最近、絵を描きたいけれども・・と、問い合わせして来る人が増えています。
それも、退職後なり子離れした世代が圧倒的です。
逆に、子供に絵を描かせたいとの願望を持つ若い親からは声が聞けません。
簡単に言うと、アナログ世代とデジタル世代の差なのでしょうか。
悪く言うと、絵を描きたいという人は・・手持ちぶたさ。若い親は感覚不足。
時代の所為なのか時間に余裕を持てないというところでしょうか。さてさて疑問です。
大学で教える友人から頼まれ、彼の授業範囲内で講義した事が何回かありました。
わが街の絵画教室でも私より年配の方々に依頼された事もありました。
学生相手の時は通常の講義と異なるので興味を持たれ、彼らからの質問も楽しく受け止める事が出来たのですが、手慰め程度に絵でも・・なんて考える年寄り教室では無駄と肌で感じました。
それでも個人で質問をして来る人は増えつつあるのです。
手前勝手に絵を描いてきた私には真に不思議に感じるのです。
『絵はどうやって描けばいいのでしょう?』なんて言葉には、「勝手に描けばいいでしょう。」と言う返事が正解なのですが、心優しき私としては特に、若い人達に語りたいのです。
今から書くことは、私は若いときから理解していた事です。ちょっと小耳に挟んで置いてもらってもいいでしょう。
日本では寺子屋時代から「習字」という習い事があります。現在でも姿勢を正しくしたり、精神の集中という意味でも大いに字を習うべきと思うのですが・・
但し、この部分に落とし穴があることを多くの皆さんは知らないようです。
さて、ここからは悪口です。
皆さんの近くに書道家と名乗る人は多勢いると思いますが、本当にいますか?
まさか習字屋さんではないでしょうね?
漢文を読めない習字屋さんが、私の周りでは残念にも「書道家」と踏ん反り返っています。
その漢文とて・・中国人もビックリの紀元前500年以上の作品が今も手本。
私は高校時代、漢文授業で教師が言う「韻を踏む」という教え方に反発しましてね・・
中国語を話せない、読めない国語教師を全く信用せず、学校裏の神社境内で小説を読み漁っていました。
お陰さまで停学処分を喰らいましたが、今もってこの時の読書時間は貴重でしたし、当時の教師から『謝罪』はありません。校長にも質問しましたが国語教師達誰一人応えてくれませんでした。まあ、威張れる反抗ではあったわけでした。
ですから私の作る漢詩は全くの日本式。韻も音もない関係ない日本語漢字詩です。
ところで、皆さんの近くの書道家さん達。如何でしょう?
老子、孟子の七言絶句を正しく、韻を踏んで読んで呉れるでしょうか?
いない。と言ったところが現実でしょう。
結局は誤魔化しなんです。
屁理屈つけて漢文教育も行われている。今も行われているのでしょうかね~?
