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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

デリケートなこと。

2018年04月28日 17時31分06秒 | 差別と偏見
昭和50年代。
私は消費者金融会社に就職した当時の頃でした。
お客様に融資するにあたり社内での貸付規定がありました。
勤務年数や持ち家かどうか。収入など年齢や家族構成も検討しながら支店長が融資可否や融資金額を決裁するわけです。
その貸付規定の中で日本国籍を有しない者は貸付不可とありました。
当時の事です。
何故?貸付不可なのか。新入社員の私は支店長に質問したのです。
すると支店長は
『外国人は住民票がないねん。だから転居されると次の転居先がわからへん。日本人は住民票があって戸籍もあるから追跡調査や親族が判明するやろ?借りた本人が行方知れずになったとしても親や兄弟、親族に連絡すると居場所が分かったり場合によっては代わって払ってくれるからな。外国人は、それが出来へんからリスクが高い。そやから貸付不可なんや。別に差別して貸さないわけと違うで。』と説明してくれたのです。
昭和58年春の頃です。今のように貸金行法などない時代です。
ま、正直、なんでもありの時代でしたが。
私の上司であった当時の支店長は常識人でしたね。(^。^)
私が配属された支店は少し行くと鶴橋でしたので韓国や朝鮮国籍の方々の多いエリアでした。
『ここはY君も知っての通り外国人が多い地域やからお客様からの問い合わせ電話や新規ご来店で外国人の方も来られるから十分に配慮して窓口で応対せなあかんよ。』
凄くデリケートなことです。
少し言葉を間違えたら大変。
私も気をつけて対応したのですが。
トラブルが起きてしまったのです。
ある日、支店に新規融資の申し込みで男性が来店されました。
私はご本人確認書類の提示をお願いすると国民健康保険証一点だけ出されたのです。
お客様からお預かりしバックヤードへと。
バックヤードには支店長が待機してました。
お預かりした国民健康保険を支店長に見せると
『お断りやな。』一言でした。
『え?何でですか?』そう尋ねたところ。
『国民健康保険には番号があるやろ?この番号で日本国籍か、そうでないかわかるんや。とにかく断りやな。直ぐお帰りさせたらあかんよ。審査しますって言ってバックヤードに戻っておいで。』
私は支店長の指示に従ってお客様へ審査すると伝えてバックヤードへと戻りました。『Y君、一応、情報センターに照会かけてみて。』
当時は電話でセンターに連絡をし名前と生年月日を伝えると、その方の借入状況や事故情報を教えてくれてたのです。
情報センターは、その後、端末に変わり、やがて銀行関連、信販関連、消費者金融関連が一本化されますが当時は、それぞれの業界のみしか顧客の債務状況は分からなかったのです。
私は電話で情報センターへ問い合わせすると?
その方の借入は全くありませんでした。
『支店長、借入ないですけど。どうやって断りますか?』
借入があれば、それを理由に断れたのですが無いのですから困ったのです。
『そやなぁ。もし?お客様から何で、あかんねん?って言われたら総合的判断です。と伝えとき。』
この時は軽い気持ちで私も支店長の指示通りしようとカウンターでお待たせしていたお客様のところへと戻り『申し訳ございません。ご融資は出来ません。』と伝えたところ。
『あー!?何でやー!俺は、どこも借りてへんぞー!どういうこっちゃ?』急に声を荒げるお客様。『はい。総合的判断です。』
すると男性のお客様は更に激昂。
『なんやとー?総合的判断だぁーー?どんな判断やねん!言うてみぃーー。』
困り果てた私をみかねたのかバックヤードに居た支店長がカウンターにやってきました。
『お客様、私が支店長のM田と申します。ご融資が出来ないのは、この者が申し上げた通り当社の基準で総合的に判断・・』支店長の言葉をさえぎるように男性は『何を、かしこまって言うてんじゃ!俺が日本とちゃうから断ってやろー?そうなら、そうと言わんかい!』
支店長は至って冷静に『そうでしたか。お客様は日本人ではないのですか。でも、それは違います。あくまでも当社の規定によるものです。』
『ほな、その規定を言えや!』
『社外秘ですので申し上げることは出来ません。総合的というのは当社はお客様の属性などを基にスコア式で行なっております。とだけお伝えさせていただきます。ご融資出来ないものは出来ません。』毅然と対応した支店長に対して少しずつ冷静さを取り戻していったお客様は
『俺は韓国人や。大手は、どこ行っても貸してくれへん。ある大手の消費者金融から、それを理由に断られた。たぶん、あんたんとこも、同じなんやろうと俺は思う。俺かて好き好んで韓国人として日本で生まれたわけやあらへん。こうやって普通に働いて月給もらってんねん。でも急にお金が要るときって日本人も韓国人もないやろ?な、店長さん。そう思わんか?』
支店長はあくまで冷静に。
『お客様のおっしゃることは分かります。私個人的には国籍でどうこう思うことはありません。しかし私も雇われの身分です。会社の方針には従うしかございません。また、お客様が韓国の方なのか、日本の方なのかご来店されて分かるわけでもありません。あくまでスコアに基づき支店長としての決裁範囲でない方にはご融資したくても出来ないのです。』
お客様は納得はされませんでしたが。
『別にあんたらが悪いわけとはちゃうのは分かってるで。借りられへんもん、しゃーないけど。そやけど。俺の気持ちも察してくれや。』
お客様はお帰りされました。

