キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

間断なき祈り

2007-03-23 22:31:52 | 人生の慰め
絶えず祈りなさい。(テサロニケ書Ⅰ5-17)



祈りとは、真言宗のような念の一種にあらず。

自分の信念や願望を、極度に集中化する行為にあらず。

祈りとは、神(キリスト)と繋がることである。

キリスト者とはキリストに繋がるべき者であれば、

祈りなくして、キリスト者は福音にふさわしく生きることができない。


私が祈らずして、自分自身だけの力によって、

人のために労せんとする時、私の愛念はすぐさま枯渇する。

しかし私が主に祈る時、無限の愛念は私に臨み、

私をして、労せずして人のために尽くすことができる。


私が祈らずして、自分自身だけの力によって、

真理を究めんと勉学する時、私の頭脳はすぐさま行き詰る。

しかし私が主に祈る時、無限の光明は私に臨み、

私をして、単純明解なる真理を理解せしめる。


私が祈らずして、自分自身だけの力によって、

仕事に従事せんとする時、私の義務心はすぐさま萎える。

しかし私が主に祈る時、無限の歓喜は私に臨み、

私をして、喜びもって義務を果たさしめる。


祈りは私にとって、キリストと繋がるパイプラインである。

パイプラインなければ、まるで糧食を断たれた前線部隊の如く、

日々の戦いに従事することができない。

祈りつつ愛し、祈りつつ学び、祈りつつ働き、

最後の最後には、間断なく祈れるようになる時に、

私は真正のキリスト者になれるのだと思う。



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