本来は、韻を踏むなどと言わずに「日本式漢詩」でも作る楽しみを指導するのが、文科省の、国語教師の仕事と思いますよ。
筆に墨をこってり塗りつけて紙にベターっと書くのが楽しみの始まりなのですが・・
ま、それはそれとして
絵について質問してくる人たちからは、この日本伝統の「習字」的な感覚で絵を習おう。との意識を感じるのです。
挙句、写真のように描くのが上手い。って言い方になるのですね。バカバカしくも・・
その癖、美術、芸術、アートと言葉を意味分けするでもなく使い分ける。他国では同じ意味の言葉と思うのですが、格好をつける為でしょうか底が知れます。これは、メディアに登場する美術家とかアーティストなんて格好つけ連中に責任は大きいと思うのですがね。
そういった人達が余りに多いと感じます。
さて、更に毒舌です。
日本には、政治の派閥ではないが・・『画壇』というクソミソ・ノータリン・ヤクザ組織が今もって大手を振っている。その組織の上部に名を連ねるには東京芸大卒。というキャリアが必要であり、下部会員は、中央、地方部員に分けられ、素晴らしい作品を残したとしても、金をつぎ込んで護摩すりしない限り浮かばれない組織が、歴然としてあるのです。
芸術院会員→文化勲章受賞コースも異常です。この画壇トップが持ち廻りで貰うのが芸術院会員であり、その会員の中から文化勲章が与えられるシステムです。『画壇』に関係なく素晴らしい制作を続け文化勲章を頂くのは大変に珍しいのです。最近では、牛島憲之先生ぐらいでしょうかね。
故に、才能のある作家は無所属か日本を離れる。
で、実際、芸術院会員の作品が評価されているか?との問いは無駄なことです。が、私の意見に異論ある人の方が実際は多く、私の考えが異端に近いと考える方が・・現状日本。らしいですが、
組織に属さないで頑張る作者の方が明らかに個性を感じさせます。いかなる創作に携わっている作家であれば明らかな事、明白です。
画壇組織はつまり、「皆で渡れば怖くない。貴方任せ。」と同様に感じる次第です。
で、画壇の組織図としては、芸術院から公民館教室まで・・公民館で教える人が団体に属している場合が殆どだからです。地方でも美術協会なる団体で幹事役等の経験者が公民館先生らしいです。
公民館、文化会館等で絵を習っている人達の皆さんには申し訳ないが、皆さんは、この『画壇』の最下部。言わば悪代官に取り仕切られた哀れなドン百姓という事になります。
(私は一応、米作をもしている百姓の仲間で本当のドン百姓ではありますが・・・)
〇〇会に出品しろ。と言われ、100号等の作品を1年程度で毎年続けて描ける筈がありません。不可能ではありませんが、己が惨めになるだけでしょう。
体力、気力は重要ですし、そして豊富な画題を持っていないと大きい作品へは内容を収めきれません。
確かに見ごたえある作品は出来上がります。が、全てが気に入る訳ではなく、余程、家にスペースがない限り、セイゼイがゴミ扱いになるのが落ち。です。
各地の美術館へ行った方はお分かりと思いますが、『小品』に名作有り。です。事実小品制作の方が実際難しく神経を使います。これは絵描きの常識と思ってください。
まあ、そのような人達の中から疑問を持った人が私の所へ来る。
社会経験豊富で、公民館で教えるような人よりずーっと教養のある人が来る。
「少しは考えてよ。」「今迄の経験に自信を持ってよ。」と、言いたくなります。
絵を描くという事には真摯な態度で臨まないといけない。それは何事にも通じる事ではあるが、特に絵は綜合観察能力を必要とする。と考えます。
要は、教えるも教わるもないのです。
絵を描く時間を持てるようになった人は・・是非、今迄の社会経験を生かして作画に向かって頂きたい。他者と違う見方、雰囲気を持った独自の作品が生まれるでしょう。
世の中には、優秀な目。慧眼の持ち主は確実に存在します。是非、教わろうなどと思わずに楽しんで頂きたいと思います。勿論、研究・苦労をも積んで頂きたい。
PCを使って写真を利用したり、テレビの画面を利用したり・・著作権の侵害も目立ちます。中国批判どころではないですね。現状は・・特にご老人は平気で模写と言えないボシャをやる傾向が強いですよ
若い人達へは
創作という事へ向けて、頭をもう一ひねり切り替える事を望みます。
モノを作る。絵を描く。つまり、創造することの意義と自身の生き方を真剣に考えて頂きたく思うのです。
更に、その為には、一人旅でも良い。チャレンジ・創造する精神を持たなければ・・経験者からのアドバイスは無駄というもの。若さの特権という言葉がある。無茶するも若さだ。
私は既に時間を逆算して創作に当たらなければならない年齢になっています。長く描き続け、長い一人旅を経験したつもりでも満足に至らない様です。(友人曰く、多少は残る作品はある。そうらしい程度です。)
そんな事で勝手を書いてみました。
下へ掲載した絵は『転付峠の樹林スケッチ』です。
・
最後にもう二言
『絵を描くなら公募展にこだわるな。』
『教わる気持ちが有るなら個性は出ない!自ら研究するのみ。』 以上です。
・・
・・
・
・ Yoh-M
・
・