本来、このような事は許されるべきではありません。お断りの理由は日本国籍でなかったのは事実だったのです。
私は、今でも当時の事は忘れようがありません。
そして
私の心に一本の針が刺さったまんま現在でも残っています。
この日、営業を終わってから。
『Y君、今日みたいな事、これから何度か経験するよ。心が痛むけどあくまでも仕事や。でも自分の中で絶対に差別心は持ったらあかんで。必ず、そんな心は見抜かれるから。』
この支店長の言葉は忘れていないつもりだったのに。
支店長は、人を差別や偏見で見ない方なのです。
人の学歴や出自、お金持ちとかビンボーとか
全く関係なく人としてしか見ない支店長でした。
『Y君、俺らの仕事自体が世間から差別や偏見で見られる事が多いねん。クレジットカード申し込みしてもサラ金ってだけで断られる。だから今日のお客様の気持ち、俺は凄くわかるねん。』
そう。
消費者金融の社員ってだけで
差別や偏見を私は、その後、何度も経験して行ったのです。

ちょっと変わった女の子との出会い(//∇//)穴兄弟が。

2018年04月28日 14時14分25秒 | わが半生
京阪香里園駅で私とKはIを待つ事に。(^^;;
当時の京阪香里園駅は今と違って人が多く行き来していました。
国道側に向かう商店街。パチンコ屋や紳士服のスリーMなんかもあり五分ほど歩くと角に立ち食いうどん屋(^^;;も。ここは手打ちウドンで麺も太く美味しかった。
やがてIが駅の改札に🚉。
『おー!久しぶりやな?』って感じ。
Gパン姿で少しロン毛で身長も180くらいあったかなあ。
そう思えばジャニーズのキスマイにいる玉森に似てます。(^^;;
Kもモテましたが、こいつもモテるだろうなぁと思いながら駅近くの喫茶店へと3人で行きました。

