神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
「そら、ここにある」とか、「あそこにある」とか言えるようなものではありません。
いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。(ルカ伝17-20・21)
私は天国を知らず、天国がどんな所かも知らず、
また天国に入る条件も知らぬ。
スウェーデンボルグのように天使の声を聞けず、
江原のように守護霊の声を聞けず、
しかも釈迦のように宗教的悟りも得たことのない私にとって、
天国を具体的に知ることはできない。
果たして、天国とは何ぞや?
「天路歴程」の著者ジョン・バンヤンが、宗教上の問題に悩んでいた時、
ある老翁に問うて曰く、「果たして、天国は何ぞや?」と。
その老翁答えて曰く、「無学な私は、天国を知らず、地獄も知らぬ。
しかしイエス・キリストと共にあれば、たとえ地獄に堕ちても可なり。
彼のいる所、そこが天国である」と。
実にそうである、主とともにあれば、そこが天国である。
たとえ周囲が地獄の業火であろうとも、主がいらっしゃる所、
そこが天国である。
私の内に主がいらっしゃる時、そこに天国がある。
私の内に主がいらっしゃらない時、そこに地獄がある。
主が私の内におられる時、私は容易に、人を愛することができる。
しかし私が主から離れる時、私の内にあるものは、
憤怒と嫉妬と情欲の地獄絵図である。
天国・地獄とは他でもない、イエス・キリストを受け入れるか否かである。
私は天国を知らず、地獄も知らぬ。
私は聖書を知らず、神学も知らぬ。
私は教会(見える教会)を知らず、エクレシア(見えぬ教会)も知らぬ。
私の性格は円満ならず、私の行為は愛に反しているかもしれぬ。
しかし主よ。あなたは私から離れないでください。
たとえ、私が天国に上っても、地獄に堕ちても、
あなただけは、私と共にあってください。
私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、
思いにふける、そのために。(詩篇27-4)
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「そら、ここにある」とか、「あそこにある」とか言えるようなものではありません。
いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。(ルカ伝17-20・21)
私は天国を知らず、天国がどんな所かも知らず、
また天国に入る条件も知らぬ。
スウェーデンボルグのように天使の声を聞けず、
江原のように守護霊の声を聞けず、
しかも釈迦のように宗教的悟りも得たことのない私にとって、
天国を具体的に知ることはできない。
果たして、天国とは何ぞや?
「天路歴程」の著者ジョン・バンヤンが、宗教上の問題に悩んでいた時、
ある老翁に問うて曰く、「果たして、天国は何ぞや?」と。
その老翁答えて曰く、「無学な私は、天国を知らず、地獄も知らぬ。
しかしイエス・キリストと共にあれば、たとえ地獄に堕ちても可なり。
彼のいる所、そこが天国である」と。
実にそうである、主とともにあれば、そこが天国である。
たとえ周囲が地獄の業火であろうとも、主がいらっしゃる所、
そこが天国である。
私の内に主がいらっしゃる時、そこに天国がある。
私の内に主がいらっしゃらない時、そこに地獄がある。
主が私の内におられる時、私は容易に、人を愛することができる。
しかし私が主から離れる時、私の内にあるものは、
憤怒と嫉妬と情欲の地獄絵図である。
天国・地獄とは他でもない、イエス・キリストを受け入れるか否かである。
私は天国を知らず、地獄も知らぬ。
私は聖書を知らず、神学も知らぬ。
私は教会(見える教会)を知らず、エクレシア(見えぬ教会)も知らぬ。
私の性格は円満ならず、私の行為は愛に反しているかもしれぬ。
しかし主よ。あなたは私から離れないでください。
たとえ、私が天国に上っても、地獄に堕ちても、
あなただけは、私と共にあってください。
私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、
思いにふける、そのために。(詩篇27-4)
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私のなぜが ひとつ 取れました。
有難う ございます。