縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
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夢に見た生活を楽しんでいます。

ミャンマーは身近な国?

2006-03-09 22:25:59 | 海外で今
 民主化の遅れや人権問題からミャンマーが孤立化の度合いを深めている。昨年の終りからのミャンマー関連のニュースを整理すると次の通りである。
 11月 首都機能移転(ヤンゴンからピンナマへ)発表
 12月 国連事務総長ミャンマー担当特使ラザリ氏、任期切れに伴い辞任(その後後任決まらず)
  1月 ASEANからの民主化視察特使サイドハミド氏の受け入れ拒否
  2月 中国とエネルギー、資源開発での協力強化
  3月 インドネシア・ユドヨノ大統領訪問、民主化促進へ支援を表明

 軍政を敷くミャンマーは、民主化運動指導者ア・ウン・サン・スー・チーさんの自宅軟禁問題など、国際社会から非難を受けている。その中で、人権問題に無頓着で、かつ、エネルギー資源獲得に貪欲な中国が擦り寄っている、という図式である。ASEANではマレーシア、インドネシアがミャンマーの民主化問題で強硬派と言われ、因みに上記のラザリ氏、サイドハミド氏はともにマレーシア人である。マレーシアの面目は丸潰れだが、一方でユドヨノ大統領のミャンマー訪問が実現したことは大変喜ばしい。民主化への変化に繋がることを願う。

 以前、仕事でミャンマー人のアテンドをしたことがある。皆、人の良い、好感の持てる人達であった。彼らは敬虔な仏教徒である。日本人も同じ仏教徒であるが、信仰の強さというか、日々の生活への浸透度が大きく異なる。政府関係の人間なので、皆、軍に所属していたが、彼らと軍政ミャンマーとはまったく結び付かない、程遠い存在のように思えた。ある意味、国家の強大さに対する個人の圧倒的な無力さを感じた。

 彼らとは食事を一緒にしたり、工場の見学に行ったり、そして京都観光にも行った。一緒に過ごした中で驚いたことを二つ紹介したい。一つ目、グループのリーダー(空軍の大佐クラス)は、アメリカ空軍でトレーニーを受けた人間だった。ミャンマーは1988年民主化運動により社会主義政権が崩壊し、翌年のクーデターで軍政に移行したが、彼がトレーニーを受けたのはおそらく軍政の初期であろう。中国に近いミャンマーの軍事的重要性からアメリカが梃入れしていたのだと思う。アメリカの世界戦略の奥深さを感じる。
 二つ目、そんな彼から金箔をもらったこと。勿論それは高価なものではない。彼から、ブッダに祈りながら金箔を体の悪い所や痛い所に張れば治る、と真顔で言われた。英語を流暢に話す優秀なパイロット、そんな現代的イメージとブッダへの篤い信仰心とのコントラストが面白かった。僕はそんな彼が好きだ。

 ところで、皆さんは上に挙げたニュースをいくつご存知だっただろう。ミャンマーは遠い、関係の薄い国だろうか。
 実は彼らと食事に入った店に偶然ミャンマー人の店員がいた。メンバーの一人と田舎が同じらしく話は盛り上がった。店員の彼女がどのように日本に来たのかはわからない。ミャンマーの民主化が進み、人々がもっと自由に行き来できるようになれば良い。
 しかし、今の状況でも案外身近な国なのかもしれない。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感情的には身近な国です (じゃいむず)
2006-03-10 15:51:03
はじめまして。

ミャンマーへは一昨年、昨年と二度行きました。

10万人の日本人が住むといわれるタイのバンコクからわずか1時間でヤンゴン。

在留邦人は全土で千人もいないと聞きました。

それにしても聞くと見るとでは大違いの国ですね。

総じて温厚で、親切で、陽気で、乏しいながらも生き生きとしている国民性だと思いました。

金があっても心のすさんだ日本人とは大違いです。

空港でワイロを要求されるなど役人には腐った人がいないこともないようですが、安心して旅のできる国だと感じました。

率直に言って、ミャンマーはお隣のタイと同じように日本人には親戚あるいは兄弟とも感じられる国だと思います。
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羨ましいです (えんちゃん)
2006-03-11 17:46:16
ミャンマーに二度いらしたんですね。本当に羨ましいです。僕も行って見たいのですが、何分休みとお金が・・・・。



軍政や麻薬の問題はありますが、一般のミャンマーの人達は信心深く、あったかい人だと僕も思います。



これからもミャンマーのこと教えて下さい。
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