喫茶店で注文を終えるやいなや。
『おい。Yは麻美ちゃんとは、ヤッてないって言うてるぞ。』KがいきなりIに言うと『え?そうなんか?お前、ヤッテないん?』驚いた表情のIに『ヤッテへんわー!お前は、やったんやて?Kから聞いたけど。』
『おー。やったよ。ドライブに連れてってくれって言われてな。それで帰りに淀川の堤防に行ってん。』は?淀川の堤防??私はIに『お前、淀川の堤防に行ったん?浜屋の仏壇の・・』
するとIが『そうや。そこの仏壇屋の少し行ったとこにな。麻美ちゃんが、そこ行こうって。言うから。ほんでなぁ。ビックリやで。堤防でクルマ止めて少し話してたら、いきなり服を脱ぎよってん。えーー?って思ったけどな。据え膳食わぬは男の恥って言うやん?』
テンションは上げ上げで話し始めるIをよそに私は心の中で『え?いきなり服を脱ぐか?普通?何でやろ?』と思い話を聞いていると。
『麻美ちゃん、ムッチャ、ええ乳してるやん?お前、見た?ほんで触った?』Iはおちゃらけながら聞いてきたのです。
『いや、暗かったから、よくは見えへんかったけど胸は大きかったで。そやけど、お前は見たって真っ暗やったやろ?』というと『麻美ちゃんが室内灯付けていいって言うから付けたら、まぁ形のええ乳で乳輪もほどよくピンク色(//∇//)』
調子に乗りながら話すIに段々と腹が立ってくる自分がいましたが、気持ちを抑えて『そうか。そりゃ、良かったやん。それで?』と促す自分に嫌気も指しながらIと麻美ちゃんとの事の顛末を聞きたいと言う気持ちも強かったのでした。

差別をすると自分自身に跳ね返る??(>人<;)

2018年04月28日 12時00分50秒 | 差別と偏見
職業差別、男女差別もありますが社会でタブー視される差別が被差別への差別かも知れません

小学校で学んだ『にんげん』
土曜日の4時間目 道徳の時間でした。

にんげんを読みクラスで意見交換をしたり
感想を述べたり。

被差別出身。それだけで自分の思った結婚や就職が出来ない。
子供心にも可哀想と思ったものでした。

貧困にあえぎ、細々と暮らす家も粗末なもの。
映画なども見せられました。

やがて大人になり関西は
とても根深い事実と
事情があるのも知りました。

私と同じ世代で文字を書けない人も。

でも。
複雑な社会の中。
差別されている人たちの中には
被差別である事を
あえて表にし、そうでない人達を責めるときもあります。
これが、更に被差別の人達を怒らせると怖いと印象をつけてしまった。
もともと昔の身分制度が事の原因。

被差別の人達が怒ったら怖くしてしまったのは、被差別でない人達。

大人になり
知らず知らずに心の何処かで差別している自分があって、表面には出さなかったのに。
何かのキッカケで顕在化したとき。
その時は
自分自身に何らかの正当化する理屈を見つけだしていたのだと。

そして年齢を更に重ね
心の在り方を学び
少しずつ曇った心の窓を拭き取っていくうちに
差別意識を持った自分を恥じて
苦いものを噛みしめるような心の痛みを
覚えています。

職業にしろ出自にしろ
男女にしろ
住んでいる住所にしろ
差別や偏見を持ってしまうと
心の曇りが取れたとき
苦く自分自身の恥ずかしさを味合わなければ
ならなくなります。

ひとを差別し偏見で見ていると
言葉を発していると
やがて
自分自身に跳ね返ってくることが
この歳になり
やっと気付きました。

先日、在特会のメンバーが
差別用語を用いて行った行動が問題視され社会から制裁を受けようとしています。

国籍が違う。
ただ、それだけで差別し責めた。
これは良くないこと。
在特会は因果応報。

朝鮮半島の人達と日本人との関係は
簡単に片付けられない歴史的な背景があることは誰しも分かっているわけです。

何十年も前のこと。
今の若い朝鮮国籍、韓国国籍の人
そして日本人にとって歴史的な感情すら
薄れていってるのに。
大人が、それを蒸し返している。
その大人達は自分が見聞きしたわけだも
経験してきたわけでもなく
親や祖父母から聞いた話を鵜呑みにして
現在に至っていることの方が多い。

反日感情は
戦争を知らない私達世代以降にとって
正直なところ理解不能。

そんな互いに責め合うことではなく
人として
どう互いに助け合うこと。
しないのかなぁ。

差別は
自分自身のために。
先ずはしないこと。
それが
最初の第一歩となるような気がします。

子供の頃の記憶が(^^;;差別はいけない!

2018年04月28日 10時00分42秒 | 差別と偏見
子供のころ。
『○○の道路の向こうは行ったらダメよ。』とか
『○○橋の向こうに行ったらダメよ。』とか。
言われた事はありませんか?

