晴耕雨読
ならぬ
晴走雨読の日々だ
というか、意外に朝起きてみると為すべきことが多くて
オートバイにのんびり乗ってなどいられないのはなぜか?
スカッと晴れて、清々しい空気
こんちくしょう、走ってやる
くらいの感覚で走り出さないと、仕事もないのに日常に埋もれていってしまう
今日は「水溜まり」へいく
雨山というプリミティブな名の地区にある
雨山ダムだ
ダムはしっかりとした規模があるけど
そこにできた「三和湖(みつわこ)」と名付けられた水溜まりは
こじんまりとして、箱庭みたいな雰囲気
実はとても好きな場所だ
久しぶりに来てみたら
昨今のブームとやらの影響か
スペースへの入口はどこも施錠されて
火を焚くな、の一点張りだ
ぐるっと回ってみたけど、どこへも入れないので仕方なくダム下の園地へ
ここだけなぜか開いていた
(多分、メンテ作業のためだと思う)
サクラの木陰でチェアリング
洪水吐からゆるく流れ落ちる水を眺めて風に吹かれる
「男はつらいよ」の車寅次郎が毎回エンディングで、柴又とらやに寄せる手紙
「思い起こせば恥ずかしきことの数々」
「今はただ、後悔と反省の日々を過ごしております」
一人でぼんやり考え事をしていると
取り返しのつかない色々が蘇ってきて暗澹たる気分になることがある
寅次郎と同じ気分だ
後悔は大抵の場合
理性を欠いた行動や判断の結果であることが多いか
理性?
理性とはなんだ?
正義感、倫理観、
だからか
理性を捨てようとすると
良心を咎められ
罪悪感に苛まれる
何度も後悔し
何度も反省するのに
ボクにはどうやらこの理性が無いような感じだ
ただただ後悔し、反省するばかり
長く生きてくるとそういった事が澱(おり)の様に心の奥に沈殿して
こうやって時折、意識の上に現れてはボクを責める
過ぎたことは取り返しがつかないから忘れてしまえ、とか
いい加減自分を許してやれ、とか
そういうのはボクにはもう無理だ
許されないし
許してもらえないし
そもそも、ボクがボクを決して許しはしないのだ
もういい歳だから、自分が死ぬことを考えることがあるけど
死んで、あの世で父や母に会うことが楽しみだ、と考えるようになった
父は37で死に
母は64で死んだ
ボクはもう父よりずいぶん年上になってしまったけど
あの世では父は年下なんだろうか?
ていうか、父や母に会ったらボクは必然的に子供なのかな
あの世では何歳になって生きるのだろうか
希望が出せるなら、何歳がいいかな
というか
今、叶うなら何歳に戻ってみたいですか?
もう一度やり直せるなら何歳になりたいですか?
ボクは多分、今と同じ歳でいいな
さっき言ったとおり、ここまで後悔と反省を感じるような日々だった
今は、本当に自分の思うように生きられている
理性は多分今もないんだけど
理性を働かさなくても生きていられる
この頃はそんな日々だ
これを自然体と呼ぶのか
何も持っていないけど
青空を見たり
雨の音を聴いたり
ツバメが来たと喜んだり
きれいな月に思わず見とれたり
それだけで幸せだ
あらゆる「欲」に手を伸ばすより
握りしめた自分の拳の中の「もの」を信じるべきではないかい?
ならぬ
晴走雨読の日々だ
というか、意外に朝起きてみると為すべきことが多くて
オートバイにのんびり乗ってなどいられないのはなぜか?
スカッと晴れて、清々しい空気
こんちくしょう、走ってやる
くらいの感覚で走り出さないと、仕事もないのに日常に埋もれていってしまう
今日は「水溜まり」へいく
雨山というプリミティブな名の地区にある
雨山ダムだ
ダムはしっかりとした規模があるけど
そこにできた「三和湖(みつわこ)」と名付けられた水溜まりは
こじんまりとして、箱庭みたいな雰囲気
実はとても好きな場所だ
久しぶりに来てみたら
昨今のブームとやらの影響か
スペースへの入口はどこも施錠されて
火を焚くな、の一点張りだ
ぐるっと回ってみたけど、どこへも入れないので仕方なくダム下の園地へ
ここだけなぜか開いていた
(多分、メンテ作業のためだと思う)
サクラの木陰でチェアリング
洪水吐からゆるく流れ落ちる水を眺めて風に吹かれる
「男はつらいよ」の車寅次郎が毎回エンディングで、柴又とらやに寄せる手紙
「思い起こせば恥ずかしきことの数々」
「今はただ、後悔と反省の日々を過ごしております」
一人でぼんやり考え事をしていると
取り返しのつかない色々が蘇ってきて暗澹たる気分になることがある
寅次郎と同じ気分だ
後悔は大抵の場合
理性を欠いた行動や判断の結果であることが多いか
理性?
理性とはなんだ?
正義感、倫理観、
だからか
理性を捨てようとすると
良心を咎められ
罪悪感に苛まれる
何度も後悔し
何度も反省するのに
ボクにはどうやらこの理性が無いような感じだ
ただただ後悔し、反省するばかり
長く生きてくるとそういった事が澱(おり)の様に心の奥に沈殿して
こうやって時折、意識の上に現れてはボクを責める
過ぎたことは取り返しがつかないから忘れてしまえ、とか
いい加減自分を許してやれ、とか
そういうのはボクにはもう無理だ
許されないし
許してもらえないし
そもそも、ボクがボクを決して許しはしないのだ
もういい歳だから、自分が死ぬことを考えることがあるけど
死んで、あの世で父や母に会うことが楽しみだ、と考えるようになった
父は37で死に
母は64で死んだ
ボクはもう父よりずいぶん年上になってしまったけど
あの世では父は年下なんだろうか?
ていうか、父や母に会ったらボクは必然的に子供なのかな
あの世では何歳になって生きるのだろうか
希望が出せるなら、何歳がいいかな
というか
今、叶うなら何歳に戻ってみたいですか?
もう一度やり直せるなら何歳になりたいですか?
ボクは多分、今と同じ歳でいいな
さっき言ったとおり、ここまで後悔と反省を感じるような日々だった
今は、本当に自分の思うように生きられている
理性は多分今もないんだけど
理性を働かさなくても生きていられる
この頃はそんな日々だ
これを自然体と呼ぶのか
何も持っていないけど
青空を見たり
雨の音を聴いたり
ツバメが来たと喜んだり
きれいな月に思わず見とれたり
それだけで幸せだ
あらゆる「欲」に手を伸ばすより
握りしめた自分の拳の中の「もの」を信じるべきではないかい?