縁側でちょっと一杯 in 別府

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映画『あの日のように抱きしめて』を観て ~ 名は体を表してる?

2015-08-21 22:39:50 | 芸術をひとかけら
 お盆明け、周りはまだ夏休みの人も多く、なかなか仕事に気合が入らない。よし、今日は早帰りだ、久々に映画でも見て帰ろう、と思い見つけたのが『あの日のように抱きしめて』(渋谷のBunkamura ル・シネマ)。

 戦争で引き裂かれた夫婦の物語と聞き、ヴィヴィアン・リーの『哀愁』やソフィア・ローレンの『ひまわり』が頭に浮かんだ。が、あとで知ったが、監督はヒッチコックの『めまい』を撮りたかったとのこと。そう、この映画は女性が入れ替わる話。僕が思い描いた哀しいラブストーリーではなく、ミステリーなのであった。

 まずは簡単にあらすじを。
 ときは1945年6月、第二次世界大戦直後のベルリン。元歌手のネリーは顔に大怪我を負いながらもアウシュビッツの強制収容所から奇跡的に生還した。顔の再建手術を受け、元通りとはいかないが、以前の自分に近い姿になった。そんな彼女の願いは、ピアニストだった夫ジョニーを探し出し、幸せな二人の生活を取り戻すこと。ネリーはなんとかジョニーとの再会を果たすが、彼は容貌の変わったネリーに気づかない。そして、なんと収容所で亡くなった妻になりすまし、遺産を山分けしようと持ちかけてきたのである。
 ネリーは戸惑いながらも、夫が自分に気が付き、また昔のように愛してくれることを信じ、その提案を受け入れる。ネリーは自分自身の偽物を演じることにしたのである。しかし、次第に彼女の中に「夫は本当に自分を愛していたのか、それとも裏切ったのか。」との疑念が芽生え、そして・・・。

 ところで、この映画の原題は“Phoenix”である。僕は、ラブストーリーのような『あの日のように抱きしめて』より、Phoenix(フェニックス、不死鳥)をそのままタイトルにした方が良かったと思う。なぜなら、この映画のテーマは「再生」だからである。
 破壊されたネリーの顔の再建、アウシュビッツで失ったネリーの人間性、尊厳の回復、さらには戦争で甚大な被害を被ったドイツという国の再生、等々。ネリーとジョニーの関係の行方については映画を見てのお楽しみ。

 この映画を見てしみじみ思ったこと、それは、やっぱり女性は強いな、ということ。
 ネリーが最後に下した結論は明示されておらず、観客一人一人の判断に委ねられる。僕には、最後の彼女の姿に、アウシュビッツでの筆舌に尽くしがたい経験や、そこで唯一の心の支え、生き抜く力になったジョニーとの幸せな生活を取り戻すという目標・希望を忘れ、つまり辛い過去ときっぱり決別し、未来を生きて行こうという彼女の強い決意が感じられた。
 ラストシーンで、ドイツから米国に亡命したユダヤ人作曲家クルト・ヴァイルの名曲「Speak Low」が心憎く使われている。ネリーが歌う「Speak Low」は、初めはか細い声で彼女の脆さ、弱さが表れているが、次第に声は力強く熱唱となる。彼女の再生に向けた強い意思表示のように聴こえた。