10代後半くらいから。
友達の話をすると親から
『どこに住んでるんや?』と住まいを聞かれた事は少なくありませんが。
『○○に住んでるで。』って答えると
なーーんか妙な表情をされたこともありました。

若いころは意味が分からず。
中学の頃、とても仲の良かった友人がいました。
『俺の親戚、○○県で肉屋やってるねんけど、お前、ミンチをハンバーグとかで食べるやろ?ミンチ肉はやめとけよ。』と言われ、それを母に言ったところ
『ふーーんK君の親戚ってお肉屋さんなんだ。K君って、あの団地に住んでる子だろ?』
『そうやで。』
と答えた私に母は『もう中学も卒業したんだから高校で知り合った子と仲良くなったら方がいいよ。』当時の私は、こんな会話になんの意識もなく『もちろん、そうしてるけどKは、ええ奴やから。』と高校は別々でしたが友達でいました。

やがて大人になり社会で働くようになると
余計なことを知っていくものです。
Kとは、もう付き合いも無くなっていましたが。
大人になり
被差別の事を見聞きする事が時々、あったのです。
でも、私の中では差別はいけないこと。
そう小学校で教育されてましたから。
大阪は毎週一度『にんげん』という本を使い差別に関する教育が行われていました。
中学の頃
社会担当の先生(女性)は差別はいけないと言うだけでなく自ら被差別の男性と結婚されました。
そんな後ろ姿を見せてくれた先生もいたのに。
年齢を重ね自分も家族を持ち娘が生まれ
消費者金融会社から地元の不動産会社へ転職。
不動産会社に就職してから家賃の取立て業務に携わっていくうちに。滞納する人との接触で
少し???と思われる方もいらっしゃるのも事実です。『また、この人!○○さん!』
と呟いていると上司が『あーー○○さんな。ちょっと気をつけて接触してや。』
私は何故か尋ねると『○○さんは△△町出身やからな。』
こんな会話をチョクチョクするように。
滞納取立てで自宅へ訪問したり保証人の家に行ったりすると
辺りには同じ形をした建物や団地が。
独特のロケーションが。

地元の不動産会社に就職してから記憶の底に眠っていたものが少しずつ蘇ってきたのです。



継続は『チカラ』なり(^。^)

2018年04月28日 09時20分28秒 | 妻は錬金術師(^^)
妻は生命保険に19歳から加入しています(^。^)
高校を卒業し大阪市内の小さな会社に就職したと同時に、その頃、会社に出入りしていた生保レディに勧められるままに(^^;;

妻は病気らしい病気は52歳の現在までしたことはありません(^。^)
『生命保険に入ったけど入院もしてへん。』
ど結婚した当初、ブツブツ。
『お金かけても全然、元も取れへん!』ど言ってましたが次女を妊娠し帝王切開した時。
初めて給付金を受けました。『19歳から加入して、やっと貰えた。』とまたまた、ブツブツと。
そうこうし結婚し次女が高校生の時に保険料の支払い完了となり日本生命から連絡が。
色々と説明をしたいとの事で自宅に来ました。
そこで驚いたのが。
『奥様の保険料が完了しましたが○○歳までは今の保証はございます。そして••••』
妻が加入した当時の利回りが高く毎年20数万円利息が上乗せされ、その利息はまた計算される複利計算だったのです。
『え?こんなに増えていくの?』妻は驚きに目を輝かせました(´⊙ω⊙`)

昭和53年?54年当時の日本の金利は高く
定期預金も年利3%とか普通にあった時代です。
会社の福利厚生などで財形貯蓄もありますが財形するなら銀行より生保の方が金利は高い。

そんな時代に加入した生命保険(^。^)
コツコツも毎月毎月、解約せず支払った保険料。
平成30年の今、解約するとしたならば
これまで支払った保険料以上の元金はもちろん、それに利息が毎年20数万円増えていくのです。

妻が仮に7?歳で解約したら1000万以上にも
(´⊙ω⊙`)

継続は『チカラ』なり。とは
こういう事を言うのかなぁ。