絵、大好き・Yoh-Mのブログ

ジャズ聴きながら絵を描くYoh-Mが、自身の頭の整理の為に書くブログです。

新日鉄と日本教育の大間抜け・振り。

2010年04月29日 | 怒りを表現しよう

今日この日は、日本中が連休に突入し、成田からは4万人以上が外国へ出掛けたと言う『お目出度い日』。

そんな日の日経報道によると、

新日鉄がようやく業績改善から利益を出してきた。という報道。  いやはや、

【バカバカしく・大間抜け・・・新日鉄】ではありませんか。

加えて、日本の教育も実に大間抜けだった証明をしているジャ~・ありませんか。

記事によると、

新日鉄は今後、相当な努力をしても、韓国の「ボスコ製鉄」にかなわない。と書いてある。

若い人達には理解しにくい話で恐縮であるが、

遡る40数年も前の事。

新日鉄は、永野、稲山という偉い人達が、【プラント輸出】と言う名の、【工場丸ごと輸出】を考え出し、新日鉄製鋼所の機械を新しくする。との名目で、ちょっとばかり使っただけの機械、システムをそっくり・・・韓国へプラント輸出しました。

金額がベラボウな額ですから、両氏はじめ日本の財界人と言われる連中、あげくは政治家連中が・・こぞって賛辞の嵐。

そして、他産業もプラント輸出へ・・・

それどころか、

日本、高校社会教科書へは、文部省から出版社から全て・・・【プラント輸出は素晴らしい産業】と、教育の現場で・・・教える事になりました。

結果

どうでしょう?

人件費の安い韓国からは粗鋼生産が大幅に伸び、自動車産業、漁船、輸送船等の造船業。

全ての産業分野が、日本のライバルに成長しました。

私の大学受験。K大経済学部の2次論文は、

「プラント輸出について述べよ」でした。

私は、このK大学経済学部受験は、この小論文で落ちましたが、内容には十分自信が有りましたし、今もって、この時のK大学採点には疑問を持っています。

私の答えの内容は『プラント輸出はすべきでない。将来の日本経済は弱くなる。』だったので不合格だった訳です。

K大へ合格する為には『プラント輸出は素晴らしい』と、書かなければなりませんでしたよ^^

案の錠、40数年前の誤った政策?新日鉄の傲慢さが、現在、日本経済力にまで降りかかっています。今更、何を言うか・・って奴です。

今、春の連休。

この時期、政府の叙勲発表があります。

大体が、お馬鹿な政治家ないし政治や(市会議員を含め)。そして、官僚、警察官等の現場に関係しない人達と、財界人と呼ばれる人達。

プラント輸出を行った、永野氏、稲山氏は旭日大勲章を貰っているはず。

お二人とも、草葉の陰で恥ずかしい思いをしていることだろうな。と、思う次第です。

先見性を持たなければいけないのが・・リーダー。

時の政治、風潮に動かされず、普遍性を保つのが・・教育界。

いずれも、日本は・・残念ながら駄目だな~~

我々一般人が優秀と思う人、功績を認める人は・叙勲なんて縁がない

くだらない所へは、金を落とさないからね~~~

(1000万円の予算を使いきる予定。と言い切って毎日、上海万博詣でする女の日本人がテレビに出ているけれどな~?)

現在に至っては、株式相場にああだ、こうだ言うには、会社の歴史・・それも僅か2~60年をちょいと調べるのも1つの手だな。

尚、

現在のK大学経済学部教授陣。

金子氏X竹中氏のように、考え方が真っ向対立する連中が、同じ学部にいるおかしな大学である。

この大学の学生で、そんな事知らずに両陣営の授業を受けている連中は悩むだろうな~~~

さてさて、新日鉄が韓国製鋼所に勝てない。と言う、日経記事を元に書きました。

然し、日本の企業には頑張って頂きたく思う次第です。

                by  Yoh-M.          

