春爛漫、どこもかしこも満開のサクラだね
「散ることを知りながら、咲くことを恐れない」などと
とかくサクラはその散り際の見事さから
「いさぎよさ」の象徴のように語られることが多いように思うけど、
ボク自身は、案外そんな風には感じていないような気がする。
「ひさかたの 光のどけき 春の日に しず心なく 花の散るらん」
かの紀 友則の歌が代表なのかもしれないけど、
サクラの歌には逆に心を乱すような歌が多いね。
時節柄なんだろうね、
この時期、開花し、やがて散りゆくサクラに、ボクは出会いと別れを連想させられる。
出会いの喜びは確かに人生の糧ではあるけど、ただの始まりでしかない。
逆に別れの喪失感は、ひとの心に決して無くせない深くて長い暗渠を作り上げるように思う。
やがて散りゆくサクラを思う時、
その暗渠の底を覗き込む恐怖と苦痛をどこかに感じているのかもしれない。
もう誰も、何も失いたくはない、と強く思っても
別離は執拗にボクの背後をついて回るのだろう。
喧噪の中、大勢と見上げるサクラよりも、
里山に咲く名も無きサクラをひとり眺め、
別れ来し人たちのことに思いを馳せる。
古も、今も、そしてボク達が灰になった後も、
それぞれの胸に、それぞれのサクラが花を咲かせていくのだろう。
そんな深い思いや情念を引き受けて、
なお凛と咲き続けるサクラは、途方もなく美しいと、ボクは思う。
この週末は好天に恵まれて、
東名を走って行って、静岡でも神奈川でもサクラがきれいそうな所で降りてやろうと
勢い込んで走り出したのだけれど、
愛知と静岡の県境辺りですでにすごい山桜に出会ってしまって
音羽蒲郡から乗ったのに、なんと三ケ日でもう降りちまった。
地図も無いのにカンで走って
国道301号線の「宇利峠」で、高速から見た風景に出合えたよ。
一番最初の写真がそこなんだけど、
大袈裟じゃなく、吉野の山を見るようだったよ。
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