ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

叶うのならいくつの頃に戻りたいですか?  「三和湖」愛知県岡崎市

2022年05月27日 | 水溜まり探訪
晴耕雨読

ならぬ

晴走雨読の日々だ

というか、意外に朝起きてみると為すべきことが多くて

オートバイにのんびり乗ってなどいられないのはなぜか?

スカッと晴れて、清々しい空気

こんちくしょう、走ってやる

くらいの感覚で走り出さないと、仕事もないのに日常に埋もれていってしまう



今日は「水溜まり」へいく

雨山というプリミティブな名の地区にある

雨山ダムだ

ダムはしっかりとした規模があるけど

そこにできた「三和湖(みつわこ)」と名付けられた水溜まりは

こじんまりとして、箱庭みたいな雰囲気

実はとても好きな場所だ





久しぶりに来てみたら

昨今のブームとやらの影響か

スペースへの入口はどこも施錠されて

火を焚くな、の一点張りだ

ぐるっと回ってみたけど、どこへも入れないので仕方なくダム下の園地へ

ここだけなぜか開いていた

(多分、メンテ作業のためだと思う)

サクラの木陰でチェアリング

洪水吐からゆるく流れ落ちる水を眺めて風に吹かれる





「男はつらいよ」の車寅次郎が毎回エンディングで、柴又とらやに寄せる手紙

「思い起こせば恥ずかしきことの数々」

「今はただ、後悔と反省の日々を過ごしております」

一人でぼんやり考え事をしていると

取り返しのつかない色々が蘇ってきて暗澹たる気分になることがある

寅次郎と同じ気分だ



後悔は大抵の場合

理性を欠いた行動や判断の結果であることが多いか

理性?

理性とはなんだ?

正義感、倫理観、

だからか

理性を捨てようとすると

良心を咎められ

罪悪感に苛まれる

何度も後悔し

何度も反省するのに

ボクにはどうやらこの理性が無いような感じだ

ただただ後悔し、反省するばかり

長く生きてくるとそういった事が澱(おり)の様に心の奥に沈殿して

こうやって時折、意識の上に現れてはボクを責める

過ぎたことは取り返しがつかないから忘れてしまえ、とか

いい加減自分を許してやれ、とか

そういうのはボクにはもう無理だ

許されないし

許してもらえないし

そもそも、ボクがボクを決して許しはしないのだ



もういい歳だから、自分が死ぬことを考えることがあるけど

死んで、あの世で父や母に会うことが楽しみだ、と考えるようになった

父は37で死に

母は64で死んだ

ボクはもう父よりずいぶん年上になってしまったけど

あの世では父は年下なんだろうか?

ていうか、父や母に会ったらボクは必然的に子供なのかな

あの世では何歳になって生きるのだろうか

希望が出せるなら、何歳がいいかな

というか

今、叶うなら何歳に戻ってみたいですか?

もう一度やり直せるなら何歳になりたいですか?

ボクは多分、今と同じ歳でいいな

さっき言ったとおり、ここまで後悔と反省を感じるような日々だった

今は、本当に自分の思うように生きられている

理性は多分今もないんだけど

理性を働かさなくても生きていられる

この頃はそんな日々だ

これを自然体と呼ぶのか

何も持っていないけど

青空を見たり

雨の音を聴いたり

ツバメが来たと喜んだり

きれいな月に思わず見とれたり

それだけで幸せだ

あらゆる「欲」に手を伸ばすより

握りしめた自分の拳の中の「もの」を信じるべきではないかい?

生命は動き始め留まることを知らず

2022年05月20日 | R100Trad (1990) クロ介
5月の連休が明けて

世間は日常に帰って行った

やっと空いた道路へもぞもぞと走り出す



真っ青な五月晴れの空

水を張った田圃

もくもくと日々成長する山の木々

DNAレベルで身体が歓喜の声を上げている



日常の中で野ウサギにあったことあります?

