縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
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セビーリャでフラメンコ(スペイン紀行2)

2006-03-27 22:15:56 | もう一度行きたい
 マドリッドから飛行機でセビーリャに入った。初めてのアンダルシア。アンダルシアでひまわりを見たい、これがスペインに来た目的の一つだった。だが、行ったのは7月も中旬に近く、ひまわりはもう終りに近かった。抜けるような青い空の下、一面に咲く黄色いひまわり。ひまわりに少し元気がなく、100%イメージ通りとはいかなかったが、鮮やかな黄色のじゅうたんを見て、それなりに満足した。

 そしてもう一つの目的がフラメンコ。本場で、セビーリャでフラメンコを見たいと思った。
 フラメンコは踊りがメインのように見られるが、実は歌から始まったものである。その歌詞に意味がある。種々の迫害を受けていたジプシー達が嘆きや悲しみ、そして夢や希望を歌ったのである。その後ギター、あの物悲しい響きのスパニッシュ・ギターが加わり、最後に踊りが生まれた。などと偉そうに書いたが、僕はフラメンコを見たことがなかった。単なる興味と、当時好きだったジプシー・キングスの影響だったのかもしれない。

 そんなこんなでセビーリャに着いた僕は町一番の老舗のタブラオ(フラメンコのライブのお店)「ロス・ガジョス」を予約した。ライブは2ステージあり、僕は早い方にした。後のステージの方が盛り上がるらしいが、終わるのが深夜になってしまうため、一人だったし用心したのだ。
 ところが、旅の疲れのせいか僕はホテルで寝てしまった。ふっと気が付くと既に11時。僕は飛び起き、店まで走った。最後のステージには辛うじて間に合った。

 初めて見たフラメンコには本当に衝撃を受けた。女性がただ綺麗に踊るだけと思っていたが、まったく違う。つま先や踵で床を踏み鳴らす。その激しい足の動き。一方、手の動きは優雅で美しい。元々は蔑まされた女性達の踊りなのだろうが、彼女たちの気迫の踊りには気品すら感じられる。特に取りの女性の踊りは見事だった。彼女が出て来た時、それまでの若い女性達と違い、少し年季が入った上に太めだったので、激しい踊りは大丈夫かなと心配したのだが、まったくの杞憂だった。

 意味は全然わからないが、歌い手の哀愁のある歌声に物悲しさを感じた。又、スパニッシュ・ギターの響きにもどこか切ないものがある。もちろん悲しい歌だけでなく明るい歌もあったが、フラメンコは悲しい歌の方が良い。ジプシー・キングスのように洗練されていないが、フラメンコは素朴で、力強さというか、生命力を感じる音楽だった。
 深夜1時近く、僕は今度は歩いて、ゆっくりと、初めて見たフラメンコの感動を噛み締めながら、ホテルへと帰った。

 日本に帰ってから1度だけフラメンコを見たことがある。近所のスペインクラブというお店だ。女性達の踊りは綺麗だったが、やはりセビーリャで見たほどの力強さは感じなかった。もう一度セビーリャでフラメンコを見たい。今度はスペイン語が上手くなって歌詞がわかるようになればいいと思う。
 が、しかし、フラメンコの歌詞が日本の演歌みたいな内容だったらどうしよう。興ざめしそうで恐い。しめしめ、これでスペイン語の勉強をサボる言い訳ができた。

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