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縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

愛を耕すひと(★★★☆☆)

2025-03-15 14:04:30 | とある田舎のミニシアター
 愛を知らない孤独な男が、荒野の開拓を通じ愛に気づき、愛を知る物語である。
 主人公のケーレンは、自分を認めなかった父親を見返してやりたい、世の中に自分の価値を証明したいとの思いだけで生きてきた。何事にも厳格な性格。そんな彼が、自分のように寂しい女性や見捨てられた少女と家族のように暮らし、共に苦労し、共に喜び、やがて夫としての、そして父親としての愛を知るのである。

 物語の舞台は18世紀デンマーク。退役軍人のケーレン大尉は、誰もがなし得なかった荒野の開拓に名乗りを上げる。成功の報酬は貴族の称号。役人達は はなから無理と何の期待もしていないが、開拓を望む国王へのポーズになると彼の申し出を認めた。少ない資金で人手を集め開拓を始めるケーレンであったが、地元有力者デ・シンゲルの執拗な妨害にあい、たった一人になってしまう。そこに逃亡した使用人の女性アン・バーバラとタタール人(ロマ?)少女アンマイ・ムスが加わり、はぐれもの同士の共同生活が始まった。

 デンマーク ユトランド半島の荒地はヒースと呼ばれる。あの『嵐が丘』の舞台、北イングランドのヒースと同じ平坦な荒地。薄い表土と砂でできており耕作にも牧畜にも適さない土地である。おまけに冷涼な気候。そんな不毛の土地であるが、ケーレンの不屈の闘志により漸く一筋の光が見えた。が、そこにデ・シンゲルの魔の手が。小物ゆえにケーレンの自信におびえ、狂信的な行動に出るデ・シンゲル。もはやこれまでと思ったところで、物語は意外な方向へと展開する。

 映画の原題 “Bastarden” はデンマーク語で “私生児” という意味。ケーレンは私生児だったのである。貴族の使用人であったケーレンの母に、その家の主人が手を付け、生まれたのがケーレン。だが主人はケーレンを自らの子どもとは認めなかった。それどころか名誉の戦死でもしてくれればとケーレンを軍隊に送り込む始末。が、ケーレンは努力と忍耐により、家柄や学歴がないにも拘わらず大尉まで上り詰めたのであった。父親を見返したいとの一心で耐え忍んで生きてきたのであろう。

 最後にケーレンが人生の唯一の目標としてきたことが実現する。しかし、そこでケーレンは自問する。それに何の意味があるのか。自分は恨みや憎しみを生きる原動力として来たが、これから先もそれで良いのだろうか。そして、ついにケーレンは決断を下す。はたから見ると、それが正解かどうかは分からない。が、ケーレンには何の迷いもない。