岡崎市の東部丘陵地帯は市街化調整区域だけど

都市計画区域ともいわれて主に緑化事業が進められている

ようは田舎

でも、このウサギに出会った小径は近くの藤川緑地につながっているので

自然環境保全が進んでいるのかもしれない

それにしても

もう初夏だな





ウツギも花を咲かせ

麦の穂もそろそろ色づき始めている



結局、いつもの「涼風」

サクラの木と柿の木が交互に植えられているいつもの場所

葉が十分茂って木陰が出来た

気温はちょうどよいけど

日差しは案外強い

木陰の下に入れてもらう



よく見るとサクラの木にはかわいいサクランボが





柿の葉の間にはびっしりと花のつぼみ



動き始めた生命は留まることなく変化していく

この儚さを含んだ力強さ

生命が愛おしいのは正にこのアンビバレント



ただし、生命を儚いと感じるのはひとの悪い癖だ

やがて消え行くわが身に重ねて

そう感じているにすぎないのだ

「散ることを知りながら、咲くことを恐れない」

という言葉があるけど

サクラは散ることは知らずに咲いている

ひとの悲しさは、自分の行く末に気付いてしまう悲しさ

けれど

この自然の生き物たちが生命の美しさを教えてくれる

ひとも含めて、生命は奇跡だ

たとえ消え行くとも

この美しさには何もかなわない

840d vs ロートルBMW

2022年05月05日 | R100Trad (1990) クロ介
深くリーンしながらランプウェイを旋回し

3速のまま引っ張って新東名本線に合流した

ミラーで追い越し車線後続のBMWを確認してやり過ごし

車線変更してその後ろに張り付いた

濃いブルーのBMW

バックシャン!



完璧なクーペボディの840dだった

僕を追い越した時すでに加速していたが

その後もどんどん加速していく

4速のままフラットツインに鞭を入れて引っ張るが

到底追いつけない

久しぶりにいいもの拝ませてもらった

後で調べたら直6の3リッターディーゼルの840

2000rpmで70に迫るトルクをひねり出す

ドライバーも躊躇なく踏み込む輩のようで

フロントを拝みたくてもそれを許してくれない

左レーンが開いたので車線変更して横に並んでボディラインを拝見

ため息が出るほど美しい

BMWの美しさって押し出しが強い度ギツイやつだ

品なんてない

俺を誰だと思ってやがるんだ、っていう強い美しさだ

20インチのホイールに30の超扁平タイヤ

デザインスケッチそのままのシルエット

1000万円超のプライスタグにふさわしいクルマだ


結局、840dのフロントは拝めず高速を下りた

連休中のゆるい流れに乗って山へ入っていく

途中知人の秘密倉庫があるので寄ってみようと足を向けたが

あいにく不在だった

あてもなくなりいつものように山をさまよう





山は木々が盛んに芽吹き

新緑が美しい季節だ



トンネルの手前のスペースに入り込んで椅子を広げる

新緑チェアリングだ



新段戸トンネルは直線で1403mもある

うるさいオートバイが入ると阿保みたいな音がしばらく響き続ける

いやー、オートバイってうるさいよね

自分も乗ってるだけに、意味わからんこと言うとるな、とは思うけど

できるだけ静かに走ろうよ

民家の周辺では回転を落としてスピードも抑える

「直管は命を救う」とかいうポイントのずれた輩が言うけど

自己満足で他人に迷惑かけるのは止めたいでしょ



コーヒー飲みながら、

通り過ぎていくオートバイを眺めてると

女の人が多いことに気付く

ハンターとかクロスのカブだったり

エストレヤとかレブルだったり

気を付けて、と祈るばかりだ

彼女たちがオートバイにたどり着いたのはどんなきっかけだったのだろう

気持ちよさそうとか、かっこよさそうとか、か

でも、きっとオートバイは彼女たちにとって

「道具」で終わるんじゃないのかなと勝手に思う

で、「道具」としてのオートバイはあまりにも不便で不完全で

彼女たちの気持ちをつなぎ留めておくには弱いものだと思う

冬を超えるたびにひとりまたひとりと、オートバイを手放していく


オートバイに長く乗り続けるためには

オートバイそのものに興味を持たないと続かないと思う

キャンプやアウトドアならクルマのほうが断然いいし

狭い道や山奥に分け入るのだって軽自動車は得意だ

移動や遊びの道具ならクルマがある

わざわざインカム付けて会話したり、音楽聞いたり

クルマならインカムすら必要ない



オートバイに、

愛せるオートバイに出会って

長く乗り続けていってほしいと思う

オートバイに乗るのは特別な体験だし

オートバイのある人生はとても楽しかったから

それともうひとつ

愛せるクルマって大抵めちゃくちゃ高い

オートバイなんて高いっていったってせいぜい300万

BMW 840dは愛せるクルマだと思うけど

1300万円はするからね



(経済的にも840dに僕は太刀打ちできない、でも愛は金で買えないことも僕は知っている)