイの持つ魅力を正しく残していってもらいたと

老いぼれは禿げたアタマを掻いているのだ