縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
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『木曽音楽祭』にて ~ 小さな音楽祭の醍醐味

2009-09-06 18:59:04 | 芸術をひとかけら
 今年も木曽音楽祭に行って来た。
(音楽祭の説明は2008年 8月28日『 “おらが音楽祭”~『木曽音楽祭』に行って 』をご覧ください。)

 やはり自然に囲まれた中でゆったりと音楽を聴くのは良い。

 音楽祭の会場は緑の中にある。静かだ。外に出ると、ただ木々のざわめきや水の流れる音が聞こえるだけ。都会の喧騒の中、仕事帰りにサントリーホールで音楽を聴くのとはまったく違う。
 東京で演奏会に行くと、気持ちがほぐれるのに時間が掛かってしまうことが多い。が、ここでは「よし、音楽を聴くぞ」という心構え、気持ちの準備など必要ない。自然のなせる業か、演奏が始まった途端、音楽がすんなりと、素直に心の中に入ってくる。音楽を聴くことに没頭でき、それこそ音を楽しむことができる。

 もう一つ、こじんまりした この音楽祭の良い点は、演奏家との距離が近いところだ。

 会場が小さいことから、文字通り、物理的に演奏家との距離が近く、演奏家の表情は勿論、その指の動きや息遣いまで感じることができる。
 今回の演奏中、ヴィオラの弦が緩んで音が狂うというアクシデントがあった。オーケストラであれば後ろの人とヴィオラを交換すれば済むが、今回は小編成ゆえ そうは行かない。演奏を止め自ら弦を調節するS氏。なすすべもなく、ただ顔を見合わせる残りのメンバー。そこに長老とおぼしきK氏がにこやかに一言、「申し訳ありませんが、いったん演奏を中止させて頂きます。」皆、後ろに下がった。
 演奏家の皆さんの力関係というか、人間関係を垣間見ることができ、おもしろい。

 運が良いと、演奏家の方とお話することもできる。

 2日目の幕間、当日オフだったコントラバスの星さん(読響首席奏者)と話すことができた。休憩で外に出たところ、近くに星さんの姿があった。目ざとく見つけた妻が「私、星さんの演奏、好きです。いつも読響で聞かせて頂いています。」と話しかけた。
 これは嘘ではなく、我々は10年来 読響の会員である。話は常任指揮者のスクロヴァチェフスキ氏の話に。実は、氏はもう80歳を超す大変ご高齢の指揮者である。星さん曰く、「 “おじいちゃん”は本当に元気。それこそ、こっちの方が先に死んでしまうんじゃないかと思うくらい元気。いつも練習には一番早く来るし、彼の音楽に対する取り組み方、姿勢は大変勉強になる。」
 何も知らず、もう少し若い指揮者の方が良いのにと思っていた自分が恥ずかしい。9月後半の読響は半年振りにスクロヴァチェフスキ氏の指揮である。今度は心して聴きに行こうと思う。

 しかし、「演奏家との距離が近い」といっても、やはり“見て見ぬふり”も必要かもしれない。

 今回我々は温泉宿に泊まっていた。そこは日帰り入浴もやっていて、演奏家の方もよく来ているらしい。食事を終え旅館に戻った我々の前に、どこかで見たことのあるオジサンが。風呂上りで、すっかりくつろぎ、緊張感のかけらもない。一仕事終え、もはや完璧にオフ・モードなのである。
 そこに妻が一言、「○○さん、今日の演奏、とっても素敵でした。」
 それを聞いた○○氏、“突然、こんな場所で、なぜ”と少し呆気にとられた様子で、「いや、どうも。」と返すのがやっと。鳩が豆鉄砲を食らったような、キョトンとしていた彼の顔が忘れられない。

 まあ単純に声を掛けられて嬉しいという気持ちも彼にはあったと思うが、プライベートには入らない、それも若干だらしがない所は見ないふりをするという武士の情け(?)が必要だった気が・・・・。

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