縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

12月8日に

2006-12-08 22:52:43 | 最近思うこと
 今日、12月8日は、ジョン・レノンの命日である。あれは1980年、もう26年も前だ。あのときの話は以前『ジョンの想い出』に書いたので繰り返さない。さすがに当時の衝撃はないが、やはり感慨を、そこはかとない寂しさを感じる。久しぶりに早く帰ってきた僕は、パスタを作り、そしてジョンの曲を聴いている。繰り返し、繰り返し、聴いている。

 12月8日は開戦記念日でもある。1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった。その後の悲惨さ、凄惨さ、そして不幸を思うと、なぜ“記念”という言葉を使うのか不思議な気がするが、世間一般では“記念”すべき日ということになっている。軍国主義から民主主義に変わるきっかけという意味での“記念”なのだろうか。いずれにしろ、ちょっと違和感を覚える。

 ところで、この真珠湾攻撃、当時は日本軍の不意打ちと考えられたが、実は日本軍の暗号がアメリカに解読されており、アメリカ側は事前に攻撃を知っていた、というのが今では定説になっている。では、なぜ、自らの艦隊が大きな被害を被り(但し空母は真珠湾から避難していたが)、それに多くの死傷者を出す恐れがあったのに“不意打ち”を容認したのだろう。
 それは、戦意高揚というか、アメリカ国内の厭戦気分を一掃するために利用したと考えられている。早い話、アメリカは、ルーズベルトは、日本と戦争をしたかったのである。より正確に言えば、日本と戦うことにより、その同盟国であるナチス・ドイツと戦い、イギリスを救いたかったのである。当時、ナチスは破竹の勢いであり、盟友イギリスは風前のともし火と見られていた。ヨーロッパのことに干渉しないというモンロー主義の名残りもあって、アメリカは中立を維持していたし、国内にヨーロッパでの戦争を望む声はなかった。この状況を打破するために日本との開戦、それも国民が一致団結して戦争に臨む、きっかけが必要だったのである。
 日本はそんなアメリカに上手く利用されたというか、はめられた。もっとも、当時の日本が軍部の暴走を止められなかった点や、そもそも総理大臣が「欧州の情勢は複雑怪奇」とかいって辞めてしまう外交下手で何の戦略も持っていなかった点(これは今も変わらない?)から考えると、仕方のない気がするが。

 平和を愛したジョンが開戦記念日に死んだ、それもハワイ出身の若者に殺されたというのは、まったくの偶然なのだろうが、日本人の僕は、何か因縁めいたものを感じてしまう。

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