キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

2010年の総括

2010-12-31 16:30:21 | 人生の慰め
今年は、パウロの後継者の書簡、及び、共観福音書の研究を目標に定め、

だいたいにおいて研究を一通りすることができた。

来年は、残るルカ伝、及び、ヘブライ書・黙示録等々の研究を続行していこうと思う。

2010年を鑑みて、思うことは、去年より多くの身体的・生活的不幸を被ったことである。

視力だけは良かった私も、遂に眼鏡をかけねばならぬほど、視力が低下した。

長時間同じ姿勢で座り続けたために、ひざが少しおかしくなった。

聖書研究に必要な書籍を購うために、数千冊あった蔵書も、今はほとんどない。

いつも睡眠不足で、いつも知的疑問を抱え、

身体的にはあまり良いことのなかった年だったように思う。

これも、私を捕らえた聖書研究のためである。

しかし、永遠の真理、個人を救い、国家を改革し、

世界を改変する可能性のある書物の研究であれば、やむを得ぬ代価であると思う。


西洋キリスト教神学は、その聖霊論において、致命的な誤解を重ねつつきた。

すなわち、人間は如何にして生きるべきか、教会とは何ぞや、

この神なき世の不幸は如何にして解決されるのか、

かかる現実世界に関する問題に関して、

西洋神学者の主張は、致命的に聖書に反している。

父・子・聖霊の最後の聖霊に関して誤解を残したままだから、

西洋キリスト教神学の多くの論争が引き起こされるのである。
(ベラギウス論争、ルターとエラスムス、バルトとブルトマンの対立、等々)

そういうことが、わかった年であった。

身体的には負荷を蒙った年であったが、精神的にはかかる啓示の連続に対し、

血わき肉おどる毎日であった。


日本は滅亡にひた走りつつある、世界も大きな混乱に近づきつつある。

しかし私の内には、新たな真理が輝き始め、国家及び世界を改造する力を顕しつつある。

この真理を多くの人々に伝えるべきではないか、

己に無償で与えられた真理は、本来、他者に伝えるべくして与えられたのではないか?

それが人間の天命というものではないのか?

いや、己が何事かを為さんとする名誉欲がかかる傲慢心を抱かしめるのではないか?

私が知ったと称する真理というものは、つまるところ、

己が執着を投影した真理らしきものなのではないのか?

かかる相矛盾する思いの相克を、日々感じつつ、聖書研究を続行した年であった。


何はともあれ、私個人としては、多くの実りを得た年であった。

卑しい器に、溢れるばかりの真理を注いだ神に感謝である。

そして、かかる状況を造ってくれた、周囲の人々に感謝である。

来年以降は、より、神なきこの世の有様が赤裸々に露呈される年になるであろう。
(経済的にも、政治的にも、社会的にも)

しかし、キリストを啓示された者は、キリストの如く、

神なき世の苦しみを神と共に味わうよう召されているのである。

キリスト者の務めは、かかる困難の時代においてこそ、始まるのである。

来年も、多くの個人的・社会的な苦しみ悲しみ楽しみ喜びの中にあって、

読者も私も、十字架に上った方の御心を知ることができるように。


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