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

Haru404


歌手・菅原さんとの再会、そして・・

2010年04月20日 | アート・文化

歌手「すがはらやすのり」さんとの再会。  (これ以降菅原さんと表記)

菅原さんとは学生時代の僅かな時間、共に和田エミリーさんより英会話を習った仲ですから40年振りという事になります。

彼が1級上で、私と同学年の地主(苗字)さんと3人でエミリーさんとの時間を楽しんだ記憶の方が残っている仲です。

当時、既に歌合戦で名を知られ始めていた菅原さんですが、早稲田建築科の大学院生だったので彼の将来は『建築家』。と決め付けていました。

が、シベリア鉄道経由でパリ、フィレンツェを拠点にして遊び戻った私が、だらしなく先行きさへも決められずにいた30歳を前にした頃、『菅原やすのりミニコンサート』が静岡市松坂屋屋上で開催。という広告を見、駆けつけました。

僅かなスタッフと静岡放送のアナウンサー。そして30名位の観客。

菅原さんは、私の名詞に書かれた会社名を読み上げて宣伝して呉れましたが、その名詞は学生時代から持ち父から渡されていた名詞。照れくさかったのを覚えています。

彼のスケジュールで東京へトンボ帰りだったので、残念ながら会話にならない少ない時間でした。その際、彼から聞いた地主さんの死。世間が大騒ぎした事件だったようで何一つ知らなかった私は、頭がボーとした事を覚えています。又、27才時より毎年9年にも及んで、信頼する若き親族達の死も重なり、今日まで『生きること』へ問いかけるきっかけとして来ました。

この松坂屋コンサート以後、菅原さんの名は私から消えて行き、私自身は私の仕事として「絵と額縁」の販売に進路を決め、休日は単独での登山、スケッチという生活になりました。

結果、結婚こそ38才、私にとってのタイミングとしては最適な時期だったでしょう。が、友人達より10年は遅い社会人スタートでしたでしょうか。

昨年、姪が早稲田大学国際教養学部を卒業し、音楽関係の仕事に入ったと聞いてから急に、『菅原やすのり』さんを思い出してしまいました。今頃どんな仕事をしているだろうか。と。

和田エミリーさんに英会話を習っていた頃、私はギターを持って行き菅原さんの伴奏したはずなのですが、彼の声に合わせるテクニックはなく、殆んど彼の独唱に終わり、エミリーさんは随分喜んでいたのを思い出します。

その彼を思い出して、グーグル検索をしたところ・・・ナントとなんと、彼のH.P.があり、Uチューブでも彼の姿と声が映し出されました。

【懐かしさと驚きで一杯】でした。

エミリーさんとは年賀状の交換を続けていた関係で、彼が東海大学で教鞭をとっていた事位は知っていたのですが、ナントなんと・・・『日本を代表する歌手』。

彼特有のビブラートは40年前と全く変わっていなく、声量も相変わらずもの凄い。

然し待てよ?  私は我が身を鏡に写して彼のH.P.写真に疑問を持った。

家内は彼のマネージャーさんから取り寄せたCDに毎日夢中。

いやいや、名前も『すがはらやすのり』になっている。

これはこれは一度会って確認しなければいけない。私自身の為にも確認する必要がある。と思い立ち、4月19日の『すがはらやすのりコンサート』へ夫婦で出掛けた次第です。

私は4月22日に64回目の誕生日を迎える。

夢中で生きてきた。と思う。家内への感謝はそうそう口に出せないが、二人して頼る事無く生きて来た。子供達もようやく社会人。

これから夫婦そろってどう生きるべきか考え始める矢先での『すがはらやすのりコンサート』。

3月、叔父の法事へ出掛けたところ、東海大学建築科卒と言う従弟が何と彼を「菅原先生」と呼ぶ。縁というものだろうか。背中が少し寒くなる思いをしました。

まして、その従弟が小学生の時に私は学生で、よく山下公園とか浜離宮へ連れて行ったりして可愛いがった従弟だからです。

縁。なぞと云う言葉は使いたくないのが、今までの私の生き方。人生を語れるのは、縁側で昼寝する爺様だけと決め付けている私。しかしながら、意地を持って生きて来たご褒美でしょうか。

