キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

天国は何処にありや?

2007-03-22 23:48:13 | 人生の慰め
神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
「そら、ここにある」とか、「あそこにある」とか言えるようなものではありません。
いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。(ルカ伝17-20・21)



私は天国を知らず、天国がどんな所かも知らず、

また天国に入る条件も知らぬ。

スウェーデンボルグのように天使の声を聞けず、

江原のように守護霊の声を聞けず、

しかも釈迦のように宗教的悟りも得たことのない私にとって、

天国を具体的に知ることはできない。

果たして、天国とは何ぞや?


「天路歴程」の著者ジョン・バンヤンが、宗教上の問題に悩んでいた時、

ある老翁に問うて曰く、「果たして、天国は何ぞや?」と。

その老翁答えて曰く、「無学な私は、天国を知らず、地獄も知らぬ。

しかしイエス・キリストと共にあれば、たとえ地獄に堕ちても可なり。

彼のいる所、そこが天国である」と。

実にそうである、主とともにあれば、そこが天国である。

たとえ周囲が地獄の業火であろうとも、主がいらっしゃる所、

そこが天国である。


私の内に主がいらっしゃる時、そこに天国がある。

私の内に主がいらっしゃらない時、そこに地獄がある。

主が私の内におられる時、私は容易に、人を愛することができる。

しかし私が主から離れる時、私の内にあるものは、

憤怒と嫉妬と情欲の地獄絵図である。

天国・地獄とは他でもない、イエス・キリストを受け入れるか否かである。


私は天国を知らず、地獄も知らぬ。

私は聖書を知らず、神学も知らぬ。

私は教会(見える教会)を知らず、エクレシア(見えぬ教会)も知らぬ。

私の性格は円満ならず、私の行為は愛に反しているかもしれぬ。

しかし主よ。あなたは私から離れないでください。

たとえ、私が天国に上っても、地獄に堕ちても、

あなただけは、私と共にあってください。



私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、
思いにふける、そのために。(詩篇27-4)



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なぜ (やまもも)
2007-03-23 08:41:10
なぜ?と言うことの多いものです。
私のなぜが ひとつ 取れました。
有難う ございます。
返信する
[壁]д・)ソォーッ・・・ (アヒル)
2007-03-23 16:20:39
違います。イエス師は下の世界には行けない。イエス師が下の世界に行くには、己を下げるしかない。師が己を下げて来た世界と共にいて、そこが天国な訳がないです。現に師は己を下げて、物質の世界まで来られた。その時、物質の世界は天国なのか?そんな訳がない。
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