絵、大好き・Yoh-Mのブログ

ジャズ聴きながら絵を描くYoh-Mが、自身の頭の整理の為に書くブログです。

ターナーと橋本雅邦

2013年11月23日 | アート・文化

さてさて、今年は色々ありました。

私にとって「人生いろいろ。」とは、今年を指すぐらいに精神的にもやられた年でした。中でも大親友の死もあって、立ち直る期間も長かったように感じてます。 

そんな日々の中、白隠展からターナー展まで、展覧会へは良く通ったものです。スケジュール表を振り返ると赤、青、黒文字で埋まってます。仕事以外でこんなに雑用に追われた年は・・生まれて初めての経験でした。

 整理したいと思っていた「私が思う、西洋文化と日本文化の違い」まで、中々頭が回らない状態でしたが、纏める為のとっかかりとしてホンノ少し書いてみます。

まず、

東西文化を語るには、宗教史、民族史等から広範囲に見なければなりません。夫々の人の立つ位置によって比較する視点も大いに異なると思いますが、

ここでは美術の面から、「ターナーと橋本雅邦を通して」と題し私なりの整理をしたく思います。文化論は広範囲に及びますが、大要としての帰結は一つの真理に行き着くと思いますので、入口としてお読み下さい。

深く論を進めるは文章力の面で難航しそうなので、論としては、時間を掛け机の上で自己満足に向かいたい。と思ってます。

ま、ブログという性格上、さわりだけに抑える事にして進めます。

前回、「ターナー絵画への感想」と書きました。都立美術館でご覧になった皆さんはどのように感じたでしょうか。

昨年の「ボストン美術館所蔵、日本の至宝展」は大変重要な展覧会でした。この展覧会に出品された、橋本雅邦の作品は1点でしたが、現在は埼玉で国内の作品を集め、雅邦展が開催されています。

昨年から今年、来年に掛けて、「ターナー絵画と橋本雅邦絵画」が同時期に見られるのは楽しいです。

ターナー:1775~1851年。

橋本雅邦:1835~1908年。

同世代の二人を比較し、東西の文化を語るには、今はナイスタイミング。ターナーは西洋絵画史に於いては不可欠な画家。橋本雅邦は日本歴史が大転換した際の傑出者。

二人の作品は勿論の事、表面的には異なって見えるでしょう。が、基本となる、観察力、線描力、色彩の置き方・・東西の差は有りますが優劣つけ難い二人。と思ってます。

異なるのは、個を大切にする社会背景がターナーに有り、極貧の中で伝統を守り技術研鑽に励んだ雅邦。という面でしょうか。

ターナーのスケッチ。非常に重要で、大作にもまして素晴らしい作品ばかりです。

雅邦作品、常に狩野派最後の絵師。と言われています。

↑ この表現の中に東西文化を比較出来ると、私は考えます。

作風云々の捉え方ではなく、背景にある社会風土、人間関係、宗教観が全て含まれて来ます。

ターナーは間違いなく、個の為の絵画制作に没頭し、雅邦は明治という激変社会と戦っていました。

まさに西洋文化と日本文化の違いが、二人を通して表現されていると、私は理解に及ぶのです。

キリスト教を背景としたターナーの作品はしっかりした観察の下に、個の芸術を創り上げて行きます。雅邦は武家封建制度の中で、そして迎えた明治維新の時代に、日本画の命「線」を重視し、伝統文化の中に個を求めています。

謂わば、平成時代の今日でも、西洋人気質と日本人気質の差は延々として変わらず受け繋がれていると考えますが如何でしょう。

個を重視する風潮は最近でこそ特にスポーツで増えていますが、明らかに日本人の不得手とする処でしょう。反面、団体になると日本人の独壇場とも言えます。

この個人、団体とい言葉にも、文化の差が出ているようにも感じます。サインプレーなんて日本人得意ですよね~

近年、芸大学長を2回も務めた平山郁夫さん、

スケッチでの線描は誰にも負けない素晴らしい作品を残したのに、色を付けると・・何故か朦朧とした作品ばかり。ターナーと異なり、スケッチと作品に一体感を私は感じません。

東山魁夷さん、高山辰夫さん等々 日本画家と謂われる人達皆同じ。安田靭彦さん、堅山南風さんの世代で線の美しさは終わったのでしょうか。

なぜ、スケッチと本画が異なる作品になるのでしょう。

ここに、日本美術文化の衰退を見ます。朦朧体・横山大観を拝みすぎです。西欧絵画を激しく取り入れた。と考えても、? 疑問です。何故なら、ターナーは既に抽象画の分野まで心は発展してました。

第二次大戦後のブームに抽象絵画の氾濫時期がありましたが、この時代の評価は別として、ターナー作品を見れば哀れに感じます。

大観の師である橋本雅邦は繰り返し繰り返し線描の訓練に明け暮れました。その技術を引き継いだのは、日本画々家ではなく、レオナルド・フジタ(藤田嗣治)と思うのは私のみではないでしょう。

フジタの作品の命は線です。油彩画と日本画の違いだけで美術界は二人を結びつけていない。フジタこそが雅邦の技術を受け継いでいます。世の中メクラ(差別用語?)ばかりです。

これ以上書くと悪口ばかりになりそうです。

ここで ↑ で書いたように真面目な文章は残したく原稿用紙に向かいます。

ボストン美術館展、ターナー展、橋本雅邦展

タイミング良く揃ったものです。

キリスト教を背景とした独創性ある西洋科学技術に対抗する為の日本人方策は、美術以外にも橋本雅邦が苦心した伝統日本絵画文化に見つける事ができると思うのだが・・

ターナーと雅邦を是非比較して見てください。

さてさて、ここからの部分は同様な意見を持つ東海大学名誉教授大原氏に委ねたいと思います。将来に残すべき納得する文献、「日本と西欧の文化比較論」は・・知る限り、これまで存在しませんでしたから。

私は私で、原稿用紙にでもまとめてみるとします。

 

 

                 2013.11.23.

 

                           Yoh-M.

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