その時、その瞬間を大切にしてきたからこそのご褒美でしょうか。

菅原さんがコンサートでさりげなく語るその話は、彼自身へ向けての言葉のように聞こえたし、勿論、私自身が感じる以上に・・観客皆は素直に受け止めた事でしょう。それだけ大きく成長した人物が、目の前で豊かに、楽しく、全力で歌って呉れました。

どなたにも言えることは、【若き頃を知る事は実に素晴らしい】ですね。若い人達に伝えたいものです。

私の中学は東海大学の附属中学。松前重義総長がお元気な時、私は段取りで鍛えて頂きましたし、現在も総長の建学の精神は生きています。一緒に稽古をつけてもらった親友は、今は東海大学工学部で総長の精神を引き継いでいます。

私は青山学院へ進みましたが、菅原さんは、東海大学経由で歌手。彼がコンサートで語っていた「精神は生きている。結ばれている。」とは、こんな偶然も含めて人間には宿っている。と感じながら、帰路につきました。私のデカイ頭の中に詰め切れない程の、諸々の感情整理は暫くは大変ですよ。

菅原さん。実際に見た現在の彼の姿は・・H.P.写真に偽りなし。でした。

サービス精神は驚きでした。それらを含めた、人知れない相当な努力とその意思に感謝です。何故ならバイク事故以降、私は少し気弱になりかけていましたから・・。

今までの私を継続しようと決めました。それが私らしい。お陰で再発見しました。

日本人のコンサートでは・・お世辞でもなく、『最高』でした。

若い人達にこそ伝えるべき歌い手です。

彼は「人生は出会いだ」。と元気だ。さてさて、我々サポーターはどう動こうか、ですね。

菅原さんへ感謝と共に今回のブログを終わります。

                  Yoh-M.

 

                              1000015_img

  油彩画 60x60     「ジャコバサボテン」         

           Yoh-M  作


親馬鹿・

2010年04月16日 | ジャズを聴きながら

普通、親たるものは子供に甘いものですね。

が、最近の親馬鹿振りは、少し異常な面があるのではないでしょうか??

例えば、お受験であり、学生である子供の論文作成まで。

少々、笑えない事です。

幼稚園、保育園での図画時間。

保母なり母親が『手を入れる』のは、もうアカラサマナ事実。

幼稚園の名前を売る為にでしょうか?

我が子を自慢したいが為でしょうか?

そのような親から、教育者もどきから教育を強制されてきた子供に、学生に自主性を求めるのは酷な話です。

現在の世の中を見渡すと、

与えられた試験問題、論文要点の答えは、馬鹿でもチョンでも『グーグル検索』から可能です。答えも文章も同じような結果になってくるのは必然です。

MIXI仲間に答えを求める場合もあると聞きます。

では、

子供なり、学生のどの部分を見て・・『頭が良いか?、自主性があるか?、伸び白はあるか?』を見ればいいのでしょうか。

答えは、『本人なりの文章作りができているか否か』です。

何故このように人材を求めるか。と言うと、紛れもなく『我々日本社会』に不可欠だからです。

人間平等というのは選挙での1票だけ。それ以外の部分に『平等』なぞ存在しないはずです。

共産主義、社会主義の国を見れば明らかです。

それ故、我々は、教育を大切に考える。

そして、勘違い親が馬鹿振りを発揮して、子供を駄目にする。

そんな部分を、

実は、企業の人事課と云われる仕事につく人達は、しつこいまで追及している。

この氷河期と云われる就職戦線を見れば明らかだ。

即戦力を求める部分は、新卒に拘っていないし、将来性に関しては新卒性の優秀のを求める。

現在、大変な就職難で本年は2割以上の学生がフリーターへ向かわざるを得ない。

旧帝大の優秀と云われる学生達の多くにも就職難は降りかかっている。

政府、経団連、企業への批判はもちろんの事だが、実際に自主性を失っている子供、学生が増えていることも事実だ。

試験、論文の成績結果だけでは駄目なのである。

原因は・・・『親馬鹿』だ。

競争意識は自然と生まれるはず。

人間、なにかしら必ず特徴を所有しているはず。

大人は真剣に考えるべき時代です。

               Yoh